第15話 会談

 雲ひとつない青空だ。

 ほんの少しだけ肌寒いが、この時期にしては暖かくなりそうだ。

「良い天気になってよかったですわね」

「そうね」

 白い大きな帽子を手でおさえながら、ジャネットは、フロ―ラに答えた。

 木の葉が風に揺れて、ざわめいている。

 用意されている馬車は、二頭立ての四輪。事故にあったものと同じ大きさだ。

「ピクニック日和でなによりです」

 女性としては背が高い侍女が、大きなバスケットを抱えて笑う。

「ええ」

 ジャネットはくすりと笑った。

 採掘場に戻ってきてから、久しぶりの休日である。

 今日は、現場も休み。ジャネットとフローラは、カジュアルなドレスを着て、馬車へと乗り込む。

「お願いね」

 扉を閉めようとしたグルマスに、ジャネットはにこやかに微笑むと、グルマスは無言で頭を下げた。

  御者台には、グルマスの他に、新しい侍女のラスアが座る。

 ラスアは、ハリスの命令でジャネットの護衛にやってきた軍の人間であるが、表向きは『侍女』となっている。帝王ザネスには、おそらくジャネットのと伝えているのであろう。

 ラスアに会った時、ジャネットは、彼女がも自分の屋敷で働いていたことに気が付いた。

 その時は、ハリスの命令で護衛しているとは思わなかったから、警戒し、できるだけ距離を取るようにしていた。

 ラスアは可愛らしい顔をしてはいるが、油断のない目をしており、動きにスキがない。反面、侍女としてのスキルはやや低く、そのあたりが『いかにも』スパイです、という感じなのだ。何も知らなかった前回、ジャネットが心を許さなかったのも無理はないと、少し思う。

