第十七話 再会
『父に会わせてくれるなら、婚約を辞退する』
場合によっては、無視される可能性もあるとは思っていたのだが、ムファナからの返信は「承諾」を告げるものであった。
ムファナからの条件は、ハリスから贈られているネックレスの返還。これは、予想通りだ。
すでに、ジャネットの首には、ハリスから再び贈られた赤い宝玉のネックレスがある。
光沢は微妙に違う。話によれば、単純に紅蓮石を砕き、魔術で固めたものらしい。何日もかけて練りあげ、磨き上げる本物とは、内包する魔力の量が違うらしい。そしてそれが、光沢にも現れるとのことだ。
本物はジャネットの魔力を帯びて、ハリスから受け取った時より輝きを増した。まるで発光しているかのように、煌めいている。
ジャネットは、そっと指でなぞると、本物をハンカチでつつみ布袋にいれ、さらに銀貨と共に自分で刺繍して作った袋に入れた。
「ジャネットさま」
グルマスの声が、扉の向こうから出発の時刻を告げる。
「行くわ」
ジャネットは立ち上がり、部屋を見回す。望んだ生活ではなかったけれど、この部屋に戻ることはないだろうと思うと、それなりの感慨がわいてきた。
ジャネットは、目を閉じる。
ここに来たときは、絶望のどん底だった。状況は今もあまり変わらないが、出口は必ずあると、信じられるようになった。
──出口は、自分で作るものだわ。
ジャネットは、クスっと笑い、袋を片手に、扉のノブに手をかけた。
「お姉さま」
屋敷の外には、既にフローラとラスア、そしてワイルが馬車の前で待っていた。
馬車の御者台には、グルマスが座ることになっている。
「あらあら、大ごとね」
クスリと、ジャネットは笑う。
「ワイル、採掘場の方はお願いね」
「……かしこまりました」
眼光にすきがないワイルに、ジャネットは微笑む。この男は危険であるが、ジャネットの監視役だ。邪険にするのは、危険である。
「ラスア、あなたにこれを」
ジャネットは、ラスアに刺繍した袋を渡した。
「ジャネットさま?」
「今日は、フローラの誕生日なの。夕方には戻れるとは思うのだけど、叔母様の家に泊まるかもしれないから、これでフローラの好きなものを買ってあげて」
「承知いたいしました」
ラスアは、大切そうにその袋を胸にしまう。
ラスアとフローラは、ジャネットが出かけた後、買い物と称して出かけ、反乱軍のもとへ逃走することになっている。
袋の中身の意味も、ラスアは既に知っている──もう、後戻りは誰もできない。
「ありがとう。お姉さま」
そう言って、フローラがジャネットに抱きついた。
「あらあら。そんなに嬉しかったのかしら」
ジャネットはトントンと、フローラの背をたたく。
「……ご無事で」
耳元でフローラが囁き、体を放してからにっこりと微笑む。
「欲しい素敵な髪飾りがありますの! お姉さまもきっと気に入りますわ!」
「楽しみだわ」
ぎゅっとフローラの手を握り締め、ジャネットは笑い、馬車へと乗り込む。
別離に涙を見せてはいけない──ジャネットは、夕方には帰るのだから。フローラは、ただ買い物に出かけるだけなのだから──いつもと同じに。
そう自分に言い聞かせながら、ジャネットは車窓に目をやる。
今日の空は、一段と高く、眩しいものに感じられた。
ムファナに指定されたのは、やはりと言うべきか。南の離宮であった。
湖の青に映える、美しい建物である。
表門は、湖と反対側にあり、当然のことながら門兵が立っていた。
広い庭は、丁寧に管理されていることが見て取れ、花が咲き乱れている。
馬車はゆっくりと正面玄関までいき、停車した。
「ジャネットさま」
声をかけられ、ジャネットは馬車を降りる。
白亜の建物の壁は、思っていた以上に大きい。ジャネットは、大きく息を吐き、胸をはった。
玄関横には、武装兵二人に、従卒と思われる少年兵が一人立っている。
ジャネットは、ゆっくりと少年のほうへと足を向けた。
「紅蓮の魔術師さまですね?」
少年はジャネットに声をかけてくる。
「ええ」
「ムファナ将軍がお待ちです。こちらへ」
「待って。彼もいっしょでいいかしら?」
ジャネットは、後ろを振り向く。ジャネットの後ろからグルマスが、そっと頭を下げた。
