第十八話 父娘

「ジャネット様、お待ちを。とりあえず、窓を閉めましょう」

 グルマスはそう言って、部屋に一つだけの窓を見上げた。

 どうやら、窓の開閉そのものは、壁際の紐を引くことでできるようだ。グルマスは、慎重に移動して、窓を閉じる。

 暗闇になるのを待って、ジャネットは光を灯した。

「お父さま」

 ジャネットは、グルマスが頷くのを見て、ベッドのほうへと近づいた。

「なぜ、こんなところへ」

 ベッドで身を起こしたデニスは、戸惑いの表情を浮かべている。

 病み衰えてはいるものの、髪も髭も整えられてはいる。寝具も、衣類も清潔だ。完全に劣悪な状態というわけではない。少なくとも罪人のように扱われていたわけではないことに、ジャネットはほっとした。

「聖なる炎について、知りたいからです」

 ジャネットは、単刀直入に切り出す。

「それは……」

 ゴホッ

 デニスが、苦しそうに咳をした。

「お医者様には、見ていただいているのですか?」

 父の背をさすりながら、ジャネットは問いかける。

 ふっと、デニスは苦笑した。

「そのお医者様に、殺されかかっているのだよ」

「え?」

 デニスは、ベッドサイドのテーブルに置かれた薬包紙を指さした。

「病に伏してから二か月になる。三日に一度、医者が来るが、置いていく薬は毒だ」

 デニスは苦く笑う。

「薬を飲み始めて気が付いて。飲むのを止めてはいるのだが、一度落ちた体力はなかなか改善しない。ひょっとしたら食事にも何かが入っているのかもしれないな」

「なぜ、お父さまを?」

「おそらく、陛下にとって欲しい研究データは出そろったからだろうね」

 デニスは、肩をすくめた。

「陛下は、『聖なる炎』を兵器として使いたいだけだから」

「でも……」

「いつか、こうなることはわかっていた」

 デニスはため息をついた。

「即、処刑しないのは、まだ何か私の研究が使えるかもしれないという、未練があるのだろう」

 欲張りなことだ、と、デニスは嗤った。

 デニスの研究の一部は、間違いなく『聖なる炎』による炎の制裁の精度を高めた。ザネスとしても、デニスを切り捨てるべき時期を見切れていないのかもしれない。

「ジャネット様」

 扉を調べていたグルマスが、声を上げた。

「どうしたの?」

「完全に閉じ込められたようです。施錠だけでなく、魔術による障壁も作られております」

 グルマスが渋い顔で、報告する。

「……私を閉じ込めて、何がしたいのかしら?」

 ジャネットは眉間にしわを寄せる。

「ハリス様が宰相の娘と無事婚約になるまでは、閉じ込めておくつもりなのか、もしくは、ジャネット様を殺すつもりでしょうね」

 先ほどの狙撃のこともある。殺意がないとは、とても思えない。

「おそらく。帝妃の温情を持って父親に会わせた紅蓮の魔術師が、父を連れて『逃走』しようと暴力を行使したので、やむを得ず殺害した……ということでしょう。それならば、陛下やハリス様にも説得力がある筋書きです」

 グルマスの言葉に、ジャネットは苦笑した。

「そうまでして、私を殺したい理由は何なのかしら」

「ジャネット様は、紅蓮の魔術師。その力は、陛下にとっても脅威です。陛下の脅威を皇子のそばに置いているのは、望ましくない。さらには、宰相閣下の意向も大きいかと」

 グルマスはふぅっと息を吐いた。

「宰相閣下は、昔からあなたを危険視している。リアナ様のことだけではありません。あなたに会ったせいで、ハリス様が自分に反抗的になられたと思っておられ、あなたを憎んでいる」

「どういうこと?」

「ジャネット様と知り合われる前のハリス様は、学業等は有能ではありましたが、世間や政治に興味を示さない方でした。ご自身の意見は黙して語らないようなところがおありで」

「それは……」

 たぶん、レリアット伯爵のことがあって以来、ハリスは慎重にせざるを得なかったのだろう。

「ジャネット様さえいなければ、いいように操れる。そう考えておられます」

「皇子は、そんなになひとじゃないのに」

 ジャネットは思わず笑う。

「実際にハリスさまがどんな方かは、問題ではありません。宰相閣下が、そう信じておられるというお話です。帝妃様と将軍閣下が、ジャネット様とハリス様の婚約に政治的意味以外のものがないと思っておられるのと同じこと」

「ジャネット、お前、皇子と婚約を?」

 デニスが驚愕の表情を浮かべた。

「お父さまはご存じなかったのですか?」

 一応、帝王の許可をもらっている『婚約』である。さすがに、連絡のひとつはあると思っていただけに、ジャネットは驚いた。

「外の情報は、ほとんど何も。待遇は悪いとはいわないが、完全に監視されていて、外に出れてもせいぜい、ここの中庭までだったからな。会う人間も限られている」

 病に伏してからは、外に出ることもできなくなったらしい。

「まさか陛下がお前と皇子の婚約を許可するとは……」

 デニスは眉をしかめた。

「お父さま?」

「陛下と皇子の魔力は、それほどの差がない。だが、帝妃さまとお前とでは、天地の差がある──ということは、『聖なる炎』を同条件で取り合えば、必ず、皇子が勝つ。危険な話だ」

