第二章 海辺にて



 それから翌々日の十月七日、土曜。

 半ドンで学校から帰宅した私は、休む間もなく私服に着替え、そのまま麻布の邸宅を後にした。

 普段なら休日でも外出の際は学生服を着るのだが、失踪中の叔父を訪ねるなど、なるべく人目を避けたい用件である。

 グレーの背広姿に鳥打ち帽を目深に被った私は、いささか子供っぽいが、ちょっとした探偵気分であった。


 邸宅に母の姿はなかった。千景の件は伝えていない。

 どうせ帰宅は明日になるので、友人宅に泊まりに行ったとでも伝えておくよう、執事の田沼に命じた。昔から放任主義の人なので、別に気にも留めないだろうが。

 一人娘で祖父に甘やかされて育った母は、「今日は三越、明日は帝劇」の宣伝文句のままに、毎日遊び暮らしている。


 茨城の大洗へ行くには、東京駅から常磐線で水戸まで下らなければならない。水戸の停車場ステイションに到着した頃には、西の空に日が傾き始めていた。

 そこから乗合自動車バスに乗り、そろそろ稲刈りが始まった黄金色の田園風景の中を走った。

 途中、大勢の鉄道工夫たちが線路工事に従事しているのを見かけた。水戸から大洗の磯浜という所まで私鉄が開通するのは、翌大正十二年末のことである。


 大洗海岸は観光地としても有名であり、夏になると大勢の海水浴客で溢れ返る。私も幼い頃、両親に連れられて海水浴に訪れた覚えがあった。

 当時、学生だった兄は学業が忙しいという理由で同行しなかったが、おそらく家族旅行など煩わしいと思ったのだろう。

 その当時、海水浴とは一種の医療行為であった。打ち寄せる波に全身を浸すことで血行が良くなり、身体が丈夫になるのだと信じられていた。

 私は生まれつき病弱な子供だったので、心配した両親に連れて来られたのだが、海中に立てられた支柱に掴まり次々と打ち寄せる波に耐えているうちに、かえって具合が悪くなってしまったのは今となっては笑い話である。


 やがて車窓の彼方に、大洗のなだらかに湾曲した海岸線が見えて来た。


 大海原を遥かに見渡す高台に建つ、大洗磯前神社の近くで乗合自動車を降りた。神社を取り囲む鎮守の杜は、海辺の土地らしい鬱蒼とした黒松である。

 そこから近くでくるまを頼み、手帳にメモした住所に向かうよう俥夫しゃふに伝える。

 大洗の海岸線が見えたときは子供時代の思い出に懐かしくなったが、今はこれから叔父の千景と対面しなければならない事実にいささか気が重い。

 それにしても千景は何故、この大洗の地を失踪先に選んだのであろうか。兄にはああ言ったが、そもそも私と千景は親しく言葉を交わすような間柄ではない。


 思いは自然と過去に引き寄せられてゆく。


 祖父が千景を麻布の邸宅に連れて来たその日、初めて会った彼はほっそりとして色白の頼りなげな少年であった。

 当時の私はまだ十二歳である。歳がたった三つしか違わないので、あまり叔父という気がしない。

 祖父に促され、私と千景は西洋風に握手を交わして挨拶をした。豪放磊落な祖父に似ず、物静かで大人しそうな印象であった。線の細い整った顔立ちは、おそらく母親譲りであろう。

 兄の貴広は、ごく自然にこの年下の叔父を受け入れているようであった。祖父に似てあまり細かい事に拘らない性格の兄にしてみれば、弟が一人増えたようなものだったのかも知れない。

 その兄の態度を好もしいと感じたのか、二人の間に親しい関係が築かれるのにさほど時間は掛からなかった。


 問題は母である。祖母はその数年前に他界したので今さら文句も言えまいが、その分だけ娘である母には、祖父にぶつけたい不満もあったようだ。千景を家に引き取ることに最後まで反対したのも母だった。

 晩婚だった祖父は、祖母との間に一人しか子を儲けることが出来なかった。それが私の母、澄江すみえである。その半生はある意味で、鳥籠の中の鳥と同じと言って差し支えあるまい。

 何一つ不自由のない贅沢な環境で育ちながら、自分の意志で選べることなどないに等しかった。まだ女学校に通っていた十七歳で祖父の選んだ男と結婚させられ、長男である兄の貴広を産んだのはその翌年のことである。

 母の相手である父の幾次郎は、枢密院メンバーで軍とも深い関わりを持つある伯爵の孫であり、これが政治的な思惑に基づいた結婚であることは疑いようもない。

 それでも文句一つ言わず従って来た母が、正面から祖父に逆らったことは、単に祖父の祖母への不実をなじる以上の意味が秘められていたのではないかと、今さらのように思う。

 しかし一族の専制君主たる祖父の意向が覆るはずもなく、結果として母は千景を無視することに決めた。ことさら嫌がらせをする訳ではないが、母の千景に対する態度は極めて冷淡であった。


 一方の私はというと、やはりまだ子供であったので、心情的にはどうしても母の味方をしてしまうのであった。

 さらに千景が兄とずいぶん親しくしているので、なんだか兄を取られたような気持ちになったのかも知れない。

 私は千景に対していささか敵意を含んだ態度で臨み、彼もまたそんな私を避け、私たちの間にはついぞ親しい交流は生まれなかったのである。

 兄が私を千景への使者に選んだのは、身内であることに加え、そうした事情も考慮した上でのことであろう。「この際、腹を割ってわだかまりを解いて来い」という兄の気遣いは、こう言ってはなんだが、ありがた迷惑ですらあった。


 

 内陸側にしばらく進むと、集落の外れにある一軒の古い農家の庭先で、俥夫は俥を停めた。

 探偵の報告によると、千景は空き家を借りて住んでいるとのことだったが、これはまた見事なあばら屋である。

 茅葺き屋根にはぺんぺん草が生え、壁は傷んで黒ずんでおり、柱は斜めに傾いている。およそ人の住む所とも思われぬ。庭の片隅に立つ柿の木の実はまだ青々として、鳥が啄んだ様子すらない。

 俥夫に金をやって俥を降り、私は玄関先で何度か訪いを告げたが、一向に誰の姿も現れなかった。雨戸はぴったりと閉められ、玄関の引き戸には鍵が掛けられている。

 留守であろうか。あるいは居場所を突き止められたのを察知して、早くもどこかへ逃げ出したのかも知れなかった。

 どうしたものかと思案していると、背後から「あの、もし・・・」と、控え目な声がした。

 振り返ると、格子縞に小豆色の地味な着物に身を包んだ女が、少し遠慮がちな様子で佇んでいる。

 年の頃は二十四、五といったところか。黒い髪を束髪に結い、色白で細面の顔立ちは、どこか竹下夢二の描く女を思わせた。


 私は軽くお辞儀をすると、女に尋ねた。

 「この家に住む、奥村千景という者を知りませんか。僕は・・・彼の親戚なのですが」

 女は目を丸くして驚いたようだった。

 「まぁ、奥村さんの。それは奇遇でいらっしゃいました」

 いったい何が奇遇なのか怪訝に思うと、次に女の口から飛び出したのは、予想だにしない意外な言葉であった。

 

 「実は奥村さんは昨夜、この近くの海岸で倒れているのを発見されたのです。診療所に運ばれましたが、いまだに意識がありません」


                (つづく)

 


 



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