「どうぞ」
少年は少し迷ったようだが、了承して先導する。
ジャネットとグルマスは、ゆっくりと少年の後を追った。
玄関の扉をくぐると、大きなホールになっていて、左右に廊下、正面に階段があった。天井は吹き抜けで、天窓から明かりが差し込んでいる。
大理石でつくられた床に、赤いじゅうたんが敷かれていて、階段わきには花が生けられていた。
華美なつくりではないが、ぜいたくな作りだ。室内は窓から十分に光が入ってきている。
ぐるりと見まわす限り、兵の姿はなく、思ったより警備の人数は少ないようだ。もっとも、玄関に一個師団がいるわけも、いる意味もないのだから、ここだけで判断するのは早いだろう。
ジャネットは、先日見た絵図面を思い出しながら、少年の後を追う。
案内されたのは、ピュール神殿のあると言われた塔につながると思われる扉であった。
「ムファナ様」
少年が扉をたたく。
すると、「入れ」という短い言葉が返ってきた。
「どうぞ」
少年が扉を開く。
部屋は窓が閉められていて、キャンドルの火がひっそりと燃えている。
全体的にやや薄暗い。香を焚いているのだろうか。甘い匂いが漂う。
部屋の奥には衝立があり、その手前に、将軍が立っていた。どうやら、貴人が衝立の向こうに座っているのであろう。そして、その奥に金属の扉が鈍く光って見える。
「失礼いたします」
ジャネットは丁寧に頭を下げ、部屋に入った。
「この度は、私の願いをかなえてくださると聞いて参りましたが?」
「そこへ、座るといい」
部屋の中央に置かれた簡素な椅子。まるで尋問を受けるようだ、とジャネットは思った。
とはいえ、そんなことを気にしても仕方がない。
ジャネットは、表情を変えずに椅子に座った。
少年は去り、グルマスは、扉を閉めて内側に立つ。
ムファナは、グルマスのほうに目をやったが、とがめる気はなさそうだった。
「そのまえに、殿下から受け取っていたものを、返してもらおうか」
ジャネットは、ムファナに視線を投げる。
「父に会わせてくださるのでしょう? 父はどこにいるのです?」
「先に、返してもらってからだ」
「返すのは構わないですが、約束は守っていただけるのでしょうか?」
「会わせてはやる。心配する必要はない」
──会わせてはやる、ということは、単純なご対面ではないということね。
ジャネットは、心の中で肩をすくめた。
とはいえ、そんなことは最初からわかっていたことである。
「なぜ、急に、婚約を辞退する気になった?」
ムファナは疑わし気にジャネットを睨みつけた。
「あら。私をバカだと思っていらっしゃるの?」
クスっとジャネットは笑った。
「最近、私、何度も死にかけました。理由は、閣下のほうがよくご存じかもしれませんね」
そう言って、ムファナのほうを睨みつける。意識をして、必要以上に挑発的な口調を使う。
「脅しに屈するわけではありませんが、正直、愛もないのに命を張るのは馬鹿らしいことだと思いまして」
ジャネットは、大げさに肩をすぼめた。
「もちろん、それらのことに証拠はありませんし、閣下を疑っているわけではございません。もともと、私は父を助けたくて、皇子の婚約者になろうとしたわけです。父に会えるのなら、何も命を狙われる立場でいる必要はないと思っただけですわ」
「それにしても、成人した娘が、いつまでも父親に会いたいというのは、親離れができておらぬのではないのか? そなたの父親は、尊い研究のために、陛下のおそばで働いているというのに」
意地の悪い笑みをムファナが浮かべる。
「そうですわね」
ジャネットは意識を集中した。
キャンドルの光が、突然大きく燃え上がり、一瞬、部屋が真っ白くなるくらい明るくなった。
「ひっ」
衝立の向こうから、女性の声がした。
「申し訳ございません。おっしゃるようにまだ、人間が未熟ですので、力も制御できないのですわ」
「……なんと、野蛮な」
おびえを隠そうとしてはいるものの、声が震えている。おそらくは帝妃であろう。
「成人した息子の結婚に異議を唱える母親は、子離れをなさってはいないのではありませんの?」
くすくすと、ジャネットは笑う。
