第二十二話 暁天

「私の知る限り、王杖に頼らず、聖なる炎を扱うのは困難だと思います」

 つめたい石の床に赤色のじゅうたんを敷き、車座に皆で座る。それでも、床は底から冷えるのか、ひんやりとしていた。

 ジャネットは、まだ起きているのが辛そうな父の背を支えながら、隣に座る。

 そうやって床に腰を下ろすと広いホールの天井はさらに高く、暗く見えた。

 壁際に置かれたランプはあたりを明るく照らしており、長いいくつもの影を揺らす。ここにいるのは、ジャネットとデニスの他には、メンケントと銀龍、ハリスとビュラ、そしてヴィズルだ。

 デニスの言葉を聞く皆の顔は一様に厳しい。炎を制するための方法を見つけなければ、国をひっくり返すことはできないからだ。もはや後戻りすることができる段階ではない。

 脱出行から、二日目の深夜を迎えようとしている。

 反乱軍の銀龍とメンケントはともかくとして、ハリスやビュラ、ヴィズルは、公人としての立場があって、こうしてここにいる理由づけは、なかなかに苦しい。

 まして、南の離宮を破壊して逃走したジャネットとデニスに至っては、完全に追われる立場である。長い時間はかけられない。

 そして、それらの人間たちを見下ろす位置にあるバラフの祭壇の前には、杖と宝玉が置かれていた。杖は銀色に光り輝いており、上部は炎をかたどっていて、宝玉がはめられるようになっている。

 バラフの神像は、憂いを含んだ表情だ。右手には龍を抱き、左手は地を指さし、風をはらんだかのようなドレスをまとう。龍は、銀色に光り輝き、目に炎を宿した夫ピュールの化身だ。

 ハリスと想いが通じた今だからこそ──ジャネットには、バラフの怒りと悲しみが理解できる。夫に裏切られても、バラフは夫を愛している。愛しているからこそ、この土地を憎むのだ。

「しかし、ほかに方法がない」

 ハリスが苦い顔をする。

「もちろん、帝王そのものを害すれば、王杖は手に入る。しかし、犠牲は大きくなるだろう」

「プランそのものとして、儀式と平行にそちらも視野に入れて行動すべきではないだろうか」

 銀龍が、静かに口を開く。

「どれほど、秘密裏に事を運んでも儀式が失敗したとき、帝王に気づかれない保証はない」

「私もそう思います」

 ビュラが険しい顔で頷く。

「聖なる炎を皇子が手にしたとしても、玉座を素直に皇子に渡さない可能性もあります。武力を全く使わずに制するのは、難しいかもしれません」

「無血で出来るとは、思ってはいない」

 ハリスの言葉は重々しい。少なくとも、ザネスとの対決は必要だ。

 肉親の情愛はないとは聞いているが、それだからこそ、余計にジャネットの胸は痛む。

「儀式と同時進行で、武力制覇も行う。帝王もそうだが、宰相はムファナと組んでいる。武力を持っているだけに、侮れん」

「その儀式というのは、具体的に何をするのですか?」

 ジャネットが遠慮がちに口を開いた。

「炎の塔の祭壇に供物と祈りをささげ、継承を宣言すればいい」

 儀式について書かれているものは全て皇族に伝えられている。

 秘伝とはいえ、ザネスは、その資料をハリスが見ることを禁じはしなかった。王杖が手元にある限り、その力を奪うことは不可能だとされている。だからこそ、デニスの研究も容認したのだろう。そして、ザネスに利するところがあったがゆえに、デニスは皇族以外が見ることは禁止であるはずの古文書に当たることができたのだ。

 供物は紅蓮石と火酒。バラフの神殿そばにある湧水池の水。捧げるべき言葉もわかっている。

 ただ、デニスの調査によれば、王杖の製法だけはどこにもなかった。故意にザネスが隠したのか、それとも、もともとないものなのか。記録によれば王杖は、始祖から現在まで、新しく作り直されたことはない。

 そうなると、エーラッハの遺骨ではないかという説も真実味を帯びてくる。

 もっとも、ハリスの幼い時に一度だけ見た記憶によれば、銀色に光る杖に文字が刻まれたものだったらしい。タペストリーなどに残されている絵画などでも、杖は銀色に描かれている。

