§2 Shadow of a Doubt 4
「…しても、やはりご納得頂けませんでしょうか?
このゴブラン織りも、ベルギーの職人に特注したもので、繊細な、いい仕上がりだと思いますし」
「残念ですが、色も柄も注文したイメージとは違っていて、お嬢様の気に入るものではありません。
なので、今回のものは引き取る訳にはまいりません」
「しかし、わざわざベルギーから取り寄せたものですし。これでよくないですか? 充分立派じゃないですか」
「結構です」
「ですが…」
「もちろん。こちらから発注した物ですし、基本的な品質は条件を満たしていますから、キャンセルわたしどもの都合です。代金は全額お支払いします。
その上で、こちらのソファは『クリノリン』さんに無償でお譲りしますので、ご自由に販売されて下さい」
「それではあなた様の方が…」
「わたしどもは、それでも構いません」
「…まことに申し訳ありません。
今回は残念ながらご希望に添うことができませんでしたが、次回こそはお嬢様のお気に召して頂ける様、職人どもにも頑張らせますので、ぜひまたご注文をお願いいたします」
「努力して下さい」
「お嬢様。この度は申し訳ありませんでした」
そう言って店長は『お嬢様』と呼んだ美少女に、深々と頭を下げた。
しかし彼女は、それに気をとめる様子もなく、『執事』の方を振り向くと、ひとことだけ言った。
「行くわよ」
それは、凛として澄み切った、美しい声だった。
まだ完全に成熟しきっていない、どこかあどけなさの残る
まるで、美しい音色を奏でる楽器の様な、印象的な声音だった。
そんな綺麗な声とはうらはらに、どこか人を見下した、高慢そうな口調。
それがまた、『お嬢様』と呼ばれ、大のおとなを平服させるのに、ふさわしくも感じる。
美少女はそう言い残すと、ふたりにおかまいなく、スタスタと歩き出した。
慌てた様子で『執事』がそのあとに従い、ふたりはエレベータへ乗り込んだ。
ドアが閉まるまで、最大限の角度でお辞儀をしながら、店長はエレベータの前で固まっていた。
「ふう~~~っ」
ふたりの姿が見えなくなったとたん、解放された様に店長は大きく息をして背筋を伸ばす。
そして、こちらに歩み寄りながら、呆れた様に言った。
「ったく。あのお嬢様のワガママには、いつもヒヤヒヤさせられるよ」
「あの人は、お得意様なんですか?」
「お得意様もお得意様。あそこの家具のほとんどはヨーロッパで作らせた特注品だよ。しかもしょっちゅう模様替えして、その度に家具も入れ替えたりするから、あそこからの注文だけで、うちはやっていけるほどだよ」
「丘の上の、洋館ですね。黒薔薇の咲く」
「そう。よく知ってるね。入社したばかりなのに」
「ええ。実はうちの社宅が、その洋館の前なんで」
「へぇ~。そうなんだ」
驚いた様に、店長はおれの顔をしげしげと眺めると、内緒話をするかの様に声のトーンを下げ、口元に嫌らしげな笑みを浮かべて言った。
「すごく綺麗な女の子だろ?
ふだんは家に引きこもってて、滅多に外出する事もないらしいけど、あんた運がいいよ。
彩子お嬢様を近くで見る事ができたんだから」
「『彩子』さんって言うんですか、あのお嬢様」
「そうだよ。
「中学生くらいの感じだけど、学校は行ってないんですか?」
「行ってないみたいだよ。彩子お嬢様に関しては、どんな生活しているのか、まったく謎なんだよな」
「謎… ですか」
「たまにメイドの女の子が来たりするけど、余計なことはなにもしゃべらないし」
「メイドって… メイドカフェのコスプレみたいな?」
「本物のメイドだよ。掃除洗濯や食事を作ったり、買い物につきあったり。
まあ、確かに服装はコスプレみたいだけどね」
「じゃあ、あの執事みたいな男の人は?」
「それこそ、執事だろ。
メイドといい執事といい、みんな大袈裟な服を着させられてるけど、あれはきっと、彩子お嬢様の趣味なんだろうな」
「着させられてって?」
「ああ。だいたいお嬢様自身もロリータファッション、っていうの?
いつも豪華なドレス着てるけど、使用人にまでその趣味を押しつけるのはよくないよ。だからみんな長続きしないんだよ」
「え?」
「さっきの執事も、おれが知ってる限りでは二人目だよ」
「そうなんですか?」
「おれだったら、そう簡単にやめないけどな」
そう言うと、店長はニヤリと笑う。
「だって、あんな美少女といつもいっしょにいられるんだぜ。
もしかしたら、美味しいハプニングだってあるかもしれないじゃないか。
あんな清純そうなお嬢様の綺麗なロリータ服を、無理矢理引きはがしてナニするのって、男のロマンだよな」
店長は口元をうっすらと空けてだらしなく笑う。おれは不快な気分になった。
この中年エロオヤジめ。
薄汚い妄想で、あんな可憐な美少女を汚すのはやめろ。
おまえはロリコンか?!
いい年したオヤジが、中学生に発情するなんて、キモ過ぎる。
だいたい、そんなハプニングなんか、おまえには一生待っててもやってこねぇよ。
こんなエレガントな雑貨屋に、おまえみたいなむさ苦しいオヤジは似合わない。
だれがこんな下品なオヤジを店長にしたんだ?
…それから間もなく。
『クリノリン』の店長は、店先から姿を消した。
店のスタッフの話では、本社から突然、転属の通達がきたという事だった。
つづく
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