§1 Rich and Strange 4
「ねえ。ヒロも今度、あんな格好してみない?」
エッチの後、バスルームを出たおれたちは、はづきの用意してくれたお揃いの部屋着に着替え、まだ段ボールが山積みになった洋室の隅に、クッションを並べて座り込んだ。
うっとりとした表情で、はづきはおれの肩にしなだれかかりながら言った。
「あんな格好って?」
「さっき見た、向かいの洋館から出てきた男の人みたいなカッコ。
ぶっちゃけ、あたしのドストライクだったの。
ヒロって肩幅が広くて腰が細いし、身長も高くてイケメンだから、ロングジャケットとかも似合うわ。絶対」
「え~? あんな変な服、どこに着ていくんだよ」
「そうね… 実際、着ていくとこなんてないかもね。イベント会場くらいかなぁ」
「はは。イベントって、はづきが時々参加してる、同人誌即売会だろ? おれは行かないって」
「んんっ。寂しいな。ヒロがいないと」
「じゃあ、はづきがさっきの女の子みたいなカッコするんだったら、行ってやってもいいぜ」
「んむ~~。さすがにあそこまで完璧なゴスロリ衣装は、予算的にもあたしのテイスト的にも無理かも」
「そうだろ。おれだって、あんなカッコしてる彼女なんて、恥ずかしくていっしょに歩けないもんな。向かいの洋館の住人は、おれたちとは別世界の人間なんだよ。妄想は二次元の中だけにしとけよ」
「ん~… 見たかったんだけどな~。
ヒロって大学のサークルの中じゃ、結構人気あったのよ。
今だから言うけど、他の何人かの女の子も、ヒロの事狙ってたんだから」
「へぇ~。光栄だな」
「ヒロのカノジョになれてよかった♪」
「そう言えば、『腐女子は実在の男には興味ない』って、なんかで読んだ事あるけど、はづきは違うよな」
「二次(本やゲームのなかのキャラ)はもちろん好きだけど、あたしはリアルも好きなの」
「え~? おれって、マンガやゲームの男キャラと同列なわけ?」
「そんなわけないじゃん。萌えキャラとは、こんな事できないもん。物理的に」
そう言いながらはづきはおれに抱きつき、うなじに唇を這わせた。
そのまま着替えたばかりのシャツをまくって、胸にキスをしてくる。
よくも悪くも、岩瀬はづきは素直な子だ。
自分の気持ちのままに、即、行動する。
大学時代。
おれの所属していた映画サークルに入ってきたはづきは、2年下にもかかわらず、積極的におれに話しかけてきて、映画に誘ってきた。
初めてのデートは、オールドシネマを専門に上映している映画館で観た、ヒッチコック監督の作品。
冒頭からヒロインのラブシーンではじまり、大金を横領しての逃亡劇かと思いきや、映画の半分にも満たない所でヒロインがあっさり惨殺される展開に、すごく意外に感じたもんだ。
こんな、だれが主人公かもわからない様なストーリーは、今どきの三流映画でも作らない。
だけどはづきは、60年代でこんな斬新な切り口のサスペンス映画を作ったヒッチコック監督は、やっぱりすごいと、感心したように言った。
サスペンスものが好きなはづきだったが、映画からボーイズラブに趣味をシフトさせていった今でも、ストーリーにミステリーやサスペンス要素を絡めるのが好きなようだ。
それからもおれたちのデートは、しばらくは映画が中心だった。
なかには、退屈な駄作もあった。
冗長な展開に、スクリーンを観ながらあくびしていたおれに、まるで退屈しのぎの様に、はづきは初めてのキスをしてきた。
映画よりもドキドキした一瞬だった。
今思えば、
だれもいないシネマホールの暗がりで、映画そっちのけで、おれたちはお互いの唇を貪りあった。
「な~んか、かったるくなっちゃった」
おれのTシャツを着ていたはづきは、気分を変えるかの様に両腕を高く上げて、背中を反らせた。
ボトムは履いてない。
伸びをすると、シャツの裾から薄ピンクのパンツが丸見えだ。
引っ越しの途中でエッチなんかしたせいで、そのあとはまったりモードになってしまい、作業は進まなくなった。
「そうだな。残りは明日にして、これから街を散歩がてら、食事にでも行くか?
コンビニとかスーパーとか、どこにあるか知っておきたいし」
「賛成~!」
おれの提案にはづきは快く応えると、勢いよく立ち上がって、整理したばかりのクロゼットから、着替えを取り出す。
「そうだ。これやるよ」
着替え終わったはづきの目の前に、おれは部屋の合鍵を差し出した。
一瞬、意外そうに目を見開いたはづきだったが、みるみる表情が変わっていき、嬉しそうな微笑みを満面にたたえた。
「ほんとにっ? 嬉しいっ。これってなんか、彼女の勲章よね」
「そうか?」
「ひとり暮らしの彼氏からもらう、いちばんのプレゼントよ。ありがと、ヒロ」
そう言ってはづきは受け取った鍵を、大事そうに両手で包んだ。
大袈裟だな。
『おれの留守中に来た時に不便かけない』ってくらいにしか考えてなかったけど、そこまで喜んでくれるんだったら、まあいいか。いないときに来て、飯の支度とかしてくれてるのも助かるし。
つづく
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