第四章 月光症(其の二)
あまりに非現実的、非科学的な医師の話に、私は眩暈を覚えるような心持ちであった。
影とは何か。それは直進性を持つ光の波長に比して物体の質量が巨大であることから、その輪郭に生ずる物理現象である。故に物質を離れて影が独立することなどあり得ないし、あってはならないのだ。
しかしそのあり得べからざるはずのことが、現実に私の目の前で起きている。しかもよりによって、身内である叔父の千景の姿を伴って。
影を失った千景の顔はひどく立体感に乏しく、まるで紙切れのように薄っぺらであった。ただ影を失ったというだけで、人間とはこうも実在の重さを感じられなくなってしまうものかと、私は奇妙な感慨に捉えられた。
「それで、叔父はいったいどうすれば、その月光症とやらから回復できるのですか」
私の問いに、医師は頭を横に振った。
「分かりません。これはもはや近代医学の分野ではない。離れてしまった影を元の肉体に戻すことが出来ればあるいは・・・・とも思いますが、しかしその方法すら私には見当も付かないのです」
そして、まるで神の啓示を説く神父のように厳かな表情で、彼はこう言ったのだった。
「影が昇天するのは満月の晩のみであると、文献には記されています。それが事実なら叔父上の影は・・・・おそらく次の満月までは地上に留まっていることでしょう」
肉体と影が分離したままであれば、千景は次の満月の晩をもって確実に死ぬ。そう私は理解した。次の満月は十一月四日。指折り数えて、あと二十八日間しかない。
どうしたものかと考え込む私の耳に、医師の信じられないような言葉が飛び込んで来たのはこのときであった。
「親族の方が来られた以上、当院としては一刻も早く患者を引き取って頂きたい」
「───あなたは医師のくせに患者を見捨てるおつもりか!」
私は思わず激昂した。しかし医師は顔色一つ変えず、傲然とした態度を崩そうとはしなかった。
「申し訳ありませんが、近代医学で出来ることはもう何もないのです。それよりもこの村に診療所は当院だけです。そんな場所でたった一つしかない入院ベッドを占有されては困るのです」
医師の言い分はもっともであったかも知れないが、しかし感情的には承伏しがたい。だが、まともな設備もないこんな田舎の診療所では、難病の治療など不可能なのもまた事実である。早急に兄に連絡して、帝都の大病院に転院する手続きを整える他はあるまい。
そう考えていたとき、背後からふと「あの・・・・」と、遠慮がちな声がした。医師との対話中、ずっと沈黙を守っていた松岡千鶴である。実はこのときまで、私は千鶴の存在をすっかり失念していたのだった。
「それならどうでしょう。奥村さんを私の宅でお預かりするというのは」
彼女の申し出は意外なものであった。
「お気持ちは感謝致しますが、叔父は帝都の病院に転院させようと思います。こんな田舎の診療所では、まともな治療一つ期待出来ないでしょうから」
半分は医師への嫌味である。彼は明らかにムッとした表情をした。
だか千鶴は頷きつつも、静かにこう反論したのである。
「お言葉ですが、先ほどこちらの先生も仰ったように、近代医学では治すのが難しい病とのこと。それに奥村さんの身体に影を戻すことが出来れば、意識を回復する可能性があるのでしょう? それなら、なおさらこの土地を離れるべきではありません。どうか私にお任せくださいませんか」
彼女の言うことも、確かにもっともであった。私はしばし考え、結局はその申し出をありがたく受けることにした。
いずれにせよ今すぐ千景を東京に連れ帰ることは出来ないし、まずは兄に事の次第を報告せねばならない。それに控えめだが芯の強さを感じさせる口調や物腰が、この松岡千鶴という女性を信じるに足る人物であると、私に思わせたのだった。
診療所の小間使いに俥を呼びに走らせ、俥夫に手伝ってもらい、千景の身体を俥に乗せる。すっかり日が落ちて暗いせいもあり、俥夫は千景の身体に影がないことに気付かなかった。
「このことはご内密にお願いします」
入院費を払いながら私がそう言うと、医師はやっと厄介払い出来る安堵感を隠そうともせず頷いた。私が一族の体面を気にしたのに対し、彼は別の心配をしているようだった。
「こんなことを世間に公表したら、私は医師免許を剥奪されてしまうでしょう」
いざ診療所を出ようという段になり、医師が今さら思い出したようにこんな忠告を口にした。
