第14話 決意

──なぜこんなことになってしまったのかしら。

 結局。軍の事務局から、後日軍属を配属すると通達を受け、ジャネットは伯爵家に帰ることになった。

 辻馬車がダメなら、どうやって帰るのかということになり、ハリスが自分の馬車で送ると言い出したのだ。

 馬車は二頭立ての小さいものではあるが、護衛に騎兵が二人も馬車の前後についている。

──叔母様がびっくりするわ。

 ジャネットは、肩をすくめた。

 ひょっとしたら、馬車を先に帰してしまったことを怒られるかもしれない。

 見方によっては、伯爵家が皇子の婚約者であるジャネットを、軽んじているように見えなくもないのだから。

 それにしても、皇族用の馬車、しかも護衛付きは、いかにも大げさだ。

 もちろんジャネットが皇子の婚約者である以上、これは『やりすぎ』ではない。

 しかし、今までこんな扱いを受けたことがないから、戸惑いを感じてしまう。

 ジャネットは、心拍が上がるのを感じながら馬車に乗りこむと、後からハリスも乗り込んできた。

 皇族用の馬車は、ジャネットが普段使っていたものより豪奢で広めとはいえ、車内は狭い。

 座席は二人用だが、ハリスとの距離はないに等しい。しかも、密室である。

 ふたりが座るのを待って、扉が閉められた。ゆっくりと馬車が動き始める。

「どうかしたのか?」

 黙りこくったジャネットを、ハリスが不思議そうに見つめる。

「送っていただかなくても、よろしいですのに」

 ジャネットの言葉に、ハリスはふっと笑う。

「辻馬車で帰すわけにはいかん」

「でも皇子自ら送っていただかなくても……」

「俺が一緒なら、護衛がいるのはあたりまえだからな」

 ハリスはそう言って、窓の外を見る。

「もっとも、俺自身も狙われているから、危険度はかえって増すかもしれないが」

「皇子を、ですか?」

「まあな。最近は特に感じる……俺の場合、相手はわかっているが」

 それは、『帝王』の命令ということだろうか。

 蹄の音が遠くに聞こえる。車内から外の音はあまり聞こえないようだ。

「ジャネット」

 ハリスに名を呼ばれ、ジャネットの心臓が大きな音を立てる。

 今さらながら、狭い空間に二人きりだということをジャネットは意識した。

「俺は、お前に会うまで、すべてを諦めていた」

 ハリスの手が、そっとジャネットの手のひらに重なる。大きな手だ。

「おそらく陛下の意向だろうが、俺の周りには現実を教えてくれる人物はいなかった……たった一人を除いて」

 ガタン、と馬車が揺れる。一瞬浮いた体が椅子に戻った時、ジャネットとハリスを隔てていたわずかな空間がなくなった。

「レリアット伯爵を知っているか?」

「……炎の制裁の?」

 その名は、昨日、別の男から聞いたばかりだ。

「そうだ。レリアットは、ヴァルド皇子の側近だった。内政に明るく秀才と評判だったが、建国史編纂という閑職においやられていた」

「ええ」

 ジャネットは、銀龍に連れていかれたプロパドの街を思い出す。

 かつて栄えたプロパドの街は、聖なる炎に焼かれた。

 そして、七年たった今も、誰も住まぬ廃墟のままだ。

「俺は歴史が好きでね。レリアットが帝都にくると、話をせがんだ。レリアットは、将来俺が帝王になった時、国を富ませるにはどうしたらいいかを教えてくれた。この国がいかに聖なる炎に守られているかも」

