第4話

 瑠衣は腕を組んで三人を見ると、ふっと小さく笑みをこぼした。


「随分と余裕のようだね。僕は眼中にないということかな?」

「そうだな」


 翼が同意すると、瑠衣の可愛らしい顔に影ができる。緋鞠はそれを見て、さぁっと血の気が引く思いがした。


(なんで火に油を注ぐようなことをいうかな!?)


 緋鞠は焦って翼の腕を叩いても動じず、ツンとした態度を取り続ける。こうなったら、私がどうにかするしかない。


「えっと……初任務だし、緊張するね。瑠衣は大丈夫?」

「ああ、むしろ早く闘いたくてうずうずしているよ。君は案外、小心者なんだな」

「あはは……」


 こっちもツンが強くていらっしゃる。緋鞠は顔をひきつらせると、視線を逸らした。どうにも、瑠衣とは顔を合わせづらい。

 すると、どうしたことか。今度は腕を引かれて下がらせられると、翼が前に出る。翼の背に隠れて瑠衣が見えなくなった。


「で、あと何かあるか?」

「は?」

「ないなら終わりだ。おい、銀狼も行くぞ」

『指図するな』


 ぷんぷんと怒りながら銀狼がこちらに走ってくる。それを見ると、翼は緋鞠の背を押して歩き始めた。


「ちょ、待ちたまえよ!」


 慌てた瑠衣の声が背後から聞こえた。緋鞠は振り返ろうとするが、翼が肩に手を添えているせいでできない。

 翼は首だけ後ろに向けると、鬱陶しそうに顔をしかめる。


「なんだよ」

「急に参加する気になったかと思えば、何なんだ! 学級委員にも、僕たちにも興味がない。一体何のために競う気になったんだ!?」


 そういえば、素直にチームを組もうといった理由を知らない。緋鞠も気になって聞き耳をたてていると、なにも聞こえなくなる。


(あれ、なんで……あれー!?)


 翼にがっちりと耳を塞がれていた。どうにか外そうと奮闘しても、隙間さえできない。とはいっても別に痛いわけでもなくて、絶妙な力加減である。

 バタバタと暴れる緋鞠をものともせず、翼は考えるような素振りを見せた。


「そうだな。プライドと……仕返し」


 ニヤリと口元を歪ませて、冷ややかな笑みを浮かべた。碧に潜む嫌悪感の色に、瑠衣はぐっと口をつぐむ。


「見下してんじゃねぇよ。今に吠え面かかせてやるからな」

「んなっ……!」


 瑠衣はカチンっと、すぐに怒りで顔を真っ赤にさせた。


「僕は僕のために、蓮条のために必ず勝ってやる! 吠え面をかくのは君たちのほうだ!!」

「あっそ」


 翼は馬鹿にしたようにべっと舌先を出すと、向きを変えてさっさと歩き出す。

 どうせ何を言ったって聞きやしないし、ああいう手合いはまともに相手したら面倒だ。適当にあしらうに限る。

 大体さきほどの言葉、“僕たちに興味がない”。それは当主という人間、という意味だろう。なぜ、当たり前のことを聞くのか。

 ため息をつきたいのを堪えて進もうとすると、とうとう痺れを切らした緋鞠が肘鉄を発動した。素人なら避けきれぬ、キレのよいそれを軽々避けると、あからさまに舌打ちをされた。


「ちっ、避けられたか」

「危ないだろ」

「翼が全然離してくれないからじゃん! 話も聞こえないし、喧嘩っぽくなるし。少しは仲良くしようよ」

「無理」

「そんな即答しなくても……鬼狩りは協力しなきゃ!」


 協力することの必要性を身ぶり手振りで語る緋鞠をじーっと見る。

 自分を押し殺してまで当主という型に嵌まる、彼らのような生き方を否定するつもりはない。

 けれど、興味があるものを問われれば、どれを取るかは決まっている。

 家や当主ではなく、一人の人間として自分を知ろうとしてくれた少女。


(……こっちのほうが、よっぽどいいに決まってる)


