第11話 兵舎 2

 ルードの執務室は、奥まった場所にあった。

 従卒の少年に何事かを言いつけ、ルードは部屋にハリスとジャネットを招き入れた。

 そして、窓から見えぬ位置に椅子を置き、二人にすすめた。

「何か飲まれますか?」

「そうだな。アルコール以外を」

 ハリスはそう言った。

「……さすがに、ここでお酒は飲みませんわ」

 ジャネットは夜会の時のことを思い出し、思わずハリスのほうを見る。

 視線が交わり、胸がどきりとした。

「そうしろ。お前は、酔うと警戒心が薄れる。危険だ」

 ジャネットは言い返せずにうつむく。

 ルードは部屋の片隅にある棚から、ティーセットのカップを取り出した。

「では、ハーブティをお入れしましょう。少々お待ちを」

 そう言って、茶器を持って部屋を出て行った。

 執務室は、火気厳禁のため、暖房器具すらない。もっとも、隊長クラスの執務室は床暖房になっているので、寒くはない。しかし、湯を得ようと思うと、従卒たちの休憩所の隣にある給湯室に行かなければならないのだ。

 ルードが出ていくと、狭い部屋に二人きりになった。

 ジャネットとハリスは壁を背に並ぶような形で座っているが、椅子と椅子の距離は微妙に離れている。近いような、それでいて遠いような。不思議な距離だと、ジャネットは感じた。

「事故の様子を聞かせろ」

 ハリスが口を開く。顔が険しい。

 これは、ある程度は正直に話した方が良いのかもしれないとジャネットは思う。嘘は通じない──そんな目だ。

「馬車がやたら跳ねるな、と思っていて……ちょうど林道になっているあたりで横転しました」

「ほかに人影は?」

「ありませんわ。林の中ですもの」

 誰かに襲撃されたわけではない。もっとも、馬車の車体から脱出するまでに、かなりの時間を費やしたから、絶対とは言えない。

「馬も逃げてしまって。ラニアスは林に投げ出されて、動かせない状態だったので、近くの神殿に助けを呼びに行きました」

「……お前、ひとりでか?」

「ええ。だって、私しかおりませんもの」

 ジャネットの言葉に、ハリスは眉をひそめた。

「お前、軍属の配下だけでなく、従者のひとりくらい雇うべきだろう?」

「軍属を二人もつけていただいていますのよ? 二人に下男のような仕事もさせてしまって、申し訳ないとは思いますが」

 ジャネットは苦笑した。

「私は下級貴族の生まれです。従者などを連れて歩いては、由緒正しき貴族の方にさらに『成り上がり』と笑われます」

「お前を笑えるものなら、笑わせればいいだろう」

 怒ったようにハリスは、そう言った。

 確かに、現時点では、ジャネットは皇子の婚約者である。このまま皇子が帝王の座に着けば、ジャネットはその妃となるのだ。ジャネットを笑えば、それはわが身に影を落とす可能性がある。

