第十九話 脱出
「どちらから、お帰りで?」
「そうねえ。とりあえず、中庭は却下ね」
グルマスの問いにジャネットは答える。中庭に逃げた場合、敷地の外に出るまでが長い。乗ってきた馬車がもとの場所にあるとは思えない。仮にそこにあるとして、ジャネットはともかく、デニスにそこまで走る力が残っているかどうかも疑問である。
「壁に穴をあけるのもやめた方がいい。一応、この部屋の上は火の神の神殿。塔を崩壊するようなことは、しないほうがいい。神の怒りを万が一にも買うのは賢明ではない」
デニスはそう言いながら、入口の扉を指さした。
先ほどジャネットたちが入ってきた扉だ。二重の扉の向こうには、先ほどは将軍と帝妃がいたが、今はもういないだろう。
「魔封じの障壁は、私が解除しよう。ジャネットは、紅蓮石を使って扉を破壊しなさい。石は、二つもあれば十分だろう」
「正面からということですか?」
デニスの言葉をグルマスは確認する。
「おそらく、真正面の部屋にも警備はいるだろうが、中庭の比ではない。それに紅蓮石を持っているジャネットの敵ではない。それに廊下は狭いから、それほど援軍はこないだろう」
「なるほど」
「グルマス、小さいのでいいから、紅蓮石を少し持っていってもらえるかしら?」
ジャネットは、握りこぶしくらいの大きさの紅蓮石を扉に二つ並べながら言った。
「なんでしたら、何かに入れて全部持ちましょうか?」
無造作に積まれている紅蓮石は、かなりの量がある。
「ここを抜けるためには、そんなにあっても仕方ないわ。二つほど持っていって。石だけあっても、私の魔力が持たないし、荷物を増やしてはダメよ」
「わかりました」
グルマスは石を懐にいれ、部屋のすみにあった長い柄のモップを手にした。
ジャネットは、自分も石を手にする。そしてデニスを支え、入口に立った。
「私の術式が完成したら、一息に行け。スピードが勝負だ」
「わかりました」
デニスは、扉に向かって、陣を描く。
魔術封じの障壁に刻まれたものを丁寧に読み解き、逆転させていく。障壁を作った人間との魔力勝負である。だが、この国で、デニスに対抗できる魔術師はそうはいない。
病み衰えたとはいえ、デニスはいとも簡単に障壁を消滅させた。
「炸裂せよ」
すかさず、ジャネットは念を込めて命ずる。
紅蓮石は、轟音を響かせ爆ぜた。
同時に、扉と壁の一部が吹っ飛び、炎がジャネットを中心に半円状に広がりながら走る。
「行くわよ」
ジャネットは、大きく穿たれた穴の前に立つ。
炎と粉塵の向こうに、たくさんの火と影がある。悲鳴と命令の怒号。
爆風に飛ばされたのか、人が折り重なるように倒れている。
ジャネットは手のひらに紅蓮石をのせた。
紅蓮石は、燃えさかる炎に呼応してざわめいている。
「炎よ」
ジャネットは呪をとなえる。
紅蓮石は、その声に応えた。
火柱がジャネットの手のひらから真っすぐに走る。
悲鳴が上がった。
ジャネットは、手のひらの石を指ではじいた。
「粉砕せよ」
前方へ飛んだ石が砕け散る。
燃えさかる炎が拡散した。
ジャネットの前に、炎によって道が切り開かれていく。
「紅蓮の魔術師だっ」
恐怖にいろどられた悲鳴。その名に怯えて退いてくれればありがたいが、そうもいかないようだった。
「私が先に」
グルマスがジャネットの前に立ち、炎の壁をぬけ躍り出てきた兵士の突き出された白刃をモップで叩き落とした。モップの繊維に火が付いたが、グルマスはそのまま、振りまわす。火の粉があたりにまき散らされた。
「冷気だ!」
デニスが叫ぶ。
目の前の扉が凍り付き始め、床に霜が降り始めた。
冷気に押されて火勢が弱まってくる。おそらく数人でジャネットを止めようという意図であろう。複数の人間の魔力が感じられた。
「グルマス、下がって。どうやら、私と勝負なさりたいらしいから」
ことさらに大きな声で、挑発しながら、ジャネットは笑う。
まるで、悪党のセリフだな、と思いながら。ジャネットは、新たな石を扉に向かって飛ばした。
「燃えろ!」
ジュワッ
水蒸気が立ち上る。
もとより。紅蓮の魔術師の名は伊達ではない。それを相手に印象付けることは、これからも戦ううえで有利になる。実際にはかなりキツイが、それを見せてはいけない。
何人いるのか。複数の冷気が炎に反発する。
