外伝 再生

 鬱蒼とした森をぬけ、丘の上にある大きな白亜の建物へと続く道。

 広がる大麦畑とわずかばかりの民家は、記憶とそれほど違いはない。

 ロスタ子爵家領のラミの町だ。ここを離れて七年たつ。

 フレデリックは、複雑な思いで馬を進めた。

 ここですごした穏やかな日々は、自分にとっては遠い過去なのに、ここの風景はあの頃から時が止まったかのようである。

──それでも、変わってしまったものはあるだろう。

 ここを出て、反乱軍の長「銀龍」と名乗った日々。そして、今は、次期帝王ハリスの側近となった自分ほどではないにしろ、七年の年月は恩義ある懐かしい人々も変わったに違いない。

 帝王ザネスが死んで、この国は大きく生まれ変わろうとしている。

 まもなく帝位につくにあたり、ハリスはフレデリックにレリアット伯爵の後を継いで、ザネスが焼き滅ぼしたプロパドの街を再建するよう命じた。そのことに異論はない。

 ただ、ハリスは、ひとつだけわからぬ注文を付けた。

 十四から十七になるまで過ごしたラミの町へ、親族ロスタ子爵に会いに行くこと。

 子爵は現在、体調を崩していて、帝都に来ることができないようで、まだ再会を果たしていない。

 子爵にはフレデリックも会いたいと思う。だが、ラミに来たかったかと問われると、微妙だ。

 ここは、帝都から遠く、プリマべラを揺り動かした内乱の影はどこにもない。

 それでも、ここにフレデリックの居場所はもうないのだ。なまじ、変わっていない風景だからこそ、それを知るのが怖いのだ。

──未練だな。

 フレデリックは馬を降り、白亜の屋敷の扉に訪問を告げる。

「おおっ、フレデリック様」

 出迎えた家令は、見知った男だった。

 記憶より白髪が多くなっているが、几帳面そうな面構えは全く変わっていない。

「やあ、バトラー、久しぶりだね」

「……本当にご立派におなりになられました」

「あの時は、本当に世話になった。今日まで生きてこられたのは、君のおかげだ」

 ここを旅立つとき、あてのないフレデリックに隣国へ行くようにすすめたのは、バトラーだった。

「本当に、ようございました」

 肩を震わせながら、バトラーはフレデリックを屋敷へと迎え入れる。

「旦那様も、お嬢様もお待ちです。どうぞこちらへ」

「ああ」

 エントランスは吹き抜けになっていて天窓から陽光が指している。

「あ、坊ちゃん、だめです! お部屋に戻って!」

「やだっ!」

 玄関から真正面にある階段の上から、肌着一枚の五歳くらいの少年が降りてきた。

 少年は玄関ホールに見知らぬ人間の姿を認め、足を止めたところを、追いかけてきた侍女につかまった。

 侍女は見知らぬ顔だった。客人であるフレデリックの姿に驚き、大きく頭を下げる。

「坊ちゃん、お客様に失礼ですよ。さあ、お着替えをいたしましょう」

 フレデリックを凝視する少年を促し、侍女は慌てて階段の奥へと上って行った。

「……お元気そうなお子さんですな」

「はい」

 少年の背を見送りながら、フレデリックは奪われた時を思う。

 何事もなければ、あの子の父親は自分のはずであった。変わらないように見えても、どうしようもなく違ってしまった今を、フレデリックは噛みしめる。

「こちらです」

 バトラーに案内されたのは、応接室であった。

 長椅子に、老紳士が座っている。

 開かれた窓から注ぐ陽光。少しずつ記憶とは違うものの、変わらぬ風景に、かえって胸が痛んだ。

「よく来てくれた、フレデリック、いや、今は伯爵とお呼びしなくてはいけないかな」

 椅子に腰かけた老人が、懐かしそうに目を細める。

 ロスタ子爵だ。昔より若干痩せている。椅子の隣にステッキがあった。

「すみませんが、足が弱くなってしまいました。伯爵に対して失礼ではありますが、昔のよしみで座ったままの失礼を許してくだされ」

「お気になさらず」

 フレデリックは微笑んだ。

「ご無沙汰をしております、子爵。私のことは、昔のようにフレデリックとお呼びいただければ」

「ありがとう」

 ロスタ子爵は嬉しそうに頷いた。

「随分とたくましくなられた。ご活躍は噂で聞いております。一時でもあなたの養父親ちちおやであったこと、誇らしく思います」

「いえ……私の方こそ、子爵の寛大さがあってこそ、永らえた命と思っております。そして、ここで過ごした日々があればこそ、私は復讐以外の道を考えることができました」

 実の両親を街ごと焼かれても、プリマベラを憎まずにいられたのは、この国に、この町があったからだ。

「そうであったのなら、私どもとしても幸いです」

 ロスタ子爵がフレデリックに座るように勧めると、ノックの音がした。