 ハリスはそう言って、息をつく。

「七年前。俺が十七の時だ。レリアットは反逆者として街ごと焼かれた。もちろん、国政への反発勢力への見せしめだが……おそらく、陛下は俺に釘をさしたのだろう」

 ハリスの手が、ジャネットの手を握り締める。その手は、かすかに震えていた。

「本当にレリアットが反逆を企てたのかどうか、はっきりとした証拠があったとは俺には思えない。もし、本気で反逆を企てたのであれば、『俺』を担ぐくらいはしたはずだ」

 ハリスを『ヴァルド皇子』の子として担げば、反ザネスの勢力をまとめることができる。

 それに『聖なる炎』を扱うには『血統』が必要であることをレリアットは知っていた。ザネスを倒した後のビジョンなしに、反旗を翻すほど、愚かな人間ではなかった。

 まして、ハリスはレリアットを信頼していたのだから、そうしようと思えば、可能であったはずだ。

「とはいえ、俺はレリアットの無実を証明することはできなかった」

 プロパドの街が焼かれたと同時に、反ザネスの勢力はことごとく散らされた。ザネスの権勢はゆるぎないものとなり、聖なる炎は、命をもたらす炎ではなく命を奪うものとなる。

「身分を捨てることも考えた。だが、何も知らない俺が、一人でどうやって糧を得ることができるのか。結局、踏ん切りがつかず、俺は、ただ、日々を生きていた」

 街に出れば、嫌でも目に付く圧政に苦しむ人々。身分を捨て、自分だけが楽になっていいのか。

 とはいえ、ザネスに逆らえば殺される。場合によっては自分だけの問題ではない──その事実が、ハリスの気力を削ぐ。

「そんな時……何があっても、諦めない。闇がどんなに深くても、その奥に明かりをともそうとする……お前が現れた」

「私は……」

 ジャネットは首を振る。

「自分勝手なだけです。周りが見えていなくて、自分がどうしたいかもわかっていないのですわ」

 だからこそ──わかる。

 父を助けたいと焦るばかりで、ハリスの立場が微妙であるということも気にしていなかった。

 グルマスが、仕事を実直にこなしてくれていたことも。そして、自分が『狙われていた』ことも。

 ハリスの手の体温を感じながら、前回と全く違っていくから、自分はどこへ行くのだろうと、ジャネットは思う。

「ただひとつ、はっきりしているのは、父を助けたいということだけ。それは私が娘だからというだけでなく、この国のために必要だからです」

「わかっている。王杖を、聖なる炎を制する方法は、おそらくデニスしかわからない」

「え?」

 ハリスはジャネットに頷いた。

「聖なる炎を継承するには、宝玉と王杖。そして、血だ。王杖は、今まで、歴代の帝王から脈々と受け継がれてきたものだ」

「王杖……」

 杖は聖なる炎をあやつるのに必要なものである。

 聖なる炎はザネスの力。

 正当に王杖が継承されることを望めない以上、奪うしかない。つまりは、ザネスを倒すしかない。暗殺するか、正面から戦いを望むか。いずれにしても、聖なる炎をザネスが支配している以上、難しい。

「父は……皇子のお役に立てるのですね」

 だからこそ……父は、処刑されるのだろう。そして、処刑しなければならないということは、皇子に反旗を翻すための準備ができていなかったということなのかもしれない。

「言っておくが、変革の力を持っているのは、俺じゃない。お前だ」

 ハリスはそう言って、ジャネットへと手をのばし、そっと髪に触れる。

「私には、何一つ、変える力はありません……」

 命を懸けても、聖なる炎の声を聴くことはかなわなかったのだ。

 紅蓮の魔術師として、自分に持てる力をすべて使っても、未来に待っているのは死である。

「お前は既に、たくさんのものを変えている」

 思わず見つめたハリスの瞳は、深く優しい。

 ハリスの手が、ジャネットの頬をなでる。

「俺の婚約者は、本来、リアナのはずだった」

「……そうですわね」

 ジャネットが強引に名乗り出て、割込みさえしなければ、既にリアナはハリスに嫁いでいたかもしれない。

 リアナの美しい顔を思い出し、ジャネットの胸がチクリと痛む。

「言っておくが、俺がそれを望んだ事は一度もない。ただ、抗うのが面倒だっただけだ」

 カーブに差し掛かったのだろうか。馬車が揺れ、車体が傾いた。

 跳ねた二人の身体が、片側へと押し付けられ重なる。

 体勢を立て直そうとしたジャネットは、そのままハリスに肩を抱き寄せられた。

 ジャネットの胸が早鐘を打ちはじめ、身体がかっと熱くなる。

「……私、生木を裂いた女と、よく言われましたわ」

 火照る顔を見せたくなくて、ハリスのほうを見ずに、ジャネットは呟く。

 実際、式典でも夜会でも、ハリスとリアナが並ぶと、絵になっていたと思う。

「言っているのは、宰相の顔色を見ている奴だけだ」

 ハリスは苦笑交じりにそう言った。

「そもそも、リアナは、帝妃と同じタイプの女だ。を好いているわけじゃない。次期帝王を愛しているだけだ」

 だからこそ。

 夜会でハリスがジャネットを抱きしめていても、眉一つ動かさない。

 彼女が欲しいのは、ハリスの心ではなく、ハリスの妻の地位だけなのだから。

「リアナが相手なら、俺は飼い殺されるも同然の人生を受け入れ、命を狙われることもなく、日々を生きていただろう……俺を変えたのは、お前だ」

「それは、良い方に変えたのでしょうか……」

 肩を抱かれ、ハリスの体温を感じる。とても心地よい。このまま、ずっとそうしていたいと、願ってしまうぬくもりだ。

「どう思う?」

「……わかりません」

「正直、俺にもわからない。ただ、生きているという気はする」

 肩を抱く手に力がこめられる。

「俺は炎を制して見せる」

 それは……帝王ザネスを倒す、という意味だ。

 ジャネットは思わず、ハリスを見る。

 呼吸を感じるくらいの至近距離。その深い瞳の奥にジャネットの姿が映っている。

 甘い空気が二人を包んだ。

 ジャネットの顎に、ハリスの手がかかり、二人の距離がさらに縮まりかけた──その時、馬がいななき、馬車が停車した。

 車窓をみれば、伯爵家が見える。

「ハリスさま」

 扉の向こうから、声がかけられた。

「ああ」

 ハリスはジャネットから身体を放し、扉を開く。

 冷たい空気が流れ込んできて、ジャネットは甘い酔いから冷めた。

 ハリスの決意したことは、簡単ではない。

 ジャネット自身の力でそれを助けることはできないことは、わかっている。

 それならば、ジャネットができることをするべきだ。

「皇子」

 馬車から降りたジャネットは、ハリスに囁くように声をかけた。

「レリアット伯爵のご子息が生きているとしたら……お会いになりますか?」

「……な?」

 ハリスの顔が驚愕にゆがむ。

 時が、動き始めようとしていた。

 

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