第9話 廃墟

 医者に診てもらったラニアスは、あばらと足の骨を折っていることがわかり、馬車であれ、移動は困難であると判断された。

 まだ意識のないラニアスを『人質』とするのは、不安ではあるが、意識を取り戻した後、彼がどうなるかは、ジャネットにはわからない。

 帝王ザネスに忠誠を誓っているラニアスだが、その権力抗争にまきこまれた。死に瀕して、そこから救ってくれた反乱軍に対して、どうするのだろう。

 そのまま、帝王から離れて反乱軍に素直に感謝をするだろうのか。

 ラニアスは狡猾だ。従順なふりをして体力を回復し、反乱軍の情報を集め、密告して昇進の足掛かりにするくらいのことは考えるかもしれない。

 しかし、それは銀龍やメンケントが考えるべき事項だ。

 朝の日がまだ昇りきらぬうちに、ジャネットは、荷馬車の助手席に座った。

 馬車をあやつるのは、銀龍。農夫が野良仕事で着るような粗末な衣服だ。

 ジャネットの服は、神殿の巫女服。首にかけた赤い宝玉のネックレスを服の中に隠し、その上に昨日、銀龍が貸してくれた上着を着ている。

 金の髪はおろしたままだ。時おり、風に揺れるため、そのたびに手でそっとおさえる。

「行きますよ」

 そういって、銀龍は馬の手綱を握った。

 馬は一頭のため、それほどスピードは出ない。加えて、お世辞にも座り心地の良くない荷馬車はガタゴトと揺れる。

 風はまだ冷たく、吐く息は白い。

 荷馬車はゆっくりと丘をおりて、別れ道にやってきた。

 真っすぐに別の丘を登っていく道と、深い森の中へ入っていく道だ。

 荷馬車は、ためらいもなく深い森の中へと入っていく。

「道が、違っているのではなくて?」

 荷馬車が選んだ道は、伯爵家への道とは違う道だ。

「少し遠回りを」

 銀龍はそう言って、手綱を握る。

 深い森の道は、グッとせまくなっていて、木の枝がせり出していた。

 路面も、小さな草が生えていて、それほど人が通らないことをしめしている。

「どこへ行くの?」

 答えはない。

 まだ日の光が弱いこともあり、かなり薄暗い。馬のひづめの音がやけに森に響く。

 道は折れ曲がり、森の奥へのびる。

 ジャネットは胸元に手をあて、宝玉の感触を指で確かめた。

「その仕草は妬けますね」

「なんのこと?」

「無自覚とは、これまた、憎らしい」

 銀龍はそう言って、細い道を走る。

 しだいに日が昇り、光と影がくっきりとしはじめた。

 どのくらいたったのだろうか。

「そろそろですよ」

 道はつづらに折れて、やがて大きな湖が見えてきた。

「凍らぬ湖、エスパト湖です」

「エスパト湖……」

 ジャネットは息をのんだ。

 銀龍が、何を自分に見せたいのか理解したからだ。

 森の木々を抜け、やがて、視界が一気に開ける。

 目の前に広がったのは、廃墟の街。

 街に入ると、道は石畳に変わった。石は黒くくすみ、ところどころひび割れている。そのわずかな隙間に雑草が根を張って大きくその葉を広げていた。

 黒く煤けた壁に、生い茂る植物。湖のそばには、朽ちた漁港の桟橋が見える。

「私の父は、この街の領主であった、レリアット伯爵でね」

 銀龍の目が、高台の崩壊した建造物を見ている。

「では、炎の制裁の……」

「そう……このプロパドの街は、聖なる炎によって焼かれた街です」

 かつて。

 このプロパドの街は、小さいがそれなりに栄えた街であった。

 しかし、七年前。

 帝王ザネスの政策を批判したレリアット伯爵は、『謀反』をおこそうとしたとして、領地であるプロパドの街ごと聖なる炎によって、焼かれたのだ。

 聖なる炎から、巨大な火球がいくつもプロパドの街に降り注ぎ、そして、炎は意志があるかのごとくに、人々を焼き尽くした。運よく森に逃れた者も、帝都からやってきた正規軍に取り囲まれ、皆殺しにされたと聞く。

「よく……無事だったわね」

 ジャネットの言葉に銀龍は頭を振った。

「私は、三男坊でしてね。十四の時に親族の家の養子となっておりました。当時、ここを離れて三年が過ぎていました」

「そう……」

「養父母は、のんきなひとでね。一族どころか領地ごと皆殺しにされた伯爵家の人間である私を、当初の約束通り、娘の婿に迎え入れるつもりだったようです。でも、それはさすがに私から辞退しました」

