第十六話 決断
「デニスが南の離宮にいるのは、まず間違いないだろう」
「やはりそうですか」
ヴィズルが頷く。
暗い岩窟の中、灯された明かり。水音が絶え間なく響く。
「紅蓮石の使用量を調べた。南の離宮への搬入は、必要以上に多い。デニスの実験のためのものだと考えていい」
「こちらを」
ルードが懐から絵図面をとりだした。南の離宮のものだ。
湖に面した側に本館と呼べる建物があり、シンメトリーになった左右にふたつの塔がある。
周囲は堀がめぐらされ、石塀。かなり、守りが堅いつくりだ。
もともとは、先帝の母親が湖の景色を気にいって作らせたらしい。
内装は簡素ではあるが、警備はしやすいようにできている。ふたつの塔のひとつはピュールの神殿。もうひとつは星見台となっているらしい。
「おそらく、デニスがいるとしたら、このピュール神殿のある塔だ」
神殿の地下には、神官用の部屋が作られていたのだが、現在、神官は常駐していない。
「それで?」
銀龍が口を開く。
「軍を動かして、制圧するのは簡単だ。しかし、それでは『聖なる炎』の秘密を知る前に、炎の制裁が発動されてしまう」
「……父が、聖なる炎を制するための答えを知っていればいいのですが」
ジャネットは胸元のペンダントに触れる。赤い石がきらりときらめいた。
「離宮の警備兵の定期連絡は、一週間に一度。幸い、離宮の周りは民家もほぼない。少人数で攻略し、情報網を遮断すれば、少なくとも一週間は猶予があるということだ」
「しかし、儀式をおこなったりするのであれば、一週間で足りるとは限らないのでは?」
メンケントが眉をよせた。
「一週間で、離宮は引き払う予定だ。炎の制裁を直接止めることはできないが、紅蓮石のルートは止められる。潜伏しながら、紅蓮石を強奪して時を稼ぐ……いささか、乱暴ではあるが」
「石がなくても、たとえ炎が消える可能性があっても、炎の制裁を決断する可能性もあるのではありませんか?」
メンケントが苦い口調でそう言った。
「……もし、炎が消えたなら。この地は神に見捨てられた土地になりましょう。人が住めぬ土地になります」
「いずれにしても、デニスが答えを持っていた場合の話だ」
ハリスの顔は険しい。
「持っていなければ、ザネスを殺すしかない」
ジャネットは思わずハリスの顔を見る。ハリスの表情は変わらない。
「そんな顔をするな。俺はザネスを父と思ったことはないと言っただろう?」
「……ええ」
わかってはいても、辛い。自分の父を救ってもらうために、ハリスを親殺しにしたくはない。
たとえ、本当の父親じゃないとしても。
「最初から、ザネスだけをターゲットにするという方法は?」
銀龍が口をはさむ。
「それも考えはした。しかし、ガードが堅い。ザネスは誰も信用してはいない」
ハリスは肩をすくめる。
「王杖だけ奪う方法も、さぐったが、隙がない。もっとも、俺が信用されていないからで、宰相辺りを抱き込めれば、うまくいくかもしれないが……」
「宰相殿は信用なりません。味方にするのは簡単でしょうけど」
ルードはそう言って、ジャネットに目をやる。
「そうね。皇子が、リアナ様をお選びになれば……」
「その話は、却下だ」
ハリスは不機嫌にそう言った。
「そもそも、宰相は、ザネスの一番の忠臣で、甘い汁も一番吸っている。裏切ってこちらに来たとしても、それはただの日和見であって、同じことをしようとするだけだ」
「あの」
ジャネットは、意を決して口をはさむ。
「私、ムファナ将軍と取引をしようと思います」
「ムファナと?」
「以前、皇子との婚約を辞退するように言われて、父と会わせてくれるなら考える、と答えました」
「ジャネット!」
