第七章 霊術家



 翌日の火曜、二限目が終わった休み時間に、塚本がそっと話し掛けて来た。

 「昨日、あの後すぐ太夫たゆうに会いに行って来たよ。貴様から聞いた話をした」

 「太夫?」

 「例の四津森志乃という霊術家のことだ。彼女の出身地方では、伝統的に女の霊術家や霊媒師を太夫と呼ぶんだ」

 「なるほど。で、その太夫は何と言っている?」

 「ずいぶん興味を持ったようだ。とりあえず一度、貴様の叔父に会いたいそうだ。次の日曜、その松岡という人の家に行っても構わないか?」

 「分かった。連絡してみよう」

 学校から帰宅すると、私はすぐさま松岡千鶴に事情を書き記した手紙を送った。彼女から了解する旨の電報が届いたのが、その三日後のことである。


 そして十四日の日曜早朝、私は再び大洗へと向かったのだった。



 千鶴の家を訪れると、開け放たれた縁側から、彼女が千景の顔を濡れ手拭いで拭いている姿が目に入った。

 「すっかりご面倒を掛けてしまって・・・・」

 居間に上がって、私が頭を下げると、彼女は控え目に微笑して首を横に振った。

 「面倒だなんて。別にたいした世話でもありませんわ」

 千鶴は勤務先の小学校から休みを貰い、千景の世話に専念しているという。

 「水を口に含ませてあげると、ゆっくりと飲み込んで、ほんの少しだけ微笑むような気がします。それを見ると、なんだかもうすぐ目を覚ましそうに思えるのですよ」

 そう語る千鶴の表情は、心なしか幸福そうであった。

 千鶴によると、驚くべきことに診療所の医師が毎日昼頃に訪れて、千景に輸液を打ってくれるという。

 「追い出すような真似をしてしまって、さすがに気が咎めたのかも知れませんわね。お代はいらない、と言って帰って行かれます」

 私は医師を見直し、先日、失礼な嫌味を言ったのを反省した。後ほど診療所へ行って、礼を言わねばなるまい。

 

 私は邸宅を出る前に兄から預かって来た封筒を、千鶴の前に差し出した。むろん中にはそれ相応の謝礼が入っている。

 彼女は最初、それを受け取るのを拒んだが、納めて頂かなければ僕が兄に叱られますと言って、半ば強引に押し付けた。


 「それで、その霊術家の先生は本当に今日、こちらにいらっしゃるのでしょうか?」

 「塚本という友人からはそう聞いています。そろそろ到着しても良い頃合いだと思うのですが」

 午後二時を過ぎても、四津森志乃という女の霊術家は現れなかった。家まで勝手に行くので出迎え無用、と塚本には言われたが、やはり水戸の停車場辺りで出迎えるべきではなかったか。

 そんなことをつらつら考えていると、玄関先で訪いを告げる男の声が響いた。

 千鶴が土間に下りて建て付けの悪い引き戸を開けると、ぬっと顔を突き出したのは、中肉中背で鳥の巣みたいなモジャモジャ頭の男であった。

 「松岡千鶴さんのお住まいはこちらでしょうか?」

 歳は三十半ばくらい。垂れがちの目を細めて男が無表情に尋ねる。

 はい、そうですと千鶴が応じると、男が脇に退いて、その後ろからもう一つの人影が姿を現した。

 

 ひどく小柄な女であった。歳の頃は四十前後か。この時期にはまだ珍しい「耳隠し」といわれる西洋風の断髪で、竜胆色りんどういろの着物にはよく見ると黒い梵字模様が入っている。

 小作りな顔は頬の肉が薄く、それなりに整ってはいるものの、しかし一際目を引くのは、その顔の左半分を覆う紫色の痣であった。

 「遅くなって相すみません。四津森志乃と申します」

 四津森志乃は折り目正しく一礼した。モジャモジャ頭の男は鳥口という名で、四ツ森の助手を務めているという。

 二人が屋内に招き入れられると、次に姿を現したのは私服姿の塚本であった。

 「なんだ、貴様も来るとは聞いてないぞ」

 驚く私に、塚本はニヤリと口の端で笑った。

 「月光症なる奇病をぜひこの目で見たくてね。それに太夫がどんな霊術を施すのか興味もある」


 挨拶もそこそこに、四津森志乃は千景の傍らに正座すると、その布団をそっと捲り上げた。千景は浴衣姿であったが、剥き出しの頭や手足の部分にはやはり影がない。

 「なるほど、月光症なるものを初めて拝見しましたが、今この方は魂魄こんぱくが分離した状態にあるのですね」

 「魂魄・・・ですか?」

 傍らに座った千鶴の問いに、四津森は静かに頷いた。

 「人間には二つのたましいがあるとされています。こんとは精神を司る陽の気のこと。はくとは肉体を司る陰の気のことを指します。私が見たところ、この奥村さんと仰る方は魂が脱け出した状態にありますが、しかし魄はいまだ留まっているので、肉体は滅びずに保たれているのです」

