第13話 兵舎 4

「あそこまでおっしゃることはありませんでしたのに」

 ムファナの出て行った扉を眺めながら、ジャネットがそう言うと、ルードが肩を震わせて笑いはじめた。

「どうかなさったのですか?」

「いえ」

 ルードはコホンと咳払いをした。

 真面目な顔を作ろうとしているのだが、目が笑っている。

「ハリスさまは、ジャネット様のおみあしを将軍に見られてお怒りなのです」

 そう言ってハリスの顔を見て、あわてて真顔になった。

「もちろん私は見ておりませんです」

「足?」

 言われて、ジャネットはハリスの上着に目を落とす。

 足を見られたということより、それをハリスが気にしたということのほうが意外で胸がどきりとした。

「それはいい。それより、ビュラ将軍に会わねばならん」

 ハリスは不機嫌にそう言った。

「……ああ、そうでした。魔術師殿の警備を増やさないといけませんね」

 ルードはそう言って、再び従卒の少年に指示を出す。

「でも、軍属は新しく誰かがつくことになるとは思うのですが」

 もっとも、ジャネットの護衛ではなく、『監視』の意味だが。

 そもそもラニアスとて、ジャネットを守ろうとした結果のケガではないのだ。

「ムファナ将軍を見ておりますと、人事に口を出して『監視』でなく『刺客』を用意しかねませんね」

「まさか」

 否定しかけたジャネットは、先ほどの将軍の目を思い出す。

 憎しみのこもった目であった。

「私、将軍にそこまで嫌われるようなこと、したのでしょうかね?」

 もちろん、好かれる要素が皆無なのはわかっている。

 しかし、ハリスとの婚約解消を断っただけで、殺したいほど将軍に憎まれるとは考えていなかった。

「お前は火種だ。俺の立場を危うくすると、帝妃は信じている」

 ハリスは肩をすくめた。

「俺が皇子であるからこそ、帝妃は帝妃でいられる。お気に入りのムファナも将軍でいられる」

「帝妃さまは、きっと皇子の身を案じておられるのです」

「案じてはいるさ。俺の気持ちなど、考えもしないだろうが」

 苦笑を浮かべながら、ハリスはジャネットの差し出した上着を受け取る。

「最近は、宰相閣下と密に連絡を取っていると聞いております」

 ルードが口を開く。

 宰相は自分の娘リアナをハリスに嫁がせたいのだ。ジャネットを蹴落としたいという点で、両者の思惑は一致する。

「お互いに利害が一致するからな」

 興味なさそうに、ハリスは結論付けた。

 そこへパタパタという足音とともに、従卒が戻ってきた。

「行きましょう」

 従卒に留守番をことづけ、ルードは扉を開けた。

「行くぞ」

 自然にのばされたハリスの手に、ジャネットは思わず触れる──その手は、とても温かで大きかった。



 将軍の執務室は、ルードの執務室よりやや広い。

 ビュラ将軍は、老齢の将軍である。

 ただし、見た目は凛として力強い。背すじはまっすぐで、無駄のない鍛えられた身体だ。

 すでに五十を超えているとは思えない。

 年齢を感じさせるものと言えば、白くなった髪の色くらいか。

 彼は、ケイオス帝王の御世から将軍であり、その名声は他国にも鳴り響いている。

 ビュラは中立派ということにはなっているが、ルードとハリスの様子から推測すると、実は皇子派なのであろう。

 さすがのザネス帝も、ビュラ将軍にだけは、一目置いている。ケイオス帝のころの重臣を次々に退けたにもかかわらず、将軍だけはその地位のままだ。

 ビュラ将軍は、政治には関与しない主義を貫き通しているためであろう。ゆえに、ザネス帝の『反対』勢力に数えられることはない。

 もっとも、ザネスの忠臣というわけではない。それゆえに、ことあるごとに引退を進められているとの噂がある。

部屋の中には、ビュラ将軍の他に、従卒がひとり。

 従卒が、部屋の中央に椅子を並べている。

「殿下と、紅蓮の魔術師殿がそろってこのような場所にお見えとは、驚きましたな」

 ビュラはそう言いながら、座るように勧めた。

 ルードは、戸口近くにひっそりと立つ。

「ジャネットの護衛に、腕の立つ人間が欲しい」

 ハリスは開口一番にそう言った。

「グルマスでは不足ですかな?」

 ビュラの言葉に、ハリスは頷いた。

「グルマスの能力に不足があるわけではないが、グルマスひとりでは足りない」

「と言いますと?」

「ジャネットは狙われている。相手はわからん」

 ハリスの言葉に、ビュラは眉を寄せた。

「もはや早々に決着をつけられた方が、良いのでは?」

「まだ無理だ」

 ハリスの言葉に、ビュラはため息をついた。

「私の一存で動かせる人間でとなると……」

 あごに手を当てて思案する。

「ルード、ラスアは空いているか」

「大丈夫かと。若干、第六隊が手薄にはなりますが」

「ふむ。ではラスアを殿下にお貸ししましょう」

「俺に?」

 従卒に指示を与えたあと、ビュラはにやりと笑った。

「魔術師殿の護衛につけるとならば、私の一存ではできませんので」

「すまんな」

 ハリスは頭を下げる。

 将軍の命令で、ジャネットを『護衛』させるとなると軍の人事となる。

 もちろん、ビュラには将軍として当然の裁量権はある。

 だが、ジャネットはザネス帝に直接仕えている立場だけに、微妙だ。

「老い先短い老人ゆえ、命が惜しいわけではありません。ですが、この身が役に立てる舞台はほかにありましょう。今はまだ波風はできるだけ立てたくはありません」