「影を身体に戻せば意識を回復するかも知れない、という話ですが、くれぐれも自分たちで影を捕まえようなどとしないことです」
それはいったい何故かと尋ねると、彼はいささかもったい付けた様子でこう答えた。
「文献によると、月光症によって肉体から離れた影に第三者が触れてしまった場合、その人物の影も肉体から分離してしまうのだそうです。つまり接触による二次感染の怖れがある。だから決して自分たちで影を捜そうなどとせず、万が一にも影を発見したとしても絶対に触れてはいけません。それがあなた方のためです。よろしいですね?」
松岡千鶴の自宅は、千景の借りているあばら屋から四、五軒ほど離れたところにあった。
千鶴の住まいもまた古い農家である。土間が広く、狭い板張りの居間があり、奥座敷が二間。それに猫の額ほどの庭があるばかりだ。
俥夫に手伝ってもらって千景を奥座敷まで運び、千鶴が敷いてくれた布団に寝かせる。
俥夫が帰ったあと、私と千鶴は千景の枕元に座って少し話をした。
「奥村さんは教養があって品の良い方だと思っていましたが、まさか華族さまのお身内とは存じ上げませんでした」
千鶴がいささか気恥ずかし気に俯く。
「こんなあばら屋にお預かりするなんて、なんだか申し訳ありませんわ」
「華族といっても僕の祖父は元々、八丁堀の鉄砲職人ですよ。それに日本の華族制度など、しょせんは欧州の物真似に過ぎません」
そう言ってから、私は自分の言葉がひどく偽善的であることに気付いた。いくら謙遜したところで身分の違いは厳然としてあり、長引く不況によって貧富の格差は広がる一方である。
大正文化華やかなりしとはいえ、それは主に都市部に住む比較的裕福な中流層以上のものであり、あの米騒動を始めとして各地では小作争議が頻発し、通りには失業者が溢れ、農村は疲弊している。
大多数の庶民の食生活もまだまだ貧しく、大正期における二大国民病の一つが栄養失調による脚気であり、それによって年間二万人以上が命を落としていた。
教育水準も決して高いとは言えない。明治三十三年(一九〇〇年)に尋常小学校の授業料が無料化され、一般庶民の子供でも小学校に通えるようになったが、それでも通学率が九割を越えたのはつい最近のことだ。
千鶴の控え目だが洗練された物腰や言葉遣いは、とても地方の農村に生まれ育った者とは思われぬ。訊けば、出身はやはり東京であるという。
「私は幼い頃に母を亡くし、兄弟姉妹もなく、父と二人暮らしでした。父は小さいながらも貿易会社を営んでおりましたが、しかし欧州大戦後の恐慌の煽りを受け、会社は倒産してしまいました。借金がなかったのがせめてもの救いでしょう。しかし父の失意は大きく、そのために体調を崩してしまい、それから間もなく亡くなりました」
その後、一人になった千鶴は父親の生まれ故郷である大洗へとやって来た。周りから縁談なども勧められたが全て断り、女子師範学校を卒業していたので、現在は地元の小学校で教員として働いているという。
こんなところにご婦人が一人暮らしで不用心はありませんかと訊くと、この辺りはのんびりしたもので別に怖いこともありませんと微笑む。
私はこの地での千景の様子について尋ねてみた。彼女によると、千景は半年ほど前、どういう伝手を辿ったのか分からないが、空き家になっていた一軒家に一人で越して来たのであった。
どうやって暮らしを立てていたのかと訊くと、借家で私塾を開いていたらしい。
「最初は代筆業をされていたんですよ。この辺りは貧しくて禄に小学校にも通えず、読み書きすらままならない人が多いですから。手紙や役所に出す書類など、よく頼まれたそうです」
それからだんだんに読み書きを教えて欲しいと、子供だけでなく大人も集まり始めた。たいした収入にはならないが、一人扶持なので食うのには困りませんと笑っていたという。
私はごく簡潔に、千景の生い立ちと今回の経緯を語った。自分の枕元でこのような話し合いが行われているのも知らぬ顔で、千景は相変わらず死人のように眠ったままである。
千景がいかなる動機により高倉の家を出奔したのか、また何故この大洗の地を選んだのか、彼が目覚め得ぬ限り永遠の謎のままであろう。
時刻はすでに夜の八時を回っている。私は千景のことをくれぐれもよろしく頼み、千鶴の住まいを辞すことにした。
(つづく)
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