第2話 百済を訪ねる
朱蒙(チュモン)のビデオも最終回第81話に差し掛かった頃、朱蒙(チュモン)の妻である召西奴(ソソノ 配役:ハン・ヘジン)は、息子の沸流(ピリュ)と温祚(オンジョ)を連れて、高句麗から離れ、新しい国を求めて南に行く。そして、百済を建国することになるのだ。百済の都があった扶余(プヨ 旧字:扶餘)は、ネットで調べると、朝鮮半島の中西部よりやや南に位置する忠清南道(チュンチョンナムド)の郡であり、錦江(クムガン)別名、白馬江(ペンマガン)流域の自然に恵まれた静かな町とある。そして、白馬江(ペンマガン)とは、あの白村江の戦いの舞台となった場所のようである。百済は大和朝廷と友好関係を保っていた。特に第26代聖王の頃には、最後の王都となった泗沘(サビ)=現在の扶余(プヨ)に遷都し、新羅との関係が悪化するに連れ、日本との関係を強化し、諸博士や仏像・経典などを贈り、見返りに軍事支援を要請したようである。そんな歴史もあり、現在の扶余(プヨ)は、百済の名残りを留め、親日的な町に見える。私は、百済、そしてその源である高句麗や夫余(高句麗の前身の朝鮮半島北方の国)の歴史を訪ねて、扶余に行ってみたくなった。
扶余(プヨ)へは、ソウルからオプショナルツアーが運行されているようである。ソウル観光も合わせて二泊三日の旅を計画した。
一日目
羽田空港12時頃 金浦空港15時頃
ソウル市内観光(明洞) ソウル宿泊
二日目
扶余オプショナルツアー ソウル宿泊
三日目
ソウル市内観光(景福宮)
金浦空港16時頃 羽田空港18時頃
さっそくパスポートを申請して、旅行社には、明洞(ミョンドン)エリアのホテルの宿泊とセットでチケットの手配を依頼した。
5月の陽気に誘われて、私は、ソウルの街にいた。明洞(ミョンドン)は、ソウルの繁華街で、食べ歩きも楽しい。ロッテ免税店を巡って、南大門市場で焼酎を片手にサムギョプサルをいただく。屋台でも身振り手振りで言葉が通じてしまう。暗くなって街はさらに活気づいてきた。
屋台を十分堪能したところで、私は、スーパーで朝食を買って、タクシーを拾ってホテルに戻った。部屋は幾分広く、ダブルベッドでゆったりできる。明日は、扶余(プヨ)への旅である。シャワーを浴びて、ベッドに入ったのは10時頃だった。
明くる日は、6時に起きると、朝食を食べて、身支度を整え、ロビーでツアーの送迎車を待った。すると、7時半頃だろうか、日本語の上手な若い女性が、車で迎えに来てくれた。朱蒙(チュモン)のビデオで柳花(ユファ)姫を演じていたオ・ヨンスにどことなく似た魅力的な女性だ。そして、今回のツアー客は私だけだったので、運転手は別として、彼女と二人で旅することとなった。彼女は、キム・ヨンソさんと言った。なんと楽しい旅になることだろう。
私は、車の中で、彼女のことや扶余(プヨ)の町について、色々と教えてもらった。
「学生さんですか?」
「今は、扶余郡の韓国伝統文化大学というところで、文化財を中心に学んでいます。ときどき、こうやってツアーガイドのアルバイトもやっているんです。」
「扶余の町には博物館もあるし、いい教材が沢山あるんでしょうね。日本に来ることもあるんですか?」
「一度、京都に行ったことがありますよ。日本には、豊富な文化財があるので、参考になります。」
「今日廻るところは、どの辺になりますか?」
「今日は、定林寺址(チョンニムサジ)博物館と、国立扶余(プヨ)博物館を観て、昼食後、扶蘇山城(プソサンソン)を散策し、山の向かい側の皐蘭寺(コランサ)船着場から白馬江(ペンマガン)を遊覧し、帰途に就く予定です。それでも時間があるようでしたら、ご希望の場所にご案内します。」
車は、京釜(キョンブ)高速道路を南に2時間半くらいで、扶余(プヨ)の町に着いた。定林寺址(チョンニムサジ)博物館の駐車場に車を停め、博物館を見学する。博物館の中には、定林寺址(チョンニムサジ)から出土した遺物や寺全景の復元模型などが展示されており、キムさんは、百済における韓国の仏教が盛んな頃の仏教芸術や日本との交流などについて、詳しく説明してくれた。博物館の外には、有名な五層石塔や、石仏坐像が配置されている。五層石塔には、唐が平定したときの大将による碑文「大唐平百済国…」が刻まれている。説明してくれるキムさんの複雑な心持ちに慮った。
次の国立扶余(プヨ)博物館は、すぐ近くにあるので、私たちは歩いて向かった。ここには、所蔵約15000点のうち約1000点が展示されており、博物館の建物は仏教の象徴である「卍」の形で、中央ホールを中心点に進入路、展示室、管理室などが広がった羽のように連なった形状をしているらしい。展示品のうち、国宝の百済金銅大香爐や金銅弥勒菩薩半跏像、虎子(ホジャ:虎の形をした土器製の携帯男性用便器)などが、見どころとのこと。弥勒菩薩半跏像は、京都の広隆寺の弥勒菩薩半跏像にも通じ、日本との交流を物語っている。虎子(ホジャ)の説明のとき、キムさんのはにかんだ顔も、可愛かった。
お昼の時間となり、私たちは、扶蘇山城(プソサンソン)の向かいにある食堂で、名物の蓮の葉ご飯(ヨニッパッ)を食べることにした。この料理は、精進料理の一つで、豆や栗、松の実、かぼちゃなどが入ったご飯を蓮の葉で包んでから蒸しあげる、ほのかな蓮の香りのするやさしい味わいの料理らしい。