ハリスの抗議をジャネットは笑みで制した。
「あらかじめ父が答えを持っているかどうか確認しておけば、その場で助けることができなくとも、計画の立て方が変わります。もちろん、父を助けたいですけど。でも、聖なる炎による炎の制裁を防がなければ意味がありません」
「……しかし、ムファナ将軍は魔術師殿を暗殺しかねない。取引に応じるふりをして、何を仕掛けてくるか」
ルードが顔を曇らせる。
「それは、そうですけど。でも、私ひとりの問題ですわ」
ハリスが兵をあげてしまえば、後戻りはできない。
ジャネットひとりの行動であれば、失敗しても立て直すチャンスはいくらでもある。
「どちらにしても、父が答えを持っているかどうかを確かめなければ」
「先方さんが、魔術師殿が自ら婚約を解消するっていうことを本気にするかどうかも、問題なんじゃないか?」
銀龍が疑念を口にする。
「それに関して言えば、魔術師殿からおっしゃっていただく分には将軍は納得なさるかと」
ルードが答えた。
「将軍も帝妃さまも、魔術師殿は身分違いを理由に、ハリスさまにふさわしくないと思っていらっしゃる。しかしながら、ふたりのご結婚は政治的なものだとお考えです」
「ジャネットを殿下のお相手に推して以来、私も帝妃さまの風当たりが強くなりましたね」
ヴィズルが肩をすくめる。
「さらに申し上げると魔術師殿は、『婚約者』にもかかわらず、ご自覚が乏しい……いえ、ふさわしくないという意味ではなく、これはハリス様のほうに問題があると思いますが」
「意味が分からないのですが?」
ジャネットは首をかしげる。
銀龍は面白そうに笑った。
「なるほどな。確かに、魔術師殿は、自分の価値をまったくわかっていないから、婚約を解消してもおかしくはないわけだ」
「しかし、宝玉を渡すことなどを条件にされる可能性はあるかもしれません」
「これのこと?」
メンケントの言葉に、ジャネットは、首元のネックレスに触れた。
透き通る、赤く美しい玉。角度を変えるたびに光に反射して、きらめく。
「その可能性はあるな」
ハリスの顔が険しい。
「もっとも、ムファナに、宝玉の魔力を見極める力はないとは思う。模造品でもごまかせるとは思うが」
「魔力?」
「その玉は、紅蓮石の粉末を殿下の魔力で練りあげたモノ。現在は、ジャネットの力もまとって輝きを増している」
ヴィズルの言葉に、ジャネットは驚く。
「では──これが、聖なる炎の継承に必要な宝玉なの?」
「驚くことじゃないだろう? お前は俺の婚約者なんだから」
ハリスの声はムッとしている。
「なるほど。魔術師殿がこの反応なら、婚約解消するといって信じる輩はいるかもしれん」
銀龍が頷いた。
「帝妃さまは宝玉の本物を見ているとはいえ、魔術師殿とは魔力が違います。ここまで煌めく玉ではなかったはず。模造品でも、大丈夫かもしれません」
ジャネットは、ルードの言葉を聞きながら、宝玉を見つめる。
前回も……そう。前回もこの宝玉をハリスから贈られていた。ハリスは、前から『炎を制する』つもりだったのだろうか?
どうして、自分は全く気が付いていなかったのか。
父を助けてほしいと哀願しながら、ハリスのことをまったく見ていなかった自分に気づく。
「ジャネット?」
ハリスの不思議そうな声。
「私はなんて馬鹿だったの……」
ジャネットは呟く。
あの時、ルードの手を振りほどき、逃走した。ハリスに裏切られたと、思い、絶望した。
だが、ジャネットは、父がハリスに処刑された『現場』を見てはいない。
ラニアスが、ザネスの封書を手に、そう言っただけ。
今さらながらに、そのことに気が付く。父は、本当にハリスに処刑されたのだろうか?