 結局、王杖は、ハリスの記憶とそうした資料を突き合わせながら、白金で作られた。もっとも、無垢なままで、文字は刻まれていない。

「何にしても、儀式がうまくいくかどうかは、この作った王杖を火の神が受け入れてくださるかどうかですね」

 メンケントが、銀に光る杖を見つめた。

「一つだけ、私がお役に立てることがございます」

 デニスはそう言って、ゆっくりと立ち上がる。ふらつくデニスの身体をジャネットは慌てて支えた。

「伝承が確かならば……」

 言いながら、デニスはバラフの祭壇に向かう。

 そして、バラフの右腕の大きな龍の目に触れた。

 はめ込まれた目は簡単に外れ、デニスはその奥に指を差し入れる。

 ぎぃぃという音がして、バラフの左手が指していた床がぽっかりと穴をあける。

「階段だわ」

 ジャネットが驚きの声をあげた。

 長く暗い階段が下へと降りて行っている。

「この道は、東の丘の炎の塔の地下まで続くはずです」

 デニスはそう言った。

「もともと帝王たちはこの神殿で、バラフに許しを願ってから、継承の儀式に望んでいたようです」

「バラフに許し?」

 ハリスの言葉に、デニスは頷いた。

「バラフの怒りさえ鎮まれば、聖なる炎は要りません。もっとも、東の丘まで歩くことがたいへんであることから、いつからか馬車を使って移動するようになり、今ではそれすらも省略されました。もっとも、面倒で省いた訳ではなく、継承の際のみに行うより、建国式典のたびに神官が行う方が良いとの判断だったようですが」

「バラフの怒りか……」

 銀龍が女神の神像を見上げる。

「恨むなら、浮気な夫の方にしろと思うけどね」

「フレデリック!」

 メンケントが、声を上げる。銀龍は、肩をすくめた。

「では、まず、バラフに許しを乞うための儀式を行い、ここから炎の塔へ向かおう。地下を通っていくならば、少なくとも塔に着くまでは気づかれまい。ビュラは、兵をまとめて待機。連絡があったら、直ちに城を囲め。ヴィズルは、ビュラと行け。デニス殿はここで待機」

 ハリスは、見回しながら指示を出す。

「儀式後、メンケントとジャネット、それからルードと俺で、炎の塔に向かう。銀龍、お前は、ムファナの気をそらしてほしい」

「方法は?」

「任せる」

「では、魔術師殿の妹御をお借りしましょう。遠目で見ればよく似ていらっしゃる──大丈夫。危険な目にはあわせませんよ」

 一瞬、ジャネットと目が合った銀龍は慌ててそう言った。

「あなたを信じるわ。フローラをお願いね」

 もともと。前回はフローラは自らの意志で銀龍と共に戦っていた。ジャネットほどではなくても、フローラも戦える。そのことに心配はない。

「夜明けとともに儀式を始める。準備を始めてくれ」

 ハリスの言葉に、一同は静かに頭を下げた。



「お姉さま、お父さま。私、行きます」

 まだ暗い闇の中、フローラはそう言った。

 ジャネットは神殿の戸口でデニスを支えながら、フローラを見送る。

 戦いに駆り出されるのは初めてであるが、フローラの表情に不安の影はない。むしろ、すっきりとした顔であった。

「気を付けて。紅蓮石があっても、頼りすぎてはだめよ。魔力は有限なのだから」

「わかっています。お姉さまには負けますが、私は、これでも、優秀ですのよ。それに私は嬉しいのです。苦しむ人に何かを強いるのではなく、そんな人たちのために持てる力を使うのですもの」

 そういって、フローラは微笑む。採掘場の現場は、フローラにも辛い日々だったのだろう。

浴びせられる怨嗟の言葉は、フローラの心を傷つけていた。そして、フローラを守って矢面に立ち、ジャネットが傷ついていくこと、それが何よりフローラには辛かったのかもしれない。

「娘を……頼みます」

 デニスは軽く咳きながら、隣に立つ銀龍に頭を下げた。

 さすがに夜明け前の空気の冷たさは、体にこたえるようだ。

「ご心配なく。危険な目には会わせませんから」

「あら、私、本当に優秀ですのよ? お姉さまが凄すぎるだけ」

 フローラは口をとがらせる。

「ラスアとグルマスが守ってくれるわ。あなたが優秀なのはわかっているけど、過信しないでね」

 ジャネットはそう言いながら、銀龍の後ろに控えていたラスアとグルマスに、頭を下げた。

「お姉さまこそ、無茶をしないで。私よりよほど無茶なんだから。お父さまも、早くベッドでおやすみください」

「魔術師殿は、確かに無茶な人だ」

 くすり、と銀龍が笑う。

「しかし、だからこそ世界が動く。あなたと世界を動かせること、嬉しく思います」

「世界は変わるかしら」

 ジャネットは呟く。

「変わります。あなたが望むなら。暁天の空がやがて青く澄み渡るように」

 仰いだ空の星が、しだいに遠くなる。夜明けが近い。

「信じたいわ」

 ジャネットは微笑む。すべてが変わり始めることを、信じて。



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