そして、私は炎に焼かれる

「火の神ピュールよ!」

 炎に飛び込みながら叫ぶ。

「私の命をあげる! だから、私を王杖にして! 皇子に力を! この国に希望を!」

 熱い。

 ジャネットの長い金髪が、チリチリと燃える。肌が痛い。ザネスの力を感じる。

 猛る炎が、全身を舐めていく。炎の熱だけでなく、力の圧迫で体が押しつぶされそうだった。

「エーラッハを杖にしたように! お願い。皇子を死なせたくない!」

 力が弾ける。

 焔が青白く光った。

 相変わらず、聖なる炎の声はジャネットには聞こえない。だが、答えは感じた。『了』だ。

 ジャネットの周りの火から、ザネスの圧力が消えていく。

 熱は変わらないが、息苦しいほどの『力』がなくなり、やわらかな『力』を肌に感じる。

 ジャネットを取り囲むのは、ザネスではなく、ピュールの力だ。

「不思議だわ」

 ジャネットは呟いた。

 体は焼けていくのに、少しも怖くない。

 結局、前回と同じように、聖なる炎に包まれて焼かれているのに、満たされていく想い。

──私が変えたいと願えば、変わる。

 たとえ、ジャネット自身の生死はかわらなくても、愛した人たちの未来は、きっと変わる。

 前回はただ、惨めで後悔しかなかった。今回は、誇らしい喜びがある。

 同じ死でも、自分はこんなにも変われたのだ。

「ジャネット!」

 ハリスの叫び声がした。

 焔につつまれながら、前にもこんなことがあったな、とジャネットは思う。

 あれは夢だったのか。それとも、前回の最期の記憶だったのか。

「ごめんなさい」

 ジャネットは呟く。

 ずっとジャネットを守ろうとしてくれていたのに、気づきもしなかった前回。

 そして、今回は、ジャネットを妻とよび、抱きしめてくれた。それなのに、自分はまた炎に焼かれようとしている。

「でも……そばにいるから」

 ジャネットが帝王の証たる王杖になれば、ずっとハリスと共にあることはできる。

 彼と共に、この国の未来に明かりを灯すことはできる。

 青白い炎が、銀の龍に姿を変え、ジャネットの身体に巻き付いていく。ふわりとした浮遊感。

 炎に包まれているはずなのに熱くも痛くもない。

 まるで、愛しい男に抱かれているような安心感だ。

「ジャネット! 目を開けろ! 目を開けてくれ!」

 また、自分は夢を見ているのだろうか。

「ジャネット! 逝くな! 逝かないでくれ!」

 悲痛な叫び声に、呼び戻され、ジャネットは目を開く。

「皇子?」

 銀の龍に抱かれていたはずの身体は、いつの間にかハリスの腕の中にあった。

「なぜ?」

 ハリスの手には、熔けて折れ曲がった杖。

 ルードやメンケントの姿は見えない。二人を囲むのは、紅蓮の炎。その炎に、ザネスの力は感じない。

 あるのは、神々しい圧倒的な力だ。


『我が血脈を引く者よ。炎の娘よ』


 言葉が響く。

 炎の壁を背に、銀の龍がジャネットとハリスを見ていた。

 ここは、聖なる炎の中であろうか。

 銀の龍が声なき声で、話しかける。


『その身を焼くこともいとわぬ激しい心。まさしく炎の娘よ』


「あなたは……ピュール?」

 ジャネットの言葉に、答えはない。しかし、龍は頷いたようだった。

 

『願い通り、炎の娘を王杖としよう』


「だめだ! ジャネットを連れていくな!」

 ハリスはジャネットのの身体を抱きしめて、龍を睨みつけた。


『勘違いするな、すぐに連れていきはしない。その娘がお前の傍らにある限り、我が炎はそなたに応えよう』


「私が、死んだら?」

 