「それで?」

 ハリスは、先を促す。

「神殿のかたに、手伝っていただき、ラニアスを神殿へ運びました。医者を呼んでいただいたら、あばらと足が折れていて、動かせないと言われまして」

「ラニアスのことはいい」

「……では、何を?」

「なぜ、車軸がゆるんでいると?」

 鋭い目で見つめられ、ジャネットは思わずうつむく。

 どこまで話すべきか。

「神官のかたが、現場の様子を調べてくださったのです……事故ではないかもしれない、とは言われました」

 ジャネットは大きく息を吸った。

「憲兵に連絡も考えましたけど。大事にはしたくありませんでしたの。証拠も少ないですから」

「まあ、そうだろうな」

 ハリスは納得したように頷いた。

「だが、先ほどの矢のこともある。お前を狙ったとみて、間違いない」

「私のために、手を汚すことはないのに」

 ジャネットは呟く。

 あと半年後に、ジャネットは死ぬ。

 なにもしなくても、破滅に向かう女なのだ。

「この前から、お前はおかしい」

 立ちあがったハリスが、ジャネットの顎に手を当てる。

 無理やり合わせられた視線。その先にあるのは、何もかも見通してしまいそうな、ブラウンの瞳だ。

「何があった? まるで、何もかも諦めてしまった目をしている」

「……気のせいですわ」

 ジャネットは呟く。胸が痛い。

 諦めたのではない。知っているのだ。

 皇子が自分を選ばないこと。聖なる炎も自分に応えないということを。

「それなら……もっと自分を大切にしろ」

 ハリスはジャネットの唇を指でなぞった。

 ハリスの瞳にジャネットの姿が映っていて、それが、しだいに大きくなっていく。

 ジャネットの心臓が早鐘を打ちはじめる……そこへ。

 トントン

 ノックの音がした。

「ルードですが、入ってもよろしいですか?」

「ああ」

 ハリスはジャネットから手を放し、窓のほうに目を向けた。

 そして、軽く肩をすくめてから、再びいすに腰掛ける。

 ルードは、ポットからカップに茶を注ぐと、ゆっくりとふたりにカップを手渡した。

「早すぎましたか?」

 ルードはハリスに聴く。

「別に」

 そっけないハリスの答えに、ルードはふっと笑みを浮かべる。

「意地をはるのはよくありませんね」

 二人の男が何の話をしているのか、ジャネットにはわからなかった。

 早くなった心臓が、なかなか元に戻らない。カップの湯気に顔をうずめ、心を鎮める。

「やはり、ジャネットは狙われているとみて、間違いないだろう」

 カップに口をつけながら、ハリスはそう言った。

「宰相でしょうか?」

「……とは、限らん」

 ハリスは頭を振る。

「帝妃かもしれん」

「帝妃さま?」

 ジャネットは顔を上げた。

 婚約を辞退しろとは伝え聞いたが、殺したいほどとは思わなかった。

「……ならば、陛下の可能性もあります」

 ルードが静かに告げる。

「……どういうことですの?」

「陛下が、ハリスさまとあなたの婚約をお認めになられたのは、ハリス様を失脚させたかったからです」

 ルードは声を潜めてそう言った。

「皇子を、失脚?」

 ジャネットは驚いた。

 ザネスとアラヴァとの間に子はハリスしかいないはずだ。ハリスを失脚させて、どうするのだ。

 とはいえ。現段階ではザネスは健康にも不安はない。帝王の権威におびえて、誰も指摘はしないが、民衆に人気があるのは皇子のほうだ。

 間違いなく、権力的に皇子は邪魔ともいえる。

「それで……ジャネットを陛下が狙う理由はなんだ?」

 ハリスは、静かに、ルードに問いかける。

「ハリスさまが一番よくおわかりだと」

「茶化すな」

 ルードは、ふぅっと息を吐いた。

「簡単です。これ以上のゲームは、危険だからです」

「ゲーム?」

 ルードは頷いた。

「陛下は魔術師殿の行動は予測していたのでしょう。しかし、ハリスさまが本気でゲームに乗るとは思っておられなかったのでは?」

「……話が見えないのですけど」

 ルードはジャネットの抗議に、少しだけ肩をすくめた。

 そして、あきれたようにハリスのほうに目を向ける。

「残念ですが、この件に関して、私が解説するのはどうかと思います」

 ジャネットと目が合って。コホンと、ハリスは咳払いをする。

「簡単に言えば、俺に帝位を譲る気はない、ということさ」

 そう言って、ハリスは、立ち上がった。

「この国の帝位に何より重要なものは、聖なる炎との契約だ。それには、三つのものが必要だ」

「三つ?」

「ひとつは、エーラッハの血をひいていること。ふたつめは、『王杖』、みっつめは杖にはめ込むための宝玉だ」

「宝玉」

 ジャネットは、メンケントの話を思い出した。


「あなたが選ばれたかもしれないという疑念が、犯人の動機なのですから」


 あのネックレスが、その宝玉なのか──ジャネットは、口にしかけて、ためらう。

「俺に帝位を渡す気がないのなら、最初から、宰相の娘を押し付けとけばよいものを」

 ハリスは、吐き捨てるように言った。

 その言葉は、ジャネットの胸に突き刺さる。

 やはり、皇子はそれを望んでいたのだ。あのネックレスは、フェイクではないにしろ、そんなに重要な意味のものではなく、ただジャネットの機嫌を取るためのものだったのだろう。

「私が皇子との婚約を望んだのが間違いだったのですね」

 胸が痛い。

「そんなことは言っていない」

「でも……」

 コホン、と、ルードが咳払いをした。

「ハリスさま。魔術師殿を誰が狙っているかはわかりません。対策はもちろんすぐに手配いたします。しかし、話すべきことは、話しておくべきです」

「わかっている」

 ハリスは渋い顔で頷く。

 ルードはそっと、ハリスの空になっていたカップにお茶を注いだ。

「胸糞の悪い話になるが……」

 ハリスは、大きく息を吐く。

「モルド公爵妃を知っているか?」

「えっと。お名前だけは」

 ジャネットは頷く。

 生まれは子爵家の出身で、アラヴァの侍女をしていた女性だ。

 モルド公爵家は、アラヴァの実家である。姉、アラヴァ主催の茶会で、モルド公爵が見初め、輿入れしたという逸話がある。

「モルド公爵妃は、帝王ザネスの愛人だ」

「え?」

 ジャネットは目を丸くした。モルド公爵には、二人のまだ幼い男児がいたはずだ。

「モルド公が男色家というのは、一部でかなり有名な話です」

 ルードが横から口を添える。

「そのことをアラヴァさまはご存知なのですか?」

「知っている。帝妃は、帝妃でいられれば、それでよいひとだ」

 そっけなく、ハリスはそう言った。

 モルド公は婚姻する条件として、姉が帝国妃から退くようなことになっても、公爵家の安泰を約束させたのだろう。

 実際に男色かどうかは別として、帝王の秘密を人質にしているも同然なのだ。

「ずいぶんと複雑なのですね」

 ジャネットはふぅっと息を吐いた。

 つまり、モルド公爵妃の子は、帝王ザネスの子なのだろう。

 ハリスの人気が疎ましいのであれば、愛人の子を跡継ぎに据えることも可能というわけだ。

「まあな。それに、モルド公爵妃との子を帝位に据えたい理由は、ほかにもある」

 ハリスは、カップのお茶を口にして、目を伏せる。

「帝妃が、婚約者であるヴァルド皇子が急死して、わずか二か月ほどで、弟のザネスに嫁いだのは知っているだろう。問題は……俺は、その皇子が死ぬ前から、帝妃の腹にいたようだ」

 ハリスが、ザネスの子ではないという説は、かなり有名ではある。

 ハリスが生まれたのは、ザネスとアラヴァが結婚して、七か月目ということらしい。

 計算が合わない。

 それでも、ハリスはザネスに実子と認知されている。

 これは実に複雑な意味を持つ。

 ザネスは、我が子ではないことを承知で、ハリスを自分の子としたのか。それとも、兄である皇子が死ぬ前から、アラヴァと愛しあっていたのか。

「父がどちらなのか、俺は知らない。しかしそんな状態で生まれた俺だ。ザネスが俺を厭わしく感じていても当たり前だ」

 ハリスは冷めた口調でそう言った。




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