月光症例 ~或いは影の昇天~

月浦影ノ介

第一章 失踪人




 ある奇妙な物語を語らせて欲しい。

 あまりの荒唐無稽さに、俄には信じられないだろうが真実の話だ。


 そして、これは私の遺書でもある。



 あれは忘れもしない、大正十一年(一九ニニ年)十月五日のことである。

 その当時、私は学習院高等科の二年生で十八歳だった。


 夕食を済ませ自室で参考書を広げていると、執事の田沼が来て、兄が書斎で呼んでいると告げられた。兄の貴広たかひろとは十二歳も離れていて、早くに父を亡くした私にとって父親も同然の存在であった。


 「───千景ちかげが見つかったぞ」


 ドアをノックして書斎に入るなり、安楽椅子に座った兄が、机越しに開口一番そう言った。面食らったまま無言で立ち尽くす私は、さぞ間抜けに見えたことだろう。

 

 「茨城の大洗おおあらいだ。あいつにはなんの縁故もない土地だと思うが。雅広まさひろ、お前、千景から何か聞いていないか?」

 「・・・・いえ、特に何も」

 兄の問いに、私は気を取り直してそう答えた。

 「ただ大洗といえば、まだ父上がご存命だった頃、母上も一緒に連れ立って、海水浴に行った覚えがあります。あるいは彼にそんな話をしたことがあったかも知れません」

 「そうか・・・」と、兄は顎に指を当て、少し考え込む様子である。

 「それにしてもよく見つかりましたね。この半年間、まるで行方が知れなかったのに」

 私が声を掛けると、兄は少し皮肉っぽい微笑を見せた。

 「探偵を雇って捜させた甲斐があったな。まあ、一族の体面にも関わることだ。放っておく訳にもゆくまい」


 マホガニーの机の上には、ウイスキーの瓶と琥珀色の液体を半分まで満たしたグラスが置かれていた。最近、兄の酒量がいささか増えたような気がする。

 「すまないが雅広、大洗へ行って千景に会って来てくれないか」

 「僕がですか?」

 驚く私に、兄はグラスを手に笑った。

 「甥っ子が叔父に会いに行くだけだ。別に不都合はあるまい」

 「それはそうですが・・・・」

 思いがけぬ提案に、私は少なからず当惑した。

 「しかし、彼が僕の言うことを聞くでしょうか」

 「何も連れ戻せと言ってる訳じゃない。あいつがこの家を出たいなら、それでも構わないんだ。金に困っているなら援助もしよう。だがいったい何故、何も告げずに勝手に家を出たのか、これからどうしたいのか、千景の本心が知りたい」

 「それなら誰か、使いをやっても良いのでは?」

 「身内の問題だ。出来るだけ他人の耳目を入れたくない」

 兄は口元でグラスを傾けた。葉巻も嗜むはずだが、気管支の弱い私を気遣って、傍らにいるときはいつも吸わずにいてくれる。

 「俺が行っても良いんだが、あいにく今は帝都を離れる訳にはいかない」


 先の欧州大戦により、日本は驚異的な好景気を迎えたが、それも戦争の終結と共に急激な翳りを見せ、大正九年には株価が大暴落し、長い恐慌に突入した。造船業を中心に栄えた成金たちはまるで泡沫の如く次々と姿を消し、主に軍需産業で利益を得ていた我が高倉財閥も大きな痛手を被った。

 十年前、不慮の事故で二代目総帥だった父が亡くなり、剛強無双で鳴らした創業者で初代総帥の祖父が再びその地位に就いたが、その祖父も一昨年あっけなくこの世を去った。

 一族の命運は、この若き三代目である兄の双肩に掛かっている。重責であればこそ、いくら身内とはいえ些事に構っている暇はあるまい。


 尊敬する兄の頼みとあれば無碍むげに断る訳にもいかず、結局は引き受けることになったが、私にも学業がある。そこで明後日の土曜、学校から帰宅したら、その足で大洗へ向かうことで話が付いた。

 「良い機会だ。この際、腹を割ってわだかまりを解いて来い」

 書斎を出る際、兄の言葉が耳元に届いたが、私はそれには応えず一礼して退出した。


 自室に戻って再び参考書を開いたが、やはり先ほどの話が妙に気に掛かって落ち着かなかった。


 ───奥村千景。


 係累は私たち兄弟の叔父に当たる。歳は二十一で、私とはたった三つしか違わない。

 東京帝国大学の学生であったが、半年ほど前に突如として何の前触れもなく、書き置きも残さずに失踪し、それ以来ずっと消息不明のままであった。


 彼のことを語るには、まず祖父の話からせねばなるまい。


 私の祖父、高倉吉之助たかくらきちのすけは天保八年(一八三七年)、八丁堀の鉄砲職人の家に生まれ、前髪の取れる前から家業を手伝っていた。

 黒船来航の折りには、わざわざ浦賀まで見物に行き、これからは武器が売れると直感したという。戊辰戦争が始まった頃には三十一歳になっていた。

 世は幕末、風雲急を告げる動乱の時代である。戦となれば武器がいる。跡を継いだ祖父の店には注文が引きも切らず、幕府と維新側の双方を相手に大儲けをした。

 天性の商才だろう、店はどんどん繁盛し、やがて日本橋に大店おおだなを構えるようになる。

 明治の世に移ってからも、台湾出兵、日清日露の両戦役などにおいて、軍需物資の調達により巨大な利益を上げ、政商的実業家として政財界に確固たる足場を築き、やがて男爵の爵位を得た。

 そして商事、鉱業、土木の三つの事業を柱とする高倉財閥を設立し、自らがその初代総帥に就任したのである。

 一代にしてこれだけの事業を成し遂げた人物だ。体力も気力も人並み外れて強く、一度は娘婿である私の父、幾次郎いくじろうにその座を継がせたものの、前述したように幾次郎が不慮の事故により還らぬ人となると、再び総帥の座に就任し、大正九年八月、八十三歳で亡くなる直前まで辣腕を振るったのであった。


 私と三歳違いの叔父、奥村千景は、この祖父が六十四歳のときに、千代ちよという新橋の若い芸者に産ませた子である。


 この時代、社会的に成功し、財力と権力を手にした男が、妾を囲うことは別に不自然ではなかった。妾がいる男には甲斐性があるとされ、特に商人は妾の存在が信用に繋がったのである。逆に妾を手放したりすると、「妾も囲えないほど店が傾いたのか」などと陰口を叩かれたりもした。極端な例だが、囲った妾は二十人以上、成した子供の数は五十三人という剛の者もいる。

 そうした振る舞いを妬み半分、新聞や雑誌などに面白おかしく書き立てられもしたが、当時の社会通念として妾を囲うことは一般的に許されていたのである。


 祖父は麻布の本邸にほど近い場所に妾宅を構え、そこに母子共々住まわせていたが、大正五年、千代が急病により若くして亡くなってしまった。彼女は早くに両親を亡くし、親戚もいない天涯孤独の身の上であった。

 そのため他に引き取り手もなく、たった一人遺された千景を、祖父は誰にも相談することなく麻布の本邸に連れ帰ったのである。

 千景はこのとき十五歳であった。ちなみに奥村とは、千景の母親の姓である。


 ともかくも母を亡くした千景はこうして高倉邸に引き取られ、私たち家族と共に暮らすことになったのであった。



                (つづく)

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