 入ってきたのは、金髪の女性だ。丁寧に結い上げた髪。青色のおとなしめのドレスをまとっている。

 若干、昔より大人びた気がするのは、七年の歳月を思えば当たり前であろう。

「ハーブティですが」

 女性は、手にしてきたカップをフレデリックとロスタの前のテーブルに並べた。

「元気そうだね、イザベラ殿」

「……ええ。おにいさまも、お元気そうでよかったですわ」

 女性は微笑み、そして、やや視線を落とす。

「お母様が生きていらっしゃったら、どんなにかお喜びになったかと思うけど」

「亡くなった?」

「ええ。ちょうど一年ほど前に」

 ロスタ子爵とイザベラの顔が曇る。

 変わってしまったのは、フレデリックだけではなかった。

「いろいろなことが、変わっていく……このような、田舎でさえも。でも、これからは、良い方向に変わっていくと信じられる」

「はい」

 フレデリックは頷く。

 恐怖で支配していたザネスは倒れた。すべてがすぐにとはいかないであろうが、少しずつ、みなが笑える世界に変わりつつある。

「きっと、レリアット伯爵もお喜びでありましょう」

「……だと、いいのですが」

「再建されたプロパトの街を早く見たいですのう」

 ロスタ子爵は、にこやかに微笑む。

窓の外は青く澄んだ空が広がっている。その青は、凍らぬ湖、エスパト湖と同じ色だ。

「それほどお待たせしないように、努力します」

 フレデリックは、力強く頷いた。

 



「お泊りになればよろしいのに」

 厩の前で、馬具を手にしたフレデリックをイザベラが恨めしそうに見ている。

「帝都で、仕事が山になっていてな……それに、それでなくとも、そういうわけにもいかんだろう」

「どうしてですか? おにいさまなら、こちらは大歓迎ですのに」

 無邪気なイザベラの答えに、フレデリックは苦笑する。七年の時をまったく感じさせぬ距離感だ。

「私がこちらの養子であったのは、もう七年も前のこと。子爵やイザベラ殿がよくても、ご主人殿はよくは思われまい」

「ご主人殿?」

 イザベラは小首をかしげる。

「私、結婚はしておりません」

「え? しかし、お子が……」

「アーサーは、亡くなった知人の子です。確かに帝都には私の子として届けておりますけれど」

 帝王ザネスの粛清は、プロパトだけではないのですよ、と、イザベラは苦く笑った。

あの子供は、ザネスに両親を処刑されたのだという。養子縁組を正式に手続きするとなると子供を救えないと判断した子爵が、イザベラの子として申請したらしい。

「それにしても、未婚のあなたが、どうして」

「さすがに、私の弟では難しいですから」

 イザベラの言葉に、フレデリックは頷かざるを得ない。子爵は、既に五十近い。全くあり得ないわけではないが、それはそれで目を引くし、貴族どもの噂にのぼるであろう。

「しかし、あなたの縁談に障りとなりましょう」

「好都合でしたわ」

 イザベラはにこやかに微笑む。

「私、結婚などしたくありませんでしたから」

 イザベラの青い瞳が、フレデリックを真っすぐにとらえている。

 フレデリックは、馬具から手をはなした。

「いつか、おにいさまがお帰りになると信じておりましたの」

「イザベラ……」

「ご迷惑でしたら、大人になり切れなかった義妹の戯言とお流しください」

 きっぱりと。しかし、不安のにじむ声で、イザベラは告げる。

「私はこの家に帰ることはできない」

 フレデリックの言葉に、イザベラの目が大きく見開かれた。

「……そう、ですわね」

 声を震わせながらも、イザベラは気丈に笑おうとする。

──ああ、そうだ。

 フレデリックは思う。かの女性に心惹かれたのは、あの目が、イザベラにそっくりだったからだ。

「でも……」

 フレデリックはゆっくりとイザベラに歩み寄り、その手を静かにとって、キスを落とす。

「プロパドの街が再建したら、イザベラが私の家に来てくれないか?」

 何年かかるかわからない。さらに待たせることになるだろう……それでもよければ、と、フレデリックは続けた。

「そんなに待てません……」

 イザベラは頭を振った。

「何のお役にも立たないかもしれませんが、私にも再建のお手伝いをさせてください」

「イザベラ」

 フレデリックは、イザベラを抱き寄せる。

 ザネスによって奪われたものが、腕の中に戻ってきた。

 このぬくもりこそ、七年間、フレデリックを闘いへと駆り立てていたものだと気づく。

 厩の馬が退屈そうにいななき、風が木の葉をゆらしていた。


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