第8話   思惑

 ジャネットは、自ら灯した光玉の光量をあげた。

「こちらです」

 暗い夜道を、光で灯しながら先導する。

「魔術師さまとはいえ、若い娘さんが、ひとりでこの道を歩いてこられたとは」

 男は感心したようにそう言った。

 道は整備されてはいるものの、まわりに明かりは全くない。

 林は深く、遠くで獣の鳴き声がしている。

 ジャネットは、全身に緊張を感じながら、丘を下っていく。冷たい夜風と緊張で、身体が硬い。

 ジャネットは丘の下へ視線を向けた。

 暗闇の中に、にじむような灯りがある。おそらく、ラニアスがいる場所であろう。

「ずいぶん心細かったでしょう」

 男はそう言って、ジャネットを追い抜いていく。

 男の目にも、灯りがみえたのであろう。

「私、ひとりのほうが気楽ですので、大丈夫です」

 ジャネットは、答える。

 今回の状況は、採掘場で憎しみの視線を浴びているのより、ずっといい。

 誰かを危険にさらして、ただ見ているだけより、自分の身を危険にさらす方がマシだ。

「紅蓮の魔術師さまは、勇ましくていらっしゃる」

「私をご存知で?」

 ジャネットは男の背に問いかける。

 銀龍はともかく、男と面識はなかったはずだ。

「炎の神に仕えるものの間で、あなたを知らぬものはおりませんよ。私は炎の神ピュールに仕えるメンケントと申します」

 男は振り返って、にこりと笑う。

「何と言っても、あなたは炎に愛されていらっしゃる」

「……そうでしょうか」

 ジャネットは苦笑する。炎に愛されし紅蓮の魔術師の名に嘘はないとは思う。ただし、肝心な『聖なる炎』はジャネットには応えない。

「炎が、変革する力をあなたに与えたと、この前より囁いております」

「え?」

 言われた意味が分からず、ジャネットは首をかしげる。

 やがて、視線の先に転がった車輪が見えてきた。

「これはひどい」

 事故現場を目にした男──メンケントは、唸った。

「よく、ご無事でしたね」

「悪運は強いの」

 ジャネットはそう言った。改めて現場を見ると、ジャネット自身がほぼ無傷だったのは奇跡に近い。

「あの」

 ジャネットは、銀龍のほうを振り返った。

「あなたはここで待っていてくださった方が良いかもしれません」

「……大丈夫です」

 銀龍はそう言って微笑む。

「あなたが何を心配なさっているかは、理解していると思います。こう見えて腹黒の策謀家ですから、ご心配には及びません」

「そうですわね」

 優しい口調の奥に潜むものを感じて、ジャネットの身体がふるえた。

「そんな恰好では冷えましょう」

 銀龍はニコリと笑いジャネットの肩に自分の着ていた上着をかけた。

「紳士でいらっしゃるのね」

 ジャネットは微笑み、礼をのべた。でも、震えたのは寒さのせいでない。

 もちろん、銀龍もわかっているであろう。

 どのみち。

 ラニアスのことがないにしろ、この状況ではジャネットはあの神殿に助けを乞うしかなかった。

 街に戻るにも、叔母の家に行くにしろ、夜更けに一人歩きは危険である。

 帝国の治安は悪くはないとはいえ、夜道には、野獣や強盗にいつ出会ってもおかしくはないのだ。

 選択肢はないに等しい。

「こちらです」

 ジャネットは、メンケントたちを林の中にいざなった。

 固定された光玉のそばに、倒れている男がいる。

「ラニアス」

 ジャネットは駆け寄り、声をかけた。

「ジャ………」

 ラニアスの目はジャネットをとらえたものの、声はうめき声になって言葉にならない。

 呼吸も息苦しそうだ。

「しゃべらないほうがいい。胸も強打しているかもしれない」

 メンケントはそういい、持ってきた戸板を、ラニアスの隣に置いた。

「足を」

 メンケントは銀龍に指示を出した。三人がかりで、ラニアスを持ち上げて、戸板の上に寝かせる。

「すぐに運ぼう。かなり重症だ。お嬢さんは明かりを」

「はい」

 その言葉に安心したのか、ラニアスは意識を失ったようだった。

──まだ、助かってはいないのだけど。

 ジャネットは、ラニアスに目をやって、そっと呟いた。



 ジャネットは、神殿の奥にある食堂で暖炉の火にあたっていた。

 粗末なテーブルとイスではあるが、とても丁寧に扱われているのがわかる。