ジャネットは力を込める。涼し気な顔を張り付かせてはいるが、額に汗が浮かんでくる。体中からくみ上げた力をひたすら炎に注ぎ込んだ。
「灼熱の炎よ」
ジャネットの言葉に炎が呼応する。
冷気が、水蒸気とともに、火にのまれていく。
目の前に、青白い炎が立ち上った。
火勢が一気に強くなる──ジャネットの勝ちだ。
ジャネットは、息を整えながら額の汗をぬぐった。魔術師たちとの勝負には勝ったが、まだ終わりではない。
「ジャネット様、急ぎましょう」
グルマスが、燃えている扉を足で蹴破った。
すかさず、手にしたモップを旋回させる。
ジャネットは肩で息をしながら、後に続く。
足元には、失神した魔術師が数名。グルマスのモップの届かぬ位置で、兵たちがすきを窺っている。
「光よ!」
ジャネットは、光の玉を兵士たちの前に出現させた。
「弾けよっ!」
呪文と共に、光がスパークした。辺りが真っ白になる。
「ジャネット!」
ジャネットは、デニスに手を引かれ、手近な部屋に入り込んだ。
光の玉をスパークさせたあとだけに、世界が急に暗く感じる。
ジャネットは手探りで扉にカギをかけた。備え付けのカギなど、すぐに壊れてしまいそうではあるが、しないよりはましだ。扉の向こうには、まだ炎が燃えているのだろう。扉の鍵はやや熱を持っていた。
部屋は、誰もいないようだった。あまり使われていない寝具などの物置部屋だ。
やや薄暗い。窓は木戸で出来ているが、隙間から光が差し込んできている。目が慣れてきて人の顔がようやく判別できるくらいの明かりだ。
「湖だ」
肩で息をしながら、デニスが声を上げた。
デニスが開いた窓の眼下に、湖が見える。日が傾き始めているのだろう。水面はやや朱に染まっている。
「飛び降りるには無理があるな」
デニスが呟く。
「グルマス、少し時間を稼いで」
建物はギリギリのラインで建てられているようで、窓の下は崖。水面までの距離はかなりある。
「わかりました」
グルマスは、置いてあった寝具を扉の前に積み上げていく。魔術の前には無力でも、物理的な攻撃には多少なりとも時間は稼げるとの読みであろう。
「どうするつもりだ、ジャネット」
扉の向こうが騒がしい。ドンドンと扉が揺れ始めた。
「お父さま、氷の魔術をお願いできますか?」
「氷?」
ジャネットは、説明する間を惜しむように目を閉じた。
紅蓮の魔術師の二つ名にふさわしく、ジャネットは炎の魔術に長けている。だが、他の魔術が使えないわけではない。そうでなければ、式典の魔術師には選ばれない。
──青の雫があれば、よかったのだけど。
ジャネットは、眉をしかめた。
水の魔術を使うには青の雫と呼ばれる結晶石がある方が良い。これは紅蓮石と同じで、それがなくても使うことはできるが、ない場合は、魔術師本人の力に大きく依存するため、体力の消耗が激しい。それでも。
──やるしかない。
ジャネットは、湖をみつめる。
「水の龍よ!」
ジャネットの言葉に呼応して、巨大な水柱が湖から立ち上がる。水で出来た龍はうねりながら、窓際まで昇ってきた。水で出来たその体は、水流が渦巻いてできている。
「凍結せよ!」
ジャネットの意図を読み、デニスが昇ってきた龍にめがけ氷魔術をとばし、その水流を固定する。窓から湖まで、放物線のような氷の滑り台が現れた。
「急げ!」
デニスが叫び、氷の上へと跳び、滑り降りていく。
扉は今にも破られそうで、ミシミシと音を立て始める。グルマスは、必死でその扉を守るべく、障害物を積み上げ続けていた。
「そこはもういいわ。こっちへ来て、グルマス! 紅蓮石を」
肩で息をしながら、ジャネットはグルマスを呼ぶ。
そのまま氷の上へと跳ぼうとして、体がぐらりと揺れる。
「無茶をなさる」
崩れ落ちそうになったジャネットはグルマスに抱き上げられた。
「このまま、跳びます」
グルマスの言葉にうなずき、抱きかかえられたまま、ジャネットは魔力ごと扉に石を叩きつけた。
「炸裂!」
轟音が鳴り響き、熱風が部屋から噴き出す。
ジャネットを抱えたグルマスは、窓から跳んだ。
どんどん溶けていく氷の滑り台を滑り、朱色に染まる水へと飛び込み、激しい水音がした。
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