「わかっている」

 ハリスは頷いた。

「もっとも、魔術師殿には、デニスの件で力になれず申し訳ないと思っておりましたから、お役に立ちたいとは思っています」

 ビュラはそう言って、ジャネットに頭を下げた。

「知り合いか?」

「軍にいたころのデニスを知っておりまして。私の指揮下にいたこともございました」

 ビュラはジャネットを懐かしそうに見つめる。

 デニスは、炎の魔術の研究をする研究者のイメージが強いが、もともとは軍の魔術師であった。

 結婚と同時に、しだいに研究に軸足を移していったらしい。

 デニスが、軍を辞めたきっかけは、七年前の『炎の制裁』だ。

 聖なる炎に頼らない方法を捜す必要があると思ったからだと、ジャネットは聞いている。

 一般的な炎魔術と紅蓮石の関係と効率や威力をあげるという炎魔術全般の研究から、聖なる炎そのものの研究をしていた。

 ザネスがデニスの研究を許しているのは、聖なる炎そのものの威力やコントロールが、今よりも効率がよくなるからである。事実、聖なる炎のコントロールは、以前より精度を増した。

 デニスはその意に反して、ザネスの帝政に貢献しているともいえるのだ。

 デニスが宮廷魔術師という名の囚われの身になり、ジャネットが今の仕事を始めて、二年がたつ。

「父の居場所をご存知でいらっしゃいますか? 南の離宮にいるとのうわさを聞いたのですが」

「南の離宮」

 ビュラの顔が険しくなった。

「あそこは、ザネス帝がよくモルド公爵一家を招いて茶会をするということで、常に警備が厳しい。しかも、軍ではなく、憲兵隊の管轄なので、情報が乏しいですな」

「そうですか……」

 軍と憲兵は同じようでも役割が違うため命令系統が違う。ゆえに、警備状況等を軍では把握できていないということらしい。

「私の知る限り、デニスの居場所は明らかではない。ということは、南の離宮という可能性は非常に高いということになりましょう」

 なるほど、とジャネットは思う。

 ザネス帝がいてもいなくても、警備が厳しいのであれば、そこにデニスが囚われていても不思議はない。

 後先を考えずに、力押しで突入すれば、とりあえずはデニスを救える可能性はある──ただし、それをやるには、最低限、フローラの身を安全な場所へと逃がさなければならない。

「ジャネット」

 ハリスは、鋭い目でジャネットを見た。

「ひとりで突入しよう……などと、考えてはいないだろうな?」

 ジャネットは答えず、目を伏せた。

 あまりに簡単に考えを読まれ、少々気まずい。

「……本当に炎に似ている女だ」

 あきれたようにハリスはため息をつく。

「だからこそ、ハリス様にも火をつけたのですから」

「確かにな」

 ルードの言葉に、ビュラが面白そうに頷いた。

 ジャネットは何を言われているのかわからない。

「ラスアには、魔術師殿が無茶をしないように見張るように命じられてはどうですかな?」

 ビュラは笑みを浮かべる。

「私は何も申し上げてはおりませんが」

 ジャネットは、思わず抗議した。

「もっとも、挑戦的な目をしている方が、お前らしくていい」

 どこか優しい光を宿したハリスの瞳と視線がぶつかり、ジャネットの胸が大きく音を立てる。

 まるで、その部屋にいる全員に聞こえてしまうのではないかと思うくらい、鼓動が激しくなった。

 コホン、とビュラは小さく咳払いをした。

「それで、犯人捜しの方はいかがいたしましょうか?」

「捨て置いて構わん。どのみち、命令している奴が一人とは限らんからな」

 ハリスはそう言って肩をすくめた。

「何にしても、ジャネットは警戒心が足りなさすぎる。ひとりで兵舎にくるとか、辻馬車で帰るとか、命を狙われていないにしろ、不用心だ」

「私、これでも死線を潜り抜けてきた魔術師ですのよ? 貴族のお姫様のように、蝶よ花よと大切にされてきたわけではありません。命を狙われるのも日常茶飯事ですし」

 ついこの前だって、銀龍に殺されかけたばかりなのだ。

 そのことはハリスだってよくわかっているはずなのに、とジャネットは思う。

「紅蓮の魔術師殿は」

 ビュラはジャネットのほうを見て、にこりと笑った。

「……これからは、魔術師殿である前に、殿下の婚約者であるという自覚をなさってください。我らは、そのつもりで、あなたと接しますゆえ、あなたもそのようにおふるまいを」

「誰にも望まれていないのに?」

 ジャネットは思わず呟く。

「そう思っているなら、考えを改めてください。あなたは、闇を照らす炎なのですから」

「私にそんな力はないわ」

「ジャネット?」

 ジャネットの心は苦い。求められているのは『力』。それなのに。

──私に、聖なる炎の声は聞こえないのよ。

 その力を期待して『婚約者』として認められても、自分には応えることができない。

「難しいことを考えるな。お前はお前であればいい」

「……同じことを言うのね」

 ジャネットは呟く。メンケントも、ハリスも、自分に何を求めているのか。

 そもそも、自分はどうしたいのか。

 答えが出ないまま、ジャネットはそっと瞳を伏せる。

 ハリスは、それ以上何も言わず、ジャネットの頭に軽く手をのせた。


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