「蓮の葉の香りもいいですね。蓮は、日本でも、地下茎を蓮根として食べますね。それに、仏教の極楽浄土を象徴する花として、親しまれています。泥の中から、真っ直ぐに伸び、清らかな花を咲かせる姿には、感動してしまいますよね。」
「おっしゃるとおりです。私の好きな花の一つです。7月頃になると、この近くの宮南池(クンナンジ)には、沢山の蓮の花が咲き乱れるんですよ。」
「それは、見てみたかったなあ。時期が早いのが残念です。」
私たちは、しばらく休憩した後、扶蘇山城(プソサンソン)の正門である扶蘇山門を潜り、石畳の山道を散歩した。新緑の間から漏れる陽光が心地よい。しばらく歩くと泗沘楼に出た。ここは、標高が最も高く、百済時代には王が月を愛でた場所らしい。さらに進むと、落花岩の上に建つという百花亭と皐蘭寺(コランサ)が見えてきた。百済落城のとき、3000名の女官が落花岩から身を投げたと言われており、その後に供養として、百花亭と皐蘭寺(コランサ)が建立されたようだ。遠い昔に哀しい歴史があったのだ。百花亭からは白馬江(ペンマガン)の流れがよく見えた。朱蒙(チュモン)のビデオで柳花(ユファ)姫の河伯(ハベク)族が漢に皆殺しに遭った哀しい出来事を思い出し、キムさんにふと声をかけた。
「百済を遡ること800年程前、漢は百済の遠い前身である古朝鮮にも、同じような仕打ちをしたのかも知れません。」
「百済の前身は高句麗、高句麗の前身は夫余、夫余の前身は古朝鮮ということですね。扶余(プヨ)という町の地名も、昔の夫余の流れを汲んでいるからなのかも知れません。いい意味でも悪い意味でも、昔から大国の影響を受けて来たんですね。」
私たちは、皐蘭寺(コランサ)にお参りして、皐蘭寺(コランサ)船着場から白馬江(ペンマガン)の遊覧船に乗り、女官が身を投げたという落花岩を川の中から再度確認した。
まもなく、クドレ渡船場に着いた。傍らのクドレ彫刻公園を散策しながら、歩いて車に戻る途中、聖王の銅像が見えた。
「聖王は、日本の仏教浸透に貢献された方ですよね。」
「都をこの地に移し、百済の発展に貢献された方です。日本とも親しかったようですね。」
「李氏朝鮮の頃に、儒教を国教として、仏教を排斥したのは、残念です。教えを乞うた国なのに・・・。」
私は苦笑しながら続けた。
「日本では、仏教は人々の生活に溶け込んでいます。特に死んだ人の供養が主ですが・・・。お祝い事は神道です。結構いい加減な国民性なんですよ。」
「仏教が栄えていれば、韓国の歴史も変わったのかも知れません。」
キムさんが、聖王の銅像を振り返りながら、ふと呟いた。
予定していた時間に近づいていたので、少し土産物を見た後、私たちは、駐車場に停めてあった車に乗り込み、帰りの途に就いた。
道路は、思ったほど混んでいなかったので、18時頃にはソウルの街に着いた。
私は、帰ってから食事するのも億劫だし、今日のお礼を込めて二人を夕食に誘った。「もし差支えなかったら途中で夕食を食べませんか?代金は私が持ちますから。」
「私たちは構いませんけど。いいんですか?」
「そんなに高いものは無理ですけど、韓国のお勧めの鍋料理なんかどうかなと思いましてね。」
「じゃあ、参鶏湯(サムゲタン)なんかどうでしょう?高麗人参なんかも入っていて疲れが取れますよ。」
「いいですね。今日は結構歩いたから疲れてますからね。決まり!」
私たちは、明洞(ミョンドン)にあるレストランに向かった。
ホテルの地下にある専門店に入り、参鶏湯(サムゲタン)を三つと、それにビールとコーラを注文する。料理が運ばれてきたので、私たちは乾杯(コンベ)と言って乾杯し、参鶏湯(サムゲタン)を思い思いに味わった。高麗人参やナツメの味が効いているが、鶏肉とスープが以外とサッパリとしていて美味しい。
「疲れた身体には、薬膳料理でしかも美味しい参鶏湯(サムゲタン)が一番ですね。」
私がそう言うと、キムさんが笑顔で答えた。
「私も時々作ったりするんですよ。」
「料理もお上手なんですね。」
「いいえ、ネットで調べて、たまに時間があるとやるぐらいです。」
「最近は日本でも韓国料理店が増えているので、お馴染みの韓国料理が食べられますよ。」
「韓国でも、最近では回転寿司なんかの日本料理店が結構ありますね。」
「そうなんだ。確かに、さっき回転寿司店を見かけたかもしれない。最近は色んな国の色んな料理が、その土地に合わせてアレンジされて食べられるようになり、食生活が豊かになりましたね。」
私たちは、お腹も満たされて、店を出ると、ホテルに向かった。
「今日は、丁寧なガイドと運転ありがとうございました。お蔭様で韓国の歴史を身近に感じることができて、いい勉強になりました。」
「こちらこそ、食事までごちそうになってありがとうございました。まだ、未熟なガイドで物足りなかったかも知れませんが、そう言っていただけるとうれしいです。」
私たちはそう挨拶して別れた。
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