 「ではその魂を肉体に呼び戻せれば、奥村さんは意識を取り戻すのですね」

 千鶴の表情が希望の色に輝いたが、四津森は何も答えなかった。その代わり鋭さを帯びた眼差しで、座敷の壁や天井まで四方をぐるりと見渡す。

 

 「ここ最近、変わったことは起きていませんか? あるいは体調が優れないなど」

 四津森の質問に、千鶴は頷く。

 「実は奥村さんを宅でお預かりするようになってから、夜中になると奇妙なことがよくあるのです。家の周りを誰かが歩く気配がしたり、雨戸を叩く音がしたり。獣のような唸り声が聞こえるときもあります」

 「戸を開けて外を覗いたりはしていませんか?」

 「いいえ、ひょっとしたら奥村さんの影が戻って来たのではないかとも思いましたが、何か嫌な感じがして怖いので、朝が来るまでずっと閉め切ったままにしています」

 その答えに、四津森は満足したように頷いた。

 「それでようございます。夜中に戸を叩かれても、絶対に開けてはいけません。何故なら魂が離れてしまった奥村さんの今の肉体は、いわば半分空っぽの器と同じこと。するとそれを狙って、不浄のモノや悪霊の類が寄って来るのです。人間の肉体を欲しがる霊体はたくさんおりますから」

 そして鳥口という助手に命じて、彼が携えて来た大きな黒いトランクの中から、小さな袋を取り出させた。

 四津森はその袋を受け取って立ち上がると、千景の周囲をゆっくりと歩きながら、何かしら呪文のようなものを小声で唱えつつ、袋から掴み出したものをパラパラと畳に撒いた。見るとそれは米粒であった。

 「この米は二日間ほどこのままにして、それから掃き集めて川へ流してください」

 四津森の指示に、千鶴が頷く。

 「散米法というやつだ。あれで不浄を祓い、場を浄めるんだよ」

 私の隣に正座した塚本が、こっそりと耳打ちする。黙っていろと、私は奴の脇腹を肘で突いた。

 

 それから四津森は一振りの木剣を手に、それに赤い数珠を添えて、またもや呪文のようなものを唱えながら、四方の壁に向かって斬る真似事をする。それを終えると今度は千景の枕の下に、紫の房が柄に付いた小刀を差し入れた。

 そして次に千鶴の正面に立ち、彼女の頭上で片手で印を結んで九字を切り、呪文を唱える。

 「実はここのところ少し体調が悪く、あまり気分も優れなかったのですが、不思議とさっぱりしました」

 妙に晴れ晴れとした表情で、千鶴が四津森に顔を向ける。四津森は莞爾にっこりと笑った。

 「ごく簡単ですが祓いをし、結界を作りました。これでもう悪いものは寄って来ないでしょう」

 

 そのあと千景の身体から脱け出した影を、如何なる方法で元に戻すかという話になった。四津森はいわゆる“魂呼たまよばいの術”を行うと言った。

 「死者の魂はその人が亡くなった後も一定期間、この世とあの世の境に留まり続けます。その間に魂を肉体に呼び戻せば、死者は甦ると昔から信じられて来ました。奥村さんは亡くなられておりませんが、方法としてはこの術を応用できるのではないかと思います」

 四津森の説明に、その方面の知識に疎い私と千鶴はただ頷く他はない。

 「月光症なる事例は私も初めてなので、絶対に上手くゆくという保証は出来ません。しかし、ともかくも何とかやってみましょう」

 術を行うのは十月二十一日、土曜の夜と決まった。その日は新月であり、月の光による影響が最も少ないであろう、というのがその理由であった。

 

 こうして千景の身体に影を戻す手筈に、一応の段取りが付いたのである。


                (つづく)

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