『その時こそ、我が炎でそなたを焼き、杖としよう。そして死するその時まで、お互いを慈しみあえたなら、そなたの身を焼いた炎は、また時代を変えるだろう』


「変えるとは?」

 龍は、答えない。

 銀鱗が青白く輝き炎の中に溶けていく。


『その心に炎がある限り、世界は変わる』


「消えた?」

 銀の龍は消え、聖なる炎が二人を囲んでいる。

 温かい力だ。こんなにそばにあるのに、二人を焼こうとはしない。

「歩けるか?」

 ハリスがジャネットに問いかける。

「ええ」

 ジャネットは頷き、ハリスに助けられながら立ち上がった。

「道を」

 ハリスが命じる。

 温かい力がジャネットの身体をめぐり、炎が割れていく。

「力が私の中を巡っていくわ……不思議。でも、この力を私は使えない。これが、杖ということなのですね」

「この杖は不要だな」

 ハリスは折れ曲がった杖をみて苦笑する。

「もっとも、ずっと傍らに置くなら、こっちのほうがずっといい」

 言いながら、ジャネットの腰を引き寄せた。

「ハリス様! 魔術師殿!」

 メンケントと、ルードが炎の壁の向こうで、必死に声を上げている。

「行こう」

「はい」

 ジャネットは頷く。

 聖なる炎が、新たな継承者を祝福するかのようにささやいた声をジャネットは聞いたような気がした。



 夜明けが近い。

 暗い湿原にうっすらと光を反射しはじめて、空と大地が分かれ始めている。

 世界がわずかに赤色をおびてきた。

「お姉さま、綺麗」

 フローラがうっとりとジャネットを見つめる。

 金の髪を結いあげて、純白のドレス。胸に赤い宝玉のネックレス。

「ありがとう。あなたもきれいよ」

 紅をさした唇に微笑みが浮かぶ。

 フローラは優しい水色のドレスで、髪には花をさしている。

「グルマスさんがつんできてくれたのよ、この花」

 フローラがうれしそうにそう言った。

「グルマスが?」

 ジャネットは驚く。あのグルマスがどんな顔で、花を摘んできたのであろうか。想像すると、ちょっとおかしい。

「それにしても、ようやくですわね」

 フローラはジャネットにベールをかぶせながら、そう言った。

「あれから、一年もたちます」

「そうね」

 ジャネットは頷く。

 聖なる炎を制して。ハリスは帝位を継承することになった。

 意図していないことであったが、ザネスは自身の炎に焼かれ、絶命したらしい。

 その後、城はビュラ将軍が制圧。完全に無血というわけではなかったが、限りなく少ない流血で済んだのは、やはりこの国では『聖なる炎』を手にしたものが絶対だからであろう。

 宰相は更迭。ムファナは、銀龍との戦闘で死亡し、帝妃は、公爵家に戻された。

 ジャネットは常にハリスの傍らに立っていたものの、結婚式とハリスの帝位就任式は建国の式典まで日延べされていた。

 政情が不安定だったこともあるが、この日にこだわりたかったというのもある。

「それにしても、どうしてバラフの神殿なのです?」

 フローラが不思議そうに問う。

「そうね。どうしてかしら」

 くすっとジャネットは笑う。

「たぶん──必要なのよ」

 変わらぬ愛を誓い、許しを乞う。それで、何か変わるのか。それとも変わらないのかは、わからない。

 それでも大切なのは、まず願うことだ。

「畏れたり、憎んだりされてばかりでは、女神もお辛いと思うの」

「……そうかもしれませんね」

 フローラは頷く。

「今年の式典は、特別でしょう? だから、フレデリックさんとお父さまが担当するの。楽しみにしていて。私も手伝うから」

「まあ。それは楽しみだわ」

 ジャネットは笑う。

「ジャネット、開けていいか」

「どうぞ」

 デニスの声に頷くと、扉の向こうに、デニスとハリスが待っていた。

「綺麗だよ。ジャネット」

 娘の晴れ姿に、デニスは目を細める。

 デニスは黒のスーツ姿だ。あれから、すっかり健康を取り戻し、助け出した時よりも若返ったようにも見える。

「本当に、綺麗だ」

 ハリスが見惚れたように、呟く。

 ハリスは白の礼装だ。

「行こう。夜明けが近い」

 ハリスの言葉に、ジャネットは「はい」と頷いた。



 帝王ハリスは、愛妻ジャネットと共に、プリマベラの民の生活向上に尽力した。

 やがて、近隣諸国から、商人や留学生が集まる賑やかで豊かな国となった。

 三人の子に恵まれた二人は、長く睦まじくおだやかに生きたという。

 そして。ほぼ同日に亡くなった二人の遺体は遺言通り、聖なる炎で焼かれた。

 炎はゆっくりとゆらゆらと燃え続け、その煙は氷雪山脈にたどりつき、雪をゆっくりと融かしていった。

 やがて、プリマベラに季節が巡るようになり、聖なる炎は消えた。

 しかし人々は、一年に一度、炎の塔に火を灯し、神に祈りを捧げ続けた。


 了

 





 

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