 銀龍の言葉に、感情は見えない。しかし、見えないからこそ、その想いが激しいものであるのをジャネットは感じた。

「その養父母の方々は?」

「息災のようです。さすがに帝王も養子縁組先まで滅ぼすことはしなかった。もと許嫁いいなずけは、既に結婚して子がいるようです」

「……そう」

 何を言えばいいのか、ジャネットはわからない。

 ただ、帝王ザネスによって、変えられてしまった人生の陰りのなかで、銀龍が生きているのだけがわかった。

「私は帝国を出て、魔術と武術を学びました──もちろん、一族とこの街のかたきを討つために」

 空は澄み、青い。そして、凍らぬ湖は、美しくきらめいている。

 黒く煤け、壊れかけた建物と、生い茂る植物。

 銀龍は、馬車をおり、馬を休ませる。

 街の入り口につくられた水路には、わずかに水が流れていた。

「湖から引いているのですよ。土砂が溜まってしまったようですね。水量がずいぶんと減っている」

 馬が、道脇の草を食みはじめる。

 ジャネットは、馬車を降り煤けた石畳に立った。

 七年の年月が過ぎて、人の住まなくなった街には、新しい命が住み着いている。鳥はさえずり、森の獣たちの気配もある。湖の波音も規則的だ。

 しかし、ザネスが帝位にいるかぎり、この土地に人が戻ることはないだろう。ここは、恐怖を刻印された場所なのだから。

「どうして、私に?」

 ジャネットの問いに銀龍は肩をすくめた。

「あなたに見ていただきたくて」

 ジャネットは苦笑した。

「私は帝王ザネスが、何をしてきたのか知らないわけではないわ」

 炎の制裁を受けたのはここだけではない。 規模の大きさに違いはあるが、帝王ザネスはそうやって、反対勢力を見せしめに殺戮し、支配を盤石なものにしていったのだ。

 そして、その力は、いまや異国の侵略にも使われている。

 その圧倒的で、残虐な手口を知っているからこそ、ジャネットは帝王に逆らえないのだ。

 ザネスが非道だと知って、反乱軍にそのまま寝返ることができる立場ではない。

「私がザネスに従っているのは、忠誠を誓っているわけではないのよ。成り上がりなのは認めるけど、好きで成り上がったわけじゃない。もちろん、あなた方から見れば甘い汁を吸っているようにみえるかもしれないけれど」

 紅蓮の魔術師としての称号。そして、皇子の婚約者としての立場。

 周りの貴族が、ジャネットを成り上がりと陰口をたたいているのは知っている。

 そして、無理やり採掘場で働く鉱夫たちからみれば、帝王の威を借る嫌な女だ。

「ザネスの非道を見せられても、私は、私の仕事を辞められない。それに『聖なる炎』は、ザネスの権力の象徴であるまえに、この国に生きるモノ全てに必要なのだから消すことはできない」

「そうですね。あなたがお辞めになっても、別のものが採掘場の仕事を受け継ぐでしょう。そして、あなたほど紅蓮石の声を聴けるものがいない以上、採掘は更に危険なものになる」

「だったら、なぜ?」

「私を知っていただきたかったのですよ」

 ジャネットの問いに、銀龍は答えた。

 その真っすぐな瞳に、思わずドキリとする。

「私があなたにしたことは、あなたへの恨みではないということ……女性に大けがを負わせておいて言えたことではないですけど」

「わかっています。それはお互い様ですわ」

「それに、採掘場の労働環境はあなただからこそ、まだマシだということも、私にはわかっている。それでも、必要以上の紅蓮石はザネスの力を強める。だから、私はあなたと戦うしかない」

 ジャネットは、苦笑した。

「そうね。聖なる炎は消せないけど、ザネスの力は削がなくてはならないのでしょう。そして、私は帝王の礎を支える女だもの」

 そよぐ風が、ジャネットの金の髪を揺らす。

「あなたがたが、私に何を望んでいるのかは知らないけれど。私は、人の恨みを買うことくらいしかできない女よ」

「そんなことはない──あなたは、似ている」

 そう言ってから。

「……違う。同じなのは、髪の色だけだ」

 頭をふりながら、小さく呟く。

 風が草の葉を揺らした。

「そろそろ行きましょうか」

 銀龍は、馬を再び馬車につないだ。そして、ジャネットに手を貸しながら、ふたたび、馬車にのりこむ。

「魔術師殿」

「ジャネットでいいわ」

 銀龍はふぅっと息をついた。

「……魔術師殿は、誰よりも炎に愛されている」

 銀龍は、ジャネットのほうを見ずに手綱を握る。顔は無表情に近い。

 まるでジャネットと視線を合わせることを避けているかのようにも見えた。

「この国には『聖なる炎』が必要です。帝王ザネスから、あれを奪うためには、あなたとあの男の力が必要です」

「あの男?」

「そうでなければ……」

 銀龍はそこまで言って、口を閉じる。

 馬がゆっくりと来た道をたどり始めた。

 銀龍は、何を言いたいのだろう。

 ジャネットはその横顔を見つめて、言葉を待った。

「……」

 銀龍の口がかすかに動く。

 まるで、誰かの名を呼んだかのように、ジャネットには見えた。

 馬車は、ゆっくりと伯爵家へと向かっていた。


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