──それすらも、わからない。
込み上げるこの気持ちは、後悔なのか、それとも違う何かなのだろうか。
自分でもわからず、ジャネットは、そっと目を伏せた。
コホン、と、メンケントが咳払いをした。
「殿下と、魔術師殿のコミュニケーション不足は、いずれ埋めていただくとして。確かに、魔術師殿が動いてくださるのであれば、デニス氏の救出で炎の制裁が発動することはないでしょう」
「しかし、危険です」
ルードが異を唱える。
「危険は、承知しております。でも、私、こう見えても百戦錬磨の手練れですのよ」
ジャネットはそう言って、銀龍のほうを見て笑う。
銀龍は、ふむ、と頷く。
魔術に関して言えば、帝国内でジャネットに対抗できるのは、デニスと銀龍、それにヴィズルくらいのものだ。
もちろん、例外は、ザネスの聖なる炎ではあるが。
「それはそうかもしれませんが、あちらも魔術師殿の魔術を封じる手段を考えておりましょう」
「どんな方法を取ったとしても、危険はつきものよ。それなら、犠牲が少なく、少しでも可能性の高い計画を実行すべきだわ」
「無駄だ、ルード」
ため息を一つついて、ハリスが苦笑いを浮かべた。
「この目をしたジャネットは、止められない。それに──この目をしているなら、ジャネットは負けないだろう」
ハリスの言葉に、ルードは「しかし」と異議を唱えようとする。
「ジャネットさまは、私が命に代えましてもお守り致します」
ずっと一歩下がった位置にいたグルマスが、そっと口を開いた。
「おそらく、お止めしても無駄です。ジャネット様は、そういう方なのですから」
「そうだな。止めたところで、自分が決めてしまったら勝手にやるだろう。勝手にやられては、フォローができない」
ハリスが肩をすくめてそう言った。
「……何か、ひどい言われようですけど」
ジャネットは口をとがらせた。
「それが魔術師殿が変革の旗印であるゆえんです」
メンケントが静かに口を開く。
「あなたは、闇を照らす炎。我らは、その光に魅かれて集ったのですから」
「……かいかぶりよ」
ジャネットは、苦笑した。実際、自分のしたことは、大したことではない。
軍を取りまとめていたのはハリスであり、反乱ののろしを上げたのは、銀龍とメンケントだ。
前回は、流されるように生き、終わった。今度は、同じ終わるにしても、自分で選び、進みたい。
だからこそ、憂いは断っておくべきだ。
「ひとつ、お願いがあるのですが」
ジャネットは、銀龍とメンケントを見る。
「あなたがたに妹を、預けたいのです」
前回は、フローラは自分の意志で銀龍のもとへと行ったのではあるが。
今回、フローラはまだ、ジャネットのそばにいる。このままそばに置いておいては、危険だ。
「帝王ザネスの目から見えないところに隠しておきたいの」
「……承知した」
銀龍が重々しく頷いた。
岩窟での会談が終わったあと、ジャネットとフローラは、ハリスとともに、湖岸で食事を楽しんだ。
念のため、銀龍たちとは岩窟で別れた。
なんにしても、慎重に事を進めなければならない。
日が傾き始めたころ、ひとときの安らぎの時間は終わり、ジャネットたちは馬車に乗り込む。
蹄の音が規則的に響き、カタカタと車内が揺れた。
「ねえ、フローラ。お願いがあるの」
ジャネットは切り出す。
「お父様を助け出そうと思っているの。だから、あなたを、あるひとに預けようと思っているわ」
フローラは、驚いたように目を開いた。
「お姉さま、ひょっとして、無茶なことをなさるおつもりですか?」
「そうね。たぶん、二度と今の生活には戻れないわ。あなたにも苦労をかけてしまう。ごめんなさい」
ジャネットは、言いながら、フローラの手を握る。
フローラは、首を振る。
「私、お姉さまが辛い思いをしている今の生活に未練はないです。ただ、また、お姉さまが怪我をなさったらと思うと……」
「そうね。大丈夫とは、言えないかも」
正直にジャネットはそう告げる。
「でも、このまま何もしないでいても、良い方角に変わることはないと思うの」
ただ、待っているだけでは、前回と同じになってしまう。
同じ『死』が待つにしろ、自分で選び取った道を進みたい。
フローラは、ジャネットを見つめ、頷く。
「……もう、止められませんね」
「ごめんなさい」
「でも、安心しました。お姉さまのその目。私の大好きな輝きが戻っていますもの。ずっと……ずっと哀しそうで、消えてしまいそうでしたから」
フローラは、そう言って微笑む。
口には出さぬものの、ずっと姉の変化に心痛めていたのであろう。
負傷して、目覚めてからずっと、ジャネットは常にすべてを諦めていた。
「私にできることはありますか?」
フローラの瞳に強い光が宿る。
「もし、私に何かあったなら」
ジャネットは、ぎゅっとフローラの手を握り締めた。
「今度は、あなたが変革をめざして」
「それは無理です。だから……お姉さまは、どんなことがあっても戻ってこなければ、ダメです」
フローラはそう言って微笑む。ジャネットはフローラをそっと抱きしめた。
馬車はゆっくりと、夕闇の道を走り続けていた。
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