第五章 月下の影法師
千鶴の住まいを辞すると、私は昼間に
どうせ今日中には帰れまいと、私は前日のうちに宿を頼んでおいた。古くからある宿場町でも一番大きな老舗に、今夜は泊まる予定である。
満月の翌日の月を、確か
よく晴れた夜空に、上辺の僅かに欠けた月が煌々と輝いている。電燈すら碌にない田舎の真っ暗な夜道では、この月明かりだけが頼りだ。
宿へ向かう道すがら、私は千景と千鶴の二人は実は男女の仲なのではないかと思った。いくら近所の付き合いとはいえ、独り身の若い女が病気の男を家に置いて看病しようとは尋常とも思われぬ。
むろん直接そんなことを尋ねはしないが、しかし半ば死人と化して昏睡状態にある千景を見つめる千鶴の眼差しには、ときおり慈母の如き情愛深い穏やかな輝きが宿るようであった。
神社を囲む鬱蒼とした黒松の杜の傍らを抜け、急勾配の坂道を下ると、明るい灯の点る賑やかな宿場通りに出る。その中でも一際目を引く三階建ての豪勢な建物が、私の今夜の宿である。
通りを歩く酔客にとってはまだ宵の口であろう。人波を掻き分け、客引きの女たちの手を逃れて、私はその門前を潜った。
私が通されたのは二階の座敷であった。部屋はどこも埋まっているようで、不景気というのが信じられない。
とりあえず風呂に入って汗と疲れを洗い流し、それから宿の電話室を借りて交換手に番号を告げ、麻布の邸宅に繋いでもらった。
兄は不在であった。今宵はさる子爵の招きでオペラの舞台を観劇に行っているという。
財閥の総帥ともなると、そうした上流階級の付き合いは日常茶飯事である。きっとまた、どこぞの華族か財閥の娘との縁談でも勧められていることだろう。
兄は今年で三十になったが、いまだに独り身で通している。その気になれば花嫁候補には事欠かないはずだが、本人にはまだその気がないようだった。
執事の田沼に簡単に事の次第を告げ、詳細は明日、帰ってから兄に話すと言って電話を切った。
海沿いの宿らしい海鮮尽くしの夕飯を済ませると、私は肘掛け窓に背中を凭れ、ぼんやりと外の景色を眺めた。
宿の真下は斜面になっていて、緩やかに湾曲しながら続く海岸線の向こうには、港の灯りが星のように瞬いている。ゴツゴツした岩がところどころ剥き出しになった砂浜で、海に突き出した岩礁の上には石造りの鳥居が建ち、その足元を打ち寄せる波が洗っていた。
見渡す浜辺に人影はない。暗い海は鏡面のように銀色の月を映し、遠く沖合いには幾つもの漁り火が赤々と燃えている。
濃い磯の薫りと頬を撫でる潮風。暗い
昨夜、千景はこの海岸線を一人で歩いていて、月光症なる奇病により影を失い、半ば生ける屍と化したのであった。
千景の奴、まさか月の女神に気に入られた訳でもあるまい。そう嘯いて、そういえば千景には以前から変わった習慣があったのを私は思い出した。
彼は月の明るい晩になると必ず夜中に邸宅を抜け出して、一人きりで街中を徘徊するのであった。
一度は警邏中の巡査に見咎められ、わざわざ兄が警察署まで迎えに出向いたことがある。しかしそれで懲りるかと思えばまったくの逆で、千景はその後も家人の目を盗んでは、月明かりの下を相も変わらず夢遊病者のように彷徨うのだった。
華族の身内が深夜の徘徊などいかにも外聞が悪い。兄が何故そんな奇行をするのかと問うと、千景はこう答えたという。
「理由は自分でもよく分からないのですが、僕はなんだかあの月に呼ばれているような気がするのです。だから月まで辿れる道を、きっと探しているのかも知れません」
ずいぶんと人を喰った返答だったが、兄は呆れつつも千景を特に厳しく叱ることもなく、その後も好きにさせた。兄は千景に甘過ぎると私にはそれがいささか不満だったが、しかし千景が何か問題を起こすとしても、せいぜいその程度のことであった。
妾の子という立場を意識してか、千景は普段から決して何かを主張したり、目立つような行動を取ることはなかった。
邸宅内にいても食事のとき以外はほとんど誰にも姿を見せず、自室か庭園内の東屋に籠もって、一人で本を読み耽っているのがほとんどであった。
彼の傍らにはいつも本があった。たいていは文学書かその類だ。『新青年』や『白樺』などを手にしている姿を、ときおり目にしたことがある。
この時期はいわゆる「大正教養主義」が爛熟を迎えていた時代である。
明治の書生たちは政治や経済の世界での立身出世を夢見たが、日露戦争後に