 ジャネットは、デニスに言われ、無造作に置かれた書類を手に取った。

「歴代の帝王と、紅蓮石の消費量だ。この場合、紅蓮石の消費が多いということは、制御の魔力が低いということを意味するのだが……」

 デニスはページを繰る。

「この制御の力は、帝王の魔力もさることながら、宝玉に関与する「女性」の力も重要なのだ……もっとも、『聖なる炎』をあやつるのには、必ず王杖が必要だから、それが陛下の手にある限り、皇子が『聖なる炎』をあやつることはできないが」

「王杖無くして、制御は不可能ということですか?」

 ジャネットは、父を見る。

「王杖は、エーラッハの遺骨でできているという伝承がある」

「遺骨?」

 デニスは頷く。

「エーラッハは、バラフの怒りを鎮めようと願い、山に登って身を投げた」

「そうなのですか?」

 ジャネットにとって、建国神話は、式典の内容しか思い浮かばない。

 神と人の恋物語は、随分と遠い国のおとぎ話のようにしか思えないからだ。とはいえ、バラフの怒りは未だ吹き荒れ、聖なる炎は現実に存在する。神の力は、そこにあるものだ。

「その遺体を拾い上げたピュールが聖なる炎で焼き、その遺骨を息子に王杖として渡し、炎の力を与えた……」

 デニスは、息を継いだ。

「王杖をはじめ、聖なる炎の継承に必要なものは、すべて秘伝となっている。エーラッハの最期が、式典で省かれるのは、そのためだろう」

 実際。式典でも、炎を継承したのは、エーラッハの息子であって、エーラッハではない。

「長い帝国の歴史で、様々な実験を試みた帝王たちがいた。宝玉の力に、介在する女性の魔力が関係することはずいぶん前から知られていた。『妻』となるべき女以外に作らせた帝王もいたが、結局、伝承の方法以外で、炎を制することはできなかったようだ」

 デニスは肩をすくめる。

「聖なる炎は、神の力。そこに介在する力は、神が決めたルールで存在する。人が見出したルールで操る魔術とは別のものだ。長年、研究したが、結局、『聖なる炎』なしでプリマベラを守る方法はみつけられていない」

 言い終えると、デニスは再び激しく咳いた。

 デニスが目指していたものは、聖なる炎に頼らずとも、この地で生きていく方法を探ることだ。

 それは、未だ見つかっていないということだろう。

「お父さま……」

 ジャネットは、父の背をさする。

「ジャネット様、いかがいたしますか?」

 グルマスが遠慮がちに声をかける。

「面会は終わったから、帰らせてと言って、帰してくれそうもないわね」

 ジャネットは閉ざされた扉を見る。

「出口はそこだけですか?」

 ジャネットはデニスに問う。

「いや、そこにも一つ扉があって、中庭に出られるようになっている」

 デニスは、さらに奥の壁際を指さした。

「もっとも、『外』からしか開かない扉だが」

 グルマスは丁寧に扉を調べていく。扉の位置はわかるが、ノブも持ち手も一切なく、ほぼ壁のような一枚の金属板だ。

「……こちらのほうは、魔術障壁が作られてませんね。もっとも、扉そのものの素材は、魔術の干渉を受けにくく作ってありますが」

「そちらから出てほしいってことじゃないかしら?」

 ジャネットは肩をすくめた。

「中庭ということは、そこで囲むつもりかしら」

「考えられることではあります」

 グルマスは頷く。

「こちらが動くまで、放置するつもりか、それとも先ほどのように、あの窓から何か仕掛ける可能性もあります。なんにせよ、かごの鳥です」

「予想通りと言えば、予想通りね」

 ジャネットはそう言って、デニスを見た。

「お父さま、立って歩けますか?」

「私は置いていきなさい。足手まといになる」

 デニスの表情は険しい。

「ダメです」

 ジャネットはそう言って笑う。

「お父さまを救えないのなら、ここに来た意味がないわ」

「しかし──」

「お父さまには、王杖なしで、皇子が炎を制する方法を見つけてもらわなければいけないの」

 デニスは、ジャネットの顔を見つめた。

「皇子が立つことを決意された、ということなのだな」

 ジャネットは、小さく頷く。

「ならば仕方がない」

 デニスはそう言って、ベッドサイドに置いてあった薬に手をのばす。

「お父さま? それは毒だと……」

「ああ。でも、数時間は『元気に動ける』作用があるのだよ。薬がきれるとひどい状態になるがね。大丈夫だ。一度飲んだくらいで死にはしない」

 一見、治ったと錯覚するその薬は、いわば興奮剤だ。

 含まれる毒は微量ではある。

 ただ、体に疾患がある場合は、確実に命をむしばむものだと、デニスは説明した。

「……それで、どうやってここを出るか、考えているのかね?」

「特には。閉じているものは、開ければいいかな、と」

 グルマスは、表情を消して二人の会話を聞いている。

「お父さまに何かアイデアは?」

「あそこに紅蓮石がある」

 デニスは、部屋のすみに雑多に積まれていた紅蓮石を指さした。

「あら。では、お父さまも同じ考えなのね」

 クスっとジャネットは微笑む。

「出口がないのなら、作ればいい。ただし、その行動は予想されているとは思うがね」

 デニスは、薬を口に含んで、ゆっくりと立ち上がった。





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