 テーブルに置かれた燭台のろうそくが、ゆらゆらと揺れ、そのたびに影が揺れた。

 今、ラニアスのために医者を呼んでもらっている。

 メンケントにここで休むようにと言われたものの、落ち着かない。

 かといって、医療の心得のないジャネットがいても、邪魔である。まして、銀龍の本拠地かもしれぬと思うと、さすがのジャネットも歩き回るのはためらわれた。

「薬湯をいかがですか」

 湯気を立てたコップを持ってきたのは、メンケントと、銀龍であった。

「ありがとうございます」

 ジャネットは緊張を隠しながら微笑をする。

「あの男は、たぶん、動かさないほうが良さそうです」

 メンケントと銀龍は、そう言って、イスに腰を下ろした。

「あなたに話しておくことがあります」

 メンケントは重々しく口を開いた。

「なんですか?」

 ジャネットは、受け取ったコップに口をつけたが、味を感じない。

 死刑宣告を受けても、受け止めようと思ってはいたが、いざとなるとふるえた。

「あの馬車の車輪が壊れたのは事故ではない。あなたは、狙われている」

「え?」

 意外な言葉に、ジャネットは目を見開いた。

「先ほど、調べに行ってきましたが、車軸が故意に緩められていた形跡を発見しました」

 銀龍が静かに告げる。

「故意に?」

「事故に見せかけようとしたのでしょう」

メンケントはそういって、肩をすくめた。

「あなたの御者がもう少し用心していたら、防げたかもしれませんが」

「そう……」

 ジャネットの脳裏に、『前回』のグルマスの姿が浮かぶ。

──ああ、そうか。

 この前は、グルマスから、何事もなかったのだ。

 嫌われていると思い込んでいたために、グルマスがどれほど真面目に仕事をしてくれていたのか、ジャネットは気が付いていなかった。

 周囲には敵しかいない。そう思い込み、何も見えていなかった。そう考えると、なんと酷い女であったのだろう。

「……それにしても、誰が?」

 ジャネットの視線を感じたらしい銀龍は、口の端を少し上げた。

「言っておきますが、私ではありません」

「そうでしょうね」

 ジャネットは頷く。事故に見せかけてジャネットを殺害するという手口は、銀龍には似合わない。

 ジャネットを殺すなら、民衆の目の前で『帝王ザネスの手先』として血祭りにあげるほうが、効果的だ。

「おそらくは、宰相閣下の手のものではないかと思いますね」

「宰相?」

「意外ですか? あなたは宰相に誰よりも憎まれておりますでしょうに」

 くっくっと、銀龍は笑う。

「ハリス皇子との婚約のことでしょうか」

 ジャネットは、得心する。確かに、ジャネットが余計な真似をしなければ、皇子の婚約者は宰相の娘のリアナで確定していただろう。

「……では、私が婚約を辞退すれば、解決するのかしら」

 もともとそのつもりではあった。ムファナ将軍からも、そうしてほしいと言われたばかりだ。

「それはおやめ下さい」

 メンケントが静かに口を開く。

「……なぜ?」

 ジャネットが婚約を辞退して、誰も困るものはいないはずだ。反乱軍にしたところで、採掘場の長たるジャネットが誰と結婚してもしなくても、関係ないはずである。

「何より、ハリス皇子がお困りになるでしょうね」

 面白そうに銀龍は笑った。

「皇子は、既にあなたを妻と決めていらっしゃる」

「まさか」

 何を言っているのかと否定しようとして、優しく抱きしめられたことを思い出す。

 しかし、あれは自分のものだと思っていたものがなくなると思って、意地になっただけのものだろう。

「聖なる炎を扱うには、炎との契約が必要です」

「契約?」

 初耳だ。どんな炎のささやきも感じ取れるはずのジャネットに、聖なる炎が応えなかったのはそのせいなのか。

「はっきりしたことは、我々神官にも秘儀とされていて、それこそ皇族にしかわかりませんけれど」

 メンケントは、そう言い置いて。

「まず、帝王家の血筋であること。妻になる女に一定期間預けた宝玉を捧げることというのが、必要とされているらしいです」

「……そうなのですか」

 ひとごとのように聞いていたジャネットの顔を見て、メンケントはため息をついた。

「そのネックレスは、皇子から贈られたものではありませんか?」

