§1 Rich and Strange 5

 外出の支度を終えたおれたちは、陽の落ちかけた街へと繰り出した。

仄かに赤く色づいてきた西日をバックに、向かいの洋館は尖鋭なシルエットを、挑む様に空に向けていた。

しかし、灯りがともっている気配はない。

さっきのゴスロリ少女と執事風の男は、まだ、帰ってきてないのだろうか?

こんなに大きな屋敷だというのに、ふたり以外、だれも住んでないのだろうか?

静まり返った洋館を一度振り向いた後、おれたちは駅へと向かう道路を、手をつないで下っていった。



 駅付近の繁華街までは、ふつうの家が建ち並ぶ、静かな住宅街だった。

行楽帰りらしい家族を乗せたクルマが、レジ袋を下げた主婦を追い越し、助手席の母親らしい女性が、彼女に向かって軽く会釈している。

戦隊キャラクターのイラストが入った小さな自転車を、幼い兄弟が歓声をあげて乗り回している。

部活の帰りだろうか?

スポーツメーカーのバッグを、肩から下げて歩いている女子高生たち。

洗濯物を取り込んでいるお年寄り。

ありふれた日常。

そのなかで、あの洋館だけがまるで異世界の様に、特異な存在だったが、おれはもうそんな事なんか忘れて、はづきと初めて歩く街並を、楽しんでいた。


 こじゃれたイタリアンレストランを駅前で見つけ、おれたちはそこで早めの夕食をすませ、腹ごなしに駅の周辺をぶらついた後、家路についた。

あたりはすっかり暗くなっていて、所々に並んだ街灯の周りだけが、幻の様に明るく浮かび上がっている。

コーポへの坂道の途中に、ひときわ明るいコンビニの灯りが見える。

その光に吸い寄せられる様に、おれたちは店内に入っていった。


「ねぇ、おばちゃん。

あたしたち今日、このあたりに引っ越してきたんだけど、いいところね」


ペットボトルのお茶とアイスクリームをレジ台に置いたはづきは、五百円玉を差し出しながら、親しげにレジ向こうの初老の女性に話しかけた。

彼女も話し好きらしく、すぐに明るい返事が返ってくる。


「おやまぁ、そう? 嬉しいねぇ。

幹線道路から離れてて、静かでいい街よ。な~んにも遊ぶ所はないけど。全部で、482円ね」

「丘になってるから、景色もいいわね」

「たいした景色なんてないけどね。

昔はこの辺りから上は家が建ってなくて、うっそうとした森だったのよ。あなたたち、新婚さん?」

「やだぁ。そんな風に見える?」」

「今じゃすっかり開発されて、新婚さんもたくさん引っ越してくるからね。最近の若い人は、結婚してすぐ家建てるじゃない。あたしたちの頃は考えられなかったわ」

「そっか~。じゃああたしたちも、結婚したらここに住もうかな」


そう言ってはづきは、コロコロと笑った。

人付き合いの苦手なおれと違って、はづきはだれにでも気安い。

初対面のコンビニのおばちゃん相手でも、いくらでも会話が弾むのだ。

今夜のはづきも滑舌よく、陽気でゴシップ好きそうなおばちゃんと、レジを挟んで楽しげに話し込んでいた。


「それでね、あたしたちこの丘の上のコーポに引っ越してきたんだけど。向かいの洋館、すっごい立派よね。どんな人が住んでるのか、知ってる?」


店員がレジを打っている間に、はづきは例の洋館の話題を切り出した。

おそらく、軽いネタのつもりだったのだろう。


「……」


しかし、店員の反応は予想外のものだった。

明るく受け答えしていた彼女の顔は、とたんに曇り、眉間には厳しい皺が寄った。

口にするのもはばかられるかの様に、彼女はしばらく沈黙し、はづきの顔を見ずに言った。


「…まぁ、この辺じゃ由緒ある家系で、大きな会社も経営しとるらしいけど…

よそ者は、なんも知らん方がええよ。はい。お釣り」


はづきに小銭を渡したっきり、彼女は黙ってしまい、おれたちを避けるかの様にレジを離れて、商品棚で作業をはじめた。

なんだか気まずい雰囲気だ。


『すっごく性格が歪んでる美少年で、美形の執事が身の回りの世話をしてるの。

そして、美少年との恋に破れたたくさんの男たちが、次々と殺されて、薔薇の木の下に埋められてるのよ。

ここの薔薇はね、そんな美青年たちの血肉を喰らって、美しく咲き誇るんだわ』


おれは昼間のはづきの台詞を思い出した。

彼女の妄想も、まんざら見当違いではなかったのかもしれない。

あの洋館には、やっぱりなにか秘密があるのだ。

このあたりの人間には公然の…



『この箱を開けてはならない』

『決してなかを覗くな』


禁忌タブーを犯したくなるのは、人のさが

例え結末に、悲劇が待っていたとしても、だ。


そしておれたちは、パンドラのはこに手をかけた。


つづく

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