「自我」あるいは「自己」などの言葉が流行し、社会主義者たちからは「自我教」などと揶揄されていたのである。
私はあまり文学には興味がなかった。友人たちと話を合わせるために、偶に流行作家の小説などを読んでみたが、正直に言ってそれほど面白いものとも思えなかった。むしろ明治の書生のように、男子の本懐は立身出世にあり、と素朴に信じていたのである。
子供の頃は海軍に憧れていた。しかし生まれつき身体が弱く病気がちだったので軍人になるのは諦め、色々と悩んだ末に今度は法律家の道を志し、いずれは兄の右腕になろうと考えていた。
そんな私からすると、千景はひどく頼りなく軟弱に思えてならなかった。
いつも人の輪から外れて孤塁を守り、夢見がちで世俗のことに一切関心を示さず、芸術や文学の世界に耽溺している人間。そのような輩が国を傾けるのだと思った。
私はときおり千景に対し、政治や世界情勢などについて議論を吹っかけることがあった。しかし彼はそんなときでも決して己を主張せず、ただ黙って微笑するばかりであった。
もうはっきり言ってしまおう。私は千景が嫌いだったのだ。
しかし彼が失踪してからというもの、その不在こそが、私の中で千景の存在を逆説的に際立たせた。
彼が本当は何者であったか。何を思い何を考え、何を誇りとし何を夢見ていたか、私はどれ一つとして知らず、また理解もしていなかった。私にとって千景とは、霞の掛かった月のように朧気で、まるで掴み所のない影そのものだったのである。
とりとめもない物思いに耽っていると、襖が開いて、女中が夕飯の膳を下げに入って来た。丸顔の頬が林檎のように真っ赤で、歳は私とあまり変わらないように見える。
「お客さん、東京の人でしょう」
地元訛りの言葉で、女中が話し掛けて来た。
「分かるかい?」
「この辺の人とは言葉が違うもの。なんだか品があるし、きっと良い家のお坊ちゃんなんだろうね」
「お坊ちゃんか・・・」
私は苦笑した。女中の物言いはあけすけで遠慮がなかったが、邪気がないので不快には感じない。
お喋りな女中に話を合わせ適当に相槌を打っていると、階下の座敷からどっと笑う大勢の声が響いた。その中に女たちの嬌声も混じっている。
「うるさくしてごめんね、お客さん。今日は下に団体さんが来てるから」
女中がペコリと頭を下げる。どこぞのお大尽が芸者でも呼んで騒いでいるのだろう。そのうち、ざわめく声のなかに、三味線の弦を爪弾く音が聴こえた。
「あ、この三味線は源吉さんだね」
女中が顔を綻ばせる。
「誰だい?」
「この辺で按摩をやってる人なんだけど、浪曲が凄く上手で、頼めば唄ってくれるんだよ」
やがてぱらぱらと拍手がして、ざわめきが収まったあと、思ったよりも年若い、やや掠れがちな朗々たる唄声が辺りに響いた。
荒磯の
巌にくだけし
月影を
ひとつになして
かえる波かな
滝川廉太郎の『荒磯の波』を、浪曲風に変えたものだった。作詞はかの徳川光圀である。
「相変わらず良い声だねぇ」
女中がうっとりしたように頬に手を当てる。それからふと思い出したように「あらやだ、つい話込んじゃって。おかみさんにまた叱られっちまうよ」と、膳を両手に捧げ持ち、ぺこりと頭を下げて、慌ただしく座敷を出て行った。
賑やかな女中のお陰でなんだか心持ちが軽くなったような気がして、私は再び夜の浜辺へと目を向けた。
すると、遠く白い波打ち際に、誰か佇む影があるのに気付いた。
私は思わず腰を浮かせた。いつの間にか立ち込めた霞の向こうに人影はぼんやりと滲んで、その正体はまるで判然としない。
人影は月を見上げているようであった。足下に迫る波を気にする様子もなく、その姿はまるで闇夜がそっと人の形を纏って現れたもののように得体が知れなかった。
月明かりに誘われた観光客であろうか。あるいは千景の身体から抜け出して、いまだ地上を彷徨い続ける影か。
確かめに行こうかと思い、しかし「自分たちで影を捕まえようとしてはいけない」という医師の忠告を思い出して、私は改めてその場に腰を下ろした。
階下の座敷で、按摩の唄う声が再び聴こえ始めた。月を見上げる影法師はまんじりとも動かない。
波は繰り返し打ち寄せては遠ざかり、月下に響く唄声を、遠く海の彼方まで運ぶようであった。
(つづく)
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