「え?」

 ジャネットは、首に下げているネックレスに手を当てる。

 赤い宝玉は、炎のように赤くきらめく。

「でも……」

 この宝玉が特別なものとは限らない。男性が宝石類を送って相手の機嫌を取るなんてことは、よく聞く話なのだから。

「納得いただけないようですね」

 ふうっとメンケントはため息をついた。

「その件は置いておいて。事件に関して申し上げれば、本当に皇子があなたを選んだのかは、問題ではないのです。あなたが選ばれたかもしれないという疑念が、犯人の動機なのですから」

 前回もこのネックレスをつけて夜会に出た。

 馬車は幸いにして、事故にはあわなかった。でも、それはグルマスが優秀だったからだ。

 そう考えれば、このネックレスが原因というのは納得できる。

「命を直接奪われるようなことがなかったとしても、あなたは宰相にとって目障りなことに変わりはない。この先、あなたは常に身辺に気を配った方がいい」

 銀龍の言葉に、ジャネットは苦笑した。

「ずいぶんとお優しいのね。あなたにとっても私は目障りな女でしょうに、このまま帰していただけるの?」

「帰したくはないのですけどね」

 銀龍がふっと笑う。

「でも、そのわけは、目障りだから、というわけではありませんよ」

「よせ」

 メンケントが銀龍をとがめるようににらむ。

「どういう意味ですの?」

 ジャネットの問いに、メンケントは肩をすくめた。

「……皇子も苦労なさるはずだ」

「放置しすぎなのです。まあ、帝王に対抗しようとして、恋愛どころではないのでしょうが」

 銀龍はニヤニヤと笑った。

「それでも、揺さぶりに簡単に乗ってきたところを見ると、魔術師殿よりは、自覚があるとお見受けした」

「そちらの理由で拒絶されたらどうするのだ。自重しなさい」

 メンケントはため息をついた。

 テーブルの上の燭台の炎が揺れる。小さな沈黙のあと、メンケントは銀龍に頷いた。

「今さら隠しても仕方がない。我々は、ザネス打倒をめざしている──そのために、あなたの協力がぜひ欲しいのです」

「私の? 無茶を言わないで」

 ジャネットが裏切れば父デニスは殺される。それに、ジャネットは民衆に恨まれているのだ。

「もちろん、ただとは申しません。デニス氏を救い出すのに協力いたします」

 メンケントは静かに告げる。目はしっかりとジャネットを見据え、嘘をついているようには見えない。

「ありがたいわね。私に何をさせたいの?」

「現時点では特に何も。あなたは、あなたであればいい」

「どういうこと?」

 それでは、あまりに都合がよすぎる。あとから、難題をふっかけるということだろうか。

「承知いただければ、御者の男をこちらで看病させていただくかわりに、あなたを伯爵家にお送りいたします」

 ふっとジャネットは笑う。

「残念だけど、私はあの男を見捨てるくらい平気な女よ」

「そうでしょうか」

 メンケントは、頭を振った。

「本当に平気なら、少なくとも私たちを現場まで案内はしなかったのでは?」

「それは……」

 命が目の前で失われるのが単に嫌だっただけだ。自分はそんなに真っすぐな人間ではない。

 だが、父デニスを救うのは、ジャネットひとりでは難しい。

「わかったわ」

 あとで何を要求されるかわからないけれど、父が助かるのであれば、それでいい。

 どのみち、このまま時が過ぎれば、父も自分も死ぬのだから。

「私としては、拒絶してくださった方が面白いことになりそうですけど」

 銀龍が残念そうにつぶやく。

「フレデリック、やめろ」

 メンケントが声を荒げる。

「おもしろいこと?」

 ジャネットが首をかしげた。

「あなたのそのネックレスを皇子に送り付け、あなたを人質にしてみようかな、と」

「……無駄よ。あなたがたが、身を危険にさらすだけ。なんの要求も通らないと思うわ」

 ジャネットは宝玉に触れる。

 やがて。皇子は帝王の命令で父を殺す。そのあと、追い詰められたジャネットを救おうとはしなかったのだから。

「……そう思っているのは、あなただけですよ」

 銀龍は呆れたように呟いた。

 

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