幕間 予感
『聖なる炎』
それは、帝王の権力の証であるから、何をやるにも『慣例』に従って行われてきていた。
慣例を最初に破ったのは、帝王ザネス。
本来なら、聖なる炎は帝国を温めるために、ただ、燃え続けるだけのものだ。火を絶やさず、北の凍土に季節をつくっていく──歴代の帝王たちは、聖なる炎を燃やすことで特別であり続けた。ザネスは、その炎を自在に操ることにより、意に染まぬモノや街を焼いた。
命をはぐくむ炎は、命を脅かす炎となったが、北の凍土の民は「聖なる炎」なしでは生きていけない。
憎み、悲しみ、おびえようとも、聖なる炎をあやつる帝王に逆らうことはできないのだ。
そんな中、『聖なる炎』を研究しようとした男がいた。
その聖なる炎を燃やすには、紅蓮石がいる。
その量の適正値の研究から始まり、神の力がいかにもたらされるかの『タブー』を無視した研究にまで手をのばした。
やがて──その男の研究は、帝王の知るところになった。
もとより、神への畏敬などないザネスである。男の研究を面白がった。
しかし、その男がどんな意図でその研究をしているかも、もちろん知っていた。
宮殿の門前で騒ぎ立て、火をつけたという咎で魔術師が捕まった、と聞いて、ハリスは驚いた。
燃やしたといわれる扉は、対魔術がほどこされ、ちょっとやそっとのことで燃えるはずのないものである。
そこまでの魔術を操りながら、けが人はいないらしい。
話を聞いてみると、どうやら、先日
役職はともかく、実際には幽閉されたデニスの安否を気遣ってやってきたのであろう。
──気の毒なことだ。
タブーをやぶり、聖なる炎を研究するという時点で、家族はその男を諦めるべきなのだ。
帝王ザネスに情など、通じないのだから。
「例の騒ぎの女を連れてまいりました」
玉座の前にムファナの手で引き出されていたのは、まだ少女の面影を残した女性だった。
猿ぐつわをかまされ、腕を後ろ手にされ手枷をはめられている。そして、無造作に、投げ捨てるように赤いじゅうたんに転がされた。
美しい金髪は乱れ、顔には殴られたのであろう、青あざがあった。
白いドレスは茶色に染まり、ところどころ破れている。
ぼろ雑巾のように扱われ、薄汚れた身なり。
そんな状態にもかかわらず、印象的なのが、その青い瞳だ。輝きを失うどころか、燃えるように強い光を発している。
「その娘が、デニスの娘か」
ザネスが面白そうに口を開く。
「……さようで。父を返せとやたらと騒ぎ、扉に火をつけたので、捕らえました」
神妙に頭を下げたのは、将軍のムファナだ。
「小娘一人に、大げさではないのか?」
ザネスがにやりと嗤う。
「この娘はこうみえても紅蓮の魔術師。火の魔術では並ぶものがないほどだとか。実際、城の扉は、灰にされました」
「ふむ」
十六にして式典の魔術を任せられた天才で、紅蓮の魔術師の称号を持つ女。その名はハリスも聞いたことがある。
ハリスは、もう一度、その女を見る。
美しいだけの女は、見慣れている。しかし、その女は、そんな女たちとは、まったく違っていた。
屈辱に耐え、痛みに耐え、憐れみを乞うこともない攻撃的な瞳をしている。その強い光は、ハリスを射抜いた。無視できぬ、眩しさだ。
「火の魔術に長けているのであれば、紅蓮石の声も聞こえよう。採掘場で働かせるのも一興だな」
ザネスはそう言った。
「陛下」
ハリスは帝王と女の間に歩み出た。
「この女が、紅蓮石の声を聞くことができるのであれば、採掘場の長の立場がふさわしいかと」
「ほほう?」
ザネスは、面白げにハリスを見る。
「おそらく効率の良い採掘ができます」
ハリスは、女を助け起こした。
「陛下に逆らえば、父の命がないことくらい、この女にもわかっておりましょう」
言いながら、ハリスは女性の目を見る。反抗的な目にハリスの姿が映った。
「ゆえに、この女には、採掘場の長にふさわしい待遇を与え、陛下の寛容なお心を示されてはいかがでしょうか」
「殿下、それでは、あまりにもしめしがつきません!」
宰相のファルが抗議の声を上げた。
「扉を一つ焼いたくらい、大した罪ではあるまい? 国で指折りの魔術師が陛下に心から忠誠を誓うのであれば、安いものだろう?」
ハリスの言葉に、ファルは口を閉じた。
「なるほど」
面白げに、ザネスは目を細める。
「それも一理ある。宰相、その女に新しいドレスと屋敷を与えてやれ。紅蓮石はいくらでも必要だ」
ザネスは鷹揚に頷いた。
ハリスは、女を立ち上がらせ、猿ぐつわと手枷をとってやる。
「父親の命が惜しくば、しっかりと働くことだ」
ハリスは女の耳元でささやく。
「礼を言うと思って?」
女は、キッとハリスをにらんだ。
「……そんなものは求めてない」
ハリスはそう呟き、女から離れた。
感謝などいらない。ただ生きてほしい……そう思った。
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