「な──無礼なっ!」
ムファナが声を荒げた。
「約束は守っていただかなくては。私、気が変わるかもしれませんことよ」
ジャネットは、そう言って立ち上がる。
「お前が約束を破らないという保証は?」
ムファナが叫ぶようにそう言った。
「ないですわね。ただ、父と話をして、父が『望んで』陛下の下で研究をしているとわかれば、私は皇子と結婚する必要はなくなります」
「殿下は、納得するのか?」
「さあ? 紅蓮の魔術師の力、どれほど皇子が欲していらっしゃるのかは、存じませんので」
ニヤリと、ジャネットは嗤う。自分でも、酷い言動だと意識はしているが、ここは徹底的にムファナと帝妃の思うとおりの『火種』としての自分を演じきってみせようと決めていた。
ジャネットとハリスの間に、愛は存在しない。あるのはお互いの損得勘定だけ。ムファナと帝妃が信じる通りの関係を強調する。
「ムファナ」
衝立の向こうから声が聞こえた。
「良い。しょせんは、政略結婚。その娘の魔力など、帝王の座を継承することにくらべれば、些細なこと。宝玉さえ返却されれば、ハリスも納得するであろう──予定通り、会わせてやるがよい」
「承知いたしました」
ジャネットにしろ、『正直に』行動しているとは言えない。お互い様だ。
「こっちだ」
ムファナは立ち上がった。ジャネットは、その背を追う。
衝立の脇にあった金属の扉の前にムファナが立った。
「宝玉を渡せ。本物ならば、この扉を開けよう」
ジャネットは、ゆっくりとネックレスを外し、ムファナに手渡した。偽物とはいえ、ハリスの魔力とジャネットの魔力は若干ながら溶け合っている。よほど魔術に素養がなければ、違いに気づかないはずだ。
「間違いなく魔力を帯びている……継承の宝玉に間違いない」
ムファナから受け取ったのであろう。女性が断言した。
ジャネットは内心、胸をなでおろす。
第一関門、突破だ。
「案内してやると良い」
「承知いたしました」
ムファナは頷き、扉を開いた。
扉を開くと 正面にもう一つ扉があり、上に登っていく階段の踊り場があった。
「ここだ」
ムファナが扉を開く。
全体的に暗い。
外光が細長く、部屋の中央を照らしている。
窓は一か所だけのようだ。しかも、かなり高い位置だ。天井も高い。
研究室なのだろう。実験器具が、陽の光に照らし出されている。隣には雑多に書類が積まれ、暗い部屋の片隅には紅蓮石が積まれていた。
光の帯の向こうで、見えにくいが、どうやら奥にはベッドが置かれているようだ。
ゴホッゴホッと、激しく咳く音。
人の気配だ。
「お父さま?」
ジャネットは声をかけた。
「ジャ、ジャネット?」
弱々しいかすれた、それでいて懐かしい声。
「お父さま!」
ジャネットはベッドに向かって駆け寄ろうとした。
「ジャネット様っ!」
光の帯から風切り音がして。
ジャネットはグルマスに突き飛ばされ、床に転がった。
ガシャン、と何かが閉まる音。そして、再びの風切り音。
「光よ!」
冷たい床に転がりながら、唯一の窓に向かって、光の玉を飛ばす。
「弾けよ!」
ジャネットは光を窓のそばで激しく発光させた。
部屋全体がまばゆく、白くなる。おそらく、『外』で、中を覗いていた者の目も激しく焼いたであろう。
発光がおさまると、部屋に色彩が戻ってきた。
「ジャネット様、ご無事ですか?」
「ええ」
ジャネットはグルマスに助けられながら、身を起こし、辺りを見回した。床に、矢じりが二つころがっていた。
「グルマス、あなたは?」
「大丈夫です」
グルマスはそう言ったが、見れば、右の腕に血がにじんでいる。
「怪我をしているじゃない。早く手当てを」
「かすり傷です」
ジャネットは、ハンカチをとりだしてグルマスの傷口を押さえた。幸い、深い傷ではなさそうだ。
「これはいったい?」
言いかけて。
ムファナの姿は消え、扉は閉じられているのに気が付いた。
「ジャネット?」
弱々しい声と共にベッドから人が起き上がる。
「お父さま?」
それは、やせ衰え、明らかに病に蝕まれた姿のデニスだった。
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