 もっとも、採掘場に戻り、仕事を再開してから、ジャネットは何度も事故にあいかけた。

 ラニアスの代わりに来た男は、表面こそ穏やかだが、常に鋭い目でジャネットをみている。

 ハリスが護衛として送りこんだラスアがいなければ、屋敷の安全すら怪しい。

 気がついていなかったけれど、おそらく前回も彼女にずいぶんと助けられていたのだろう。

 ──ひとこと言ってくれていれば。

 前回、あれほど孤独に追い詰められることもなかったのかもしれない、と思う。

 とはいえ。言葉が足りないのは、ハリスだけではない。ジャネットも同じだ。

 車窓の風景が、蹄の音とともに流れていく。

 馬車は、ゆっくりと山道へと入っていった。

「お姉さま、道が違います」

 フローラが慌てて、ジャネットに告げる。

「いいえ。これでいいの」

 ジャネットは、静かに微笑んだ。

「今日は、フレイベルの湖に行くわ」

「え? 今日は、スサラ川へ行くのでは?」

 フロ―ラは驚いて、目を丸くする。

「ごめんなさい。実は、皇子と待ち合わせなの。防犯上秘密にしたくて。あなたはすぐに顔に出るから」

「まあ。殿下とお約束でしたの」

 ジャネットの言葉に、フローラは得心したように頷いた。

「そういうことでしたのね。最近は何かと物騒ですもの。でも、秘密の逢瀬って、ロマンティックですわね」

「……そうね」

 夢見るような目をしたフローラに、ジャネットはあいまいに頷く。

 胸の鼓動が早いのと、いつもより緊張しているのは、恋のためではない──でも、それを正直にフローラに話す必要はない。

 やがて、森の木々の向こうに、青い水面が見え始めた。

 フレイベル湖は、かなり大きな湖である。

 かなり遠い対岸は丘になっていて、その上に白亜の大きな城がある。皇族の保養地である『南の離宮』だ。

 目的地は、その対岸の深い森側にある岩窟のある入江だ。

 岩窟は、森と水の神メサを祀っている神殿でもあるが、一部の木こりをのぞいて詣でるものもなく、神官もいない。

 草深い空き地に馬車を止め、ジャネットたちは入り江のほうへと入っていく。

 この辺りは森や岩が入り組んでいて、対岸の城はあまり見えない。

 鳥のさえずりが続いていて、陽は頭上に輝く。

 ジャネットたちが来た方角と別の方角から、馬のいななきが聞こえた。

「フローラ。あなたはここで、ラスアとお昼の用意をしていてくれる?」

「はい。お姉さま」 

 ジャネットは、ラスアに目配せをして、グルマスと共に、馬のいななきのした方へと足を向ける。

 砂浜から一歩森に入った道のそばの木に馬が二頭つながれており、そのそばに、二人の男が立っていた。

「ご足労をお掛けいたしました」

 ジャネットは、ゆっくりと頭を下げる。

「いや。そっちも元気そうでよかった」

 ハリスがにこやかに笑う。

「顔がかたいぞ」

 ポンと肩をたたかれ、ジャネットはぎこちなく微笑する。

「さすがに、緊張しております」

「紅蓮の魔術師殿にしては弱気ですね」

 くすり、と、ハリスの後ろに立っていたルードが笑った。

「私一人のことなら、こんなに緊張はしません」

 ふーっとジャネットは息を吐く。

「この国の未来がかかっていることですから」

 言いながら、ジャネットは岩窟のほうへと歩いていく。

「そっちの様子はどうだ、グルマス」

 ジャネットを先導していたグルマスは、一瞬だけ皇子のほうを振り返り、頭を下げた。

「仔細はご報告しているとおりです。安全とはいいがたいですね」

「ワイルはそんなに露骨か?」

「露骨ではありませんが、狡猾です。しかも、確実にジャネット様の命を狙っております」

「そうか……」

 ジャネットは苦く思う。すべてが『前回』よりうまくいっているかというとそうでもない。

 ラニアスが怪我をしたせいで、新しくジャネットにつけられた軍属のワイルは、『刺客』だ。

 誰の手のモノかはわからない。

 今のところ、『事故』を装った方法を模索しているようだが、いつ、直接刃を向けてもおかしくはない。

 今日の外出先を偽って出かけたのも、ワイルの目を避けるためだ。

「ハリスさまが決められた以上、異を唱えるのは本意ではありません。ですが、私は今でもお二人の婚約には反対です」

 ブツブツとグルマスが呟く。

「そうね」

 ジャネットは肩をすくめた。

「私が皇子の婚約者に名乗り出なければ、あなたに苦労をかけることもなかったわ」

「……仕事に不満があるわけではありません。ただ、不必要に波風が立つと言いたいだけです」

 グルマスは頭を軽く振り、口を閉じた。

「ここから先は、私が先導するわ」

 ジャネットは、そう言って、手に小さな明かりを灯した。

 岩窟の入り口は人一人が入れるくらいの広さで、奥まで続いている。

 曲がりくねっているらしく、明かりを入れても、先のほうは見えない。

「しかし、ジャネットさま」

「大丈夫。平気よ」

 ジャネットはそう言って、明かりを灯した手を前に伸ばしながら岩窟へと入っていった。

 岩窟は中に入るにしたがって、幅が広くなっていたが、岩壁に圧迫感がある。

 常日頃、採掘場を歩きなれているジャネットではあるが、さすがに人口窟より足場が悪い。

 やがて、岩窟の奥から水音が聞こえ始めた。

 ひんやりとした空気の中、奥へ入っていくと、大きな広場に出た。

 大きな滝だ。天井のほうから水が落ちていて、さらさらと岩の間を流れていく。

 メサの像の前に小さな明かりを灯して待っていたのは、三人の男だった。

「ヴィズル様」

