エデンの園と男湯

英雄が誕生した暫くあとの午後6時。


「よし、俺は一旦終わりにするわ。そろそろ支度するか」


「ああ、もうこんな時間か」


 パソコンで作業をしていた一真と三雲が、進捗を保存して作業を中断する。


「二人ともお疲れ様です~! わたしは準備できているので、いつでもいけますよ!」


「あ、じゃあ私も用意するね!」


 結構前に絵を描き終えたらしい楓と、ついさきほどミュウツーの解放に成功したのぞみもそう続いた。


 四人には一週間に一度の日曜日にだけ、とある習慣がある。

 それは……


「よし、行くぞ!」


 一真が音頭を取る。


『『銭湯だーー!!』』



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 銭湯という文化はいまや珍しいものになった。


 大規模に運営される温泉館とは違い、個人で営業しているところは大分少なくなっている。ましてや都内ならば尚更であろう。


 だが四人の家が比較的"下町"と呼ばれる所にあったのも幸いしてか、奇跡的に近くに一件だけ、細々と運営されている銭湯がある。


「ああ、そろそろくる頃だと思ってたよ。いらっしゃい」 


「おばちゃん、こんばんはー!」「こんばんはーっす」「おじゃまします~」「こんばんは」


 柔和な笑みを浮かべたおばちゃんが四人を迎えると、元気よく返事するのぞみに続いて一真、楓、三雲も挨拶する。


 このおばちゃんと四人は、もはや顔馴染みと言える。


 彼女は今年で85だそうで、ずいぶんと長い間夫(87)とこの銭湯を経営しているらしい。


「もうここに来てくれる客なんてあんたらぐらいしかいないからねぇ。 もう営業時間を日曜日のこの時間だけにしようかと思うぐらいなのよぉ。ヴォッホッホッホッホ!」


 ちょっと悲しいことを言いながらも快活に笑うおばちゃん。


 四人はなんて返せばいいか判らず苦笑いする。


 と、そこで楓がある違和感に気づいた。


「そういえば、おじさんはどこにいるんですか?」


「ああ、あの人ならトイレに座った拍子に腰やってあっこで寝てるわよォ。やーねーほんとしょうもないんだからァッハッハッハッハ!」


 ……とりあえず、今日もおばちゃんが元気そうで何よりである。



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 銭湯は流石に男女混浴というわけにもいかず、男二人と女二人で別れることになる。


 だが、この銭湯の特徴でもあるのだが、男湯と女湯を隔てるのは薄い木の壁一枚のみ。 


 つまり、隣の声はある程度聴こえてくるというわけだ。この銭湯は基本的に客がいないため、お風呂に入りながら向こう側と遠慮なくお喋りできる。


 ちなみに一真曰く、残念なことに覗きはできないらしい。


 それはともかく、身体を流して湯船に浸かった一真は、即座に女子風呂(というかのぞみ)に煽りをいれはじめた。


「おーい、のぞみー! 胸は成長したか~? 一週間の牛乳生活は効を奏しましたか~??」


 すると、すこしくぐもった声でのぞみの怒声が返ってくる。


「うっさいわねバカ一真! 牛乳は好きで飲んでるの! それ以上言うと、後でキンタマ蹴りあげるわよ! あ、あと蜜柑も好きで食べてるだけだから! 豊胸効果とか期待してないから!!」


「蜜柑のくだりは普通に知らなかったぞー」


「お前らは毎回毎回……飽きないのか?」


 この入浴後の初手貧乳煽りはもはや恒例となっている。


「というかなぜ楓のことは煽らないんだ? あいつも別に大きくはないだろう?」


「聴こえてますよ三雲くん?」


 のぞみの重い声が壁越しに伝わってくる。お湯に入っているのに寒いのは果たして気のせいだろうか。


「ゴメンナサイ」


「……ほら、こんな感じになるからだよ。あいつ、怒るとなんか怖いもん」


「俺もこれから気を付けるとしよう……」


 とまあ、こんな光景も四人にとってはいつも通りだ。


 この会話にどこか安心感すら覚えながら、四人は一週間の疲れを癒すのであった。





 閑話休題。





「そういえば一真。お前、新人賞用の小説の進行具合はどうなんだ?」


 女湯には聞こえないぐらいの声で三雲がそう聞いてくる。


「ん、ボチボチだ。今日で大体終わらせたから、あとはエピローグと最終確認でそのあと推敲だな」


「そうか」


「なんだよ、俺は大丈夫だぞ。前回よりもかなり良い作品だと自負している。……あまり自分の小説に優劣をつけたくはないが」


 三雲は再び『そうか』とだけ言うと、顔を一真のほうに向け、目をあわせる。


「……新人賞やコンテスト含め、賞は数多あれど、それら一つ一つの倍率がとてつもなく低いのは俺も知っている。運も多分に絡むのだろう。だから、万が一と言うことがあっても、」


「どうしたんだ? だぁいじょーぶだって、そしたら再トライするだけだろ? 俺が例え一度や二度弾かれたってクヨクヨする男に見えるか?」


「……いや、念のためだ。お前はお気楽なお調子者だからな」


「だろ?」


 一真はそう言って、ニッと笑った。


 だが、三雲は知っているのだ。


 前回、彼の小説のタイトルがサイトに載っていなかったときの彼の焦りを。


 そう、焦りだ。


 一真は単なる頭が軽いやつでも、嫌なことはスパッと流せるような割りきったやつでもない。本人は気づいてないようだが、それを既に三雲を含め他の三人は知っている。


 一真は本当、自分の周りの幼なじみたちがプロとして続々と活躍するなか、自分だけがアマチュア止まりなことに常に焦りを覚えているのを知っている。


 置いていかれるのが怖い。自分だけ劣っているのが辛い。自分だけが不甲斐ない。新人賞の2次選考の結果が表示されたあのとき、彼の心中が更なる焦燥で充たされていたのを知っている。


 ____コイツは本当は、誰にも劣らない志をもっていて、表面上ではおちゃらけてても裏では無理をしている奴だということを知っているのだ。


 だから、三雲は不安だった。


 もし万が一のことがあったら、きっと一真はさらに焦るのだろう。そして、きっと多くの無理をするに違いない。



 三雲は瞑目する。


 本来ならタイムリミットなどないのに。子どもの頃の"約束"を、バカ正直に守ろうと必死になる必要もないのに____






「じゃあ、そろそろあがるか」


「ああ」


 長い時間を経たあと、男二人はそう交わして湯槽から上がるのであった。




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 場面は移り、エデンの園女湯


 そこでは、ちょっと胸の足りない女神二人が優雅に湯遊びをしていらっしゃった(※胸が足りないというのは一真巨乳好きの感想であり、筆者は貧乳も大好きだと明記しておく)。


 さて、桃源郷女湯を覗くのは本来なら誰にも許されない行為なのだが、今回はその禁忌をちょっとだけ破らせていただく。


 男湯でちょっとシリアスしている隣で、楓とのぞみはいったいどんな会話を交わしていらっしゃるのか。


「……だから絶対三雲くんの方が小さいと思うんですよ! ちんちんが!!」


「同意するわ。絶対三雲のちんこは小さいわね! ………はぁよかった、ふつうに言えるみたい」


「? どうしたんですか??」


「ううんなんでもないわ! それより、明石のほうは……」




 成程。




 神などいなかった。




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