§2 Shadow of a Doubt 2

 しかし、そんな甘くとろける日々も、長くは続かなかった。


ここからはづきが大学に通うには、ちょっと距離がありすぎる。

3回生になっていくらか暇になったとはいえ、はづきもサークル活動が忙しいし、落とせない講義もるし、ゼミもはじまった。

そんなわけで、いつまでもこの部屋にいることもできず、ゴールデンウィークが終わると、はづきは自分の家に帰ってしまった。


初めてのひとりの空間。


1DKの部屋がイヤに広く、静かだ。

5月だというのに薄ら寒く感じるのは、はづきの分の体温がなくなったからだろうか…


「これが、『五月病』ってやつかぁ。まぁ。すぐに慣れるだろ」


そうおちゃらけて自分を慰めてみたが、その声はガランとしたひとりの部屋の中に、虚しく響き渡るだけだった。


張り切って作ってみた初めてのメシも、見事に失敗。

誰もいない部屋で、まずい飯を無言で口に運ぶ。

音はといえば、小さなスマホ画面で見る、お笑い番組の乾いた声だけ。

風呂に入りながら、おれは自然とはづきの事を考え、妄想に耽った。


ぬるま湯に浸かった様なはづきとの生活が、もう懐かしい。

しばらくは彼女に逢えない。

はづきの住む街は、ここから電車で2時間くらいの距離だが、頻繁に往復する様なヒマも金も、おれ達にはない。

メールやメッセージのやりとりだけで我慢しなきゃと思いつつ、からだははづきを求めている。

目を閉じると、はづきのふっくらとしたエロいからだが、浮かんでくる。

下腹部が充血し、手が自然とそこへ伸びていく。

あの柔らかい肌に触れ、ふくよかな胸に顔を埋めて、暖かなはづきの中へと入りたい。

手の動きが早まる。


快感に歪むはづきの顔。

紅潮する頬。

いいんだろはづき。

もっと激しく突いてやるよ。

もっと可愛いよがり声、聞かせろよ。

はづき、、、、、、


目を固く閉じ、脳裏に焼き付いたはづきに、おれは白い液をぶちまけた。




 連休が終わると、本格的に仕事がはじまった。

しかし、配属先のオフィスは、居心地のいい場所ではなかった。


スタッフはおれを入れて6人。

二十代半ばの女性がふたりに、三十前後の男性がひとりと、それより少し年上そうな男性がひとり。

あとは、定年間近みたいな頭の禿げかかった篠田支社長だけ。

はづきが言っていた様な、『おれよりちょっと年上のスレンダーなイケメン』は、そこにいなさそうだった。

教室くらいの広さのオフィスにそれぞれの机があるが、パーテーションで区切られていて、仕事をしているときは他の社員の様子は見えない。

お互いのプライバシーを重んじる気風なのか、どの社員も、他人に対して関心が薄い様だった。


「おはようございます。新しくこの支社に配属された、沢渡仭さわたりひろです。よろしくお願いします」


はじめて出社した朝礼の席で支社長に促され、おれはみんなの前で、できるだけ快活に自己紹介をした。

しかし、たいした反応は返ってこなかった。

みんなチラリとこちらを一瞥して、「よろしく」「どうも」と応えるだけで、朝礼もお互いの軽い名前紹介くらいであっさりと終わり、すぐにそれぞれの仕事に入ってしまった。

だれも、おれの事になど、興味を持っていないようだ。

おれは黙って窓際の自分の机について、仕事をはじめるしかなかった。


知った顔のいないオフィスのなかで、慣れない仕事を黙々とこなす。

心なしか、他の社員のおれを見る目が、冷たく感じる。


なぜだろう?


気のせいかもしれないが、なぜかみんな妙によそよそしく、話しかけてもありきたりの社交辞令しか返ってこない。

そんなにおれは、この職場にとって、いらない存在なのか、、、?


…逃げ出したい。


今すぐこの職場からも、この街からも。

そして電車に飛び乗り、はづきの家に行く。

はづきなら、おれを受け入れてくれる。

無条件に。

今すぐ、はづきの胸に飛び込みたい。


元々引きこもり体質のあるおれは、連休明け早々に五月病をこじらせてしまった。

目覚めがすっきりしない。

からだが重い。

毎日の出社が億劫おっくうでならない。

仕事のない週末が待ち遠しい。


それでも会社には行かなきゃならない。

それがおれの仕事なんだから。




 それは、配属されて半月程経った、ある日の午後だった。

駅近くのアーケード内にある輸入雑貨店『クリノリン』に、2時に書類と商品サンプルを届ける様、おれは支社長から指示を受けた。

こんなもの、宅急便で送ればいいだろうとは思ったが、窮屈なデスクワークから解放される、滅多にないチャンスでもある。

オフィス内の暗い雰囲気に鬱々うつうつとしていたところなので、ちょうどいい気分転換になりそうだ。

届け物を受け取ったおれは、軽い足どりでアーケードに向かった。


つづく

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