 ジャネットは一番手前の男に声をかけた。

「お手数をおかけいたしました」

「いや……お前のほうこそ、よくぞ思い切ったな」

 年配の大地の魔術師は、ジャネットの後ろの男たちを見てそう言った。

「皇子」

 ジャネットは、ハリスを庇うような位置に立ちながら、ヴィズルのほうへと案内する。

 待っていた三人の男のうち、一番若い男の顔を見て、ハリスは目を見開いた。

「こちらが、レリアット伯爵のご子息です」

 ジャネットの言葉に、男はうやうやしく膝をつき、頭を下げた。

「フレデリックと申します──今は、銀龍、と名乗っておりますが」

「お前は……」

「はい。夜会でお目にかかりました」

 悪びれもせず、銀龍はハリスを見上げる。挑戦的な目だ。

「覚えていていただけたとは、光栄です」

「……」

 二人の男が、にらみ合う。

 空気が張り詰めたようになり、滝の音がやけにうるさく感じる。

「……ジャネットに声をかけたのは、貴殿の父を救うことができなかった俺への嫌がらせか?」

「まさか。帝政の根源へゆさぶりをかけただけです」

 ニヤリと、銀龍の口角が上がる。

「事実、殿下の心に嵐をおこしたはず。違いますか?」

「よせ、フレデリック」

 銀龍の横にいた神官服の男が膝をつき、慌ててハリスに頭を下げる。

「殿下、この男が何か失礼なことをしたのであれば、代わりにお詫びを」

「お前は?」

「私は、メンケント。火の神に仕える神官です」

「私を助けてくださった方です」

 ジャネットが横から口を添える。

 ジャネットとしても、二人の男が反発しあうことを望んで会わせたわけではない。

「銀龍。俺の心に嵐を起こして何をしようとした?」

「紅蓮の魔術師殿は、変革の旗印。それを要らぬというのであれば、私がもらい受けても問題はないのではないかと」

「フレデリック!」

 メンケントの鋭い声とんだが、銀龍は気にした様子もなく、ハリスを見上げたままだ。

「魔術師殿は誰よりも炎に愛されている。我らが願う『変革』には、欠かせない人物ですから」

「私は」

 ジャネットは、二人の会話を遮った。

「私には……聖なる炎の声は聞こえないわ」

 ジャネットはため息をつく。

「それができれば、いちばんよかったのだろうけれど」

 炎を自在に操ることができても、肝心な聖なる炎の声は聞こえなかった。火は、ジャネットの身体を焼いただけだ。

「魔術師殿は、既に多くのものを変えている」

 メンケントは顔を上げ、そう告げた。

「おそらく、魔術師殿がいなければ、殿下がここに来ることも、我らがここに来ることもなかったのですから」

「でも……」

「炎は、変革の力をあなたに与えた。『聖なる炎』をあやつる力とは言っていないのです」

 メンケントは、ジャネットを見あげた。

「あなたは、あなたであればそれでいい。この前もそう申し上げました」

 ふっとメンケントは笑う。

「ヴィズル殿から、私どもを殿下に会わせたいとご連絡いただいたとき、確信しました。あなたは間違いなく、変革をおこしていらっしゃる」

「我らは、聖なる火におびえることのない治世を求めているだけです」

 銀龍は、まっすぐにハリスのほうを向く。

「殿下が、帝王ザネスにやりたくもない仕事を強制され、苦しみ続ける女性一人救えないのであれば、帝王が変わっても、市民の生活は何一つ変わることはない」

「皇子は、ザネスとは違うわ」

 ジャネットは思わず口をはさむ。

「媚び、へつらうだけの貴族とも違う。私に手を差し伸べてくれたのは、皇子だけだったのだから」

 ジャネットはニコリと、ハリスを見る。

「父が捕らえられた時。私は罪人のように扱われたわ。手枷をかけられ、猿ぐつわをかまされて、帝王の前に引きずり出された」

「……皆、ジャネットの力を恐れていたからな」

 ハリスの声は苦い。

「皇子は『父が帝王のそばにいる以上、採掘場の責任者にふさわしい待遇を与える方が、この女は陛下に忠誠を誓うだろう』って言ったの」

 くすくすとジャネットは笑う。

「私は帝王の犬として飼殺されるより、いっそ罪人として処刑されたいと思ったわ……でも、父やフローラのことを考えると、これでよかったと思うの」

「ジャネット」

 戸惑いの表情を浮かべるハリスに、ジャネットは笑みを返す。

「私のことだけじゃない。皇子は、大きく帝王に異を唱えてはいない。でも、ほんの少しずつでも人々の生活を守ろうとしてきたわ。それについては、私より、そこのグルマスやルードのほうがよく知っているとは思うけど」

 名を呼ばれたグルマスとルードはジャネットの顔を見て、小さく頷く。

「変えてくれる人だと思ったから、私は皇子の婚約者に名乗り出た。皇子という立場ならどんなひとでもよかったわけではないわ」

 くっくっと、銀龍が声を押し殺して笑った。

「……ここまで面と向かって、のろけを聞かされるとはね」

「お前が変な挑発をするからだ」

 あきれたように、メンケントが呟く。

「よかったですね。ハリスさま。魔術師殿に嫌われてなくて」

 茶化すように、ルードが口をはさみ、ハリスの顔が朱に染まった。

「紅蓮の魔術師殿を信じて、殿下、あなたに賭けよう」

 銀龍がにやりと笑う。

「ああ」

 ハリスは頷き、銀龍に手をのばし、二人の手が硬く握られた。

「とりあえず、父デニスを救わないといけませんね」

 ジャネットが呟く。

 すべては、そこから始まるのだ。

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