 自然と笑いが込み上げてきて、下を向くと不満げな声が聞こえてきた。


「あー! 話聞いてないでしょ!」

『そんなやつほっといていいぞ』

「なによ、さっき困ってたときに銀狼は湊士と遊んでたくせにー!」

『あ、あれは湊士がどうしてもというから』

「ふーんだ! 二人なんか知ーらない!」


 緋鞠は怒って二人から離れようとすると、ふと空気が変わった。

 ピンっと糸が張られたような感覚に、緊張感が走る。

 いつの間に現れたのか、小屋の上に人影が見えた。それは音もなく静かに飛び立つと、鳥居の前に降り立った。

 全身を覆うほど大きく、黒い羽のようなマントを纏った人。顔はフードと口元を隠す布で覆われていて、まったく見えない。


「生徒の皆様は、こちらへお集まりください」


 凛とした、涼やかな女性の声。

 その声になんとなく聞き覚えがあった。でも、誰だか思い出せない。どこで聞いたのだろうか。

 記憶を探ろうとすると、一陣の風が横を通りすぎる。凄まじい風に目を閉じて再び開くと、その女性に翼が槍先を突きつけていた。

 特徴的なマントに、聞き覚えのある女の声。数週間前に刃を交えた野鳥の茶木だ。


「てめぇ……降りろっていったよな?」


 茶木だけに聞こえるよう小さく、厳めしい声で訊ねた。茶木は今すぐにでも刺しかねない強い殺気に動じることなく、淡々とした声で答えた。


「私に決定権はありません。命令は遂行いたします」

「ああ? 大体野鳥は表に出ないはずだ」

「貴方に野鳥のなにがわかる……!」


 ガラス玉のように無機質な瞳の奥、暗器のように隠された殺気が見え隠れする。その感じたことのないどす黒い感情に、初めて背筋がぞっとした。

 茶木は畳み掛けるように、そっと囁いた。


「貴方が私の邪魔をするなら、あの子にバラします」

「は?」

「ターゲットにバレたりしたら。あなた、終わりですよ?」


 終わり──隊員として、だろう。

 だけど、知られたときの、彼女の反応が脳裏に浮かんだ。

 胸が掴まれたかのように息苦しくなる。記憶の片隅に追いやっていた、忘れていたかった。

 けど、俺の役割は──。


「翼! なにしてるの!」


 ぐいっと腕を捕まれて、数歩後ろに下がる。翼は槍から手を離すと、顔を俯けたまましばらく動けなかった。

 それに気づかず、緋鞠は代わりに茶木に謝る。


「ごめんなさい! 怪我とかしてないですか!?」

「大丈夫です。誰かと勘違いしたようですね」

「本当にごめんなさい」

「いえ、気にしてませんから」


 そういって、茶木は少し距離を置いた。翼が何もしなければ、本当に何も言わなさそうだった。だけど、それでいいというわけではない。


「翼? どうしたの?」


 心配そうに覗き込む緋鞠と、まともに顔を合わせられない。

 後回しにしたツケが一気に来たようだ。けど、今それを考えている暇はない。無理やり「なんでもない」と、声を絞り出した。

 緋鞠はそれでも表情が暗い翼のことが気になったが、琴音と銀狼も集まったことから、これ以上聞き出すことができなかった。


 茶木は全員集まっていることを目視で確認すると、話を始めた。


「それでは、簡単に確認を。これからあなた方にはこの結界内に入ってもらい、月鬼を狩りながら集合場所である南の鳥居を目指していただきます。時刻は私が合図した午後二十二時から午前一時まで。勝敗は月鬼の討伐数、および到着した速さとなっております」


 そうして、茶木は鳥居の方へ手を差し向けた。


「準備はよろしいですか?」


 各々、自身の封月を具現化させた。

 剣、槍、弓、銃など基本的なものから一風変わった武器まで。それぞれの得物を握りしめて、開始の時を待つ。


 秘めたる想いを抱く者。重責に耐え忍ぶ者。選ぶべき道を決めかねている者。

 それぞれの想いを胸に抱いて──今、合図が告げられた。


「始めてください」


 一斉に鳥居を潜り、生徒の姿は闇へと消えていった。

 残された茶木は懐からスマートフォンを取り出し、電話を掛ける。


「こちら、青東山鳥居前。全員出立いたしました。はい、滞りなく……わかりました」


 電源を切って懐にしまうと、バサッと袖で顔を隠す。腕を下ろすと、顔を覆っていた布から野鳥の証である嘴のマスクに変わった。


「雀。ただいまより、任務を開始いたします」


 ダンッと地を蹴りあげ、マントを大きく広げた。風が布を押し上げて大きく空へと舞い上がる。


 上の真意は探らない。聞かない。気にしない。命令は必ずこなす。

 でなければ──死。


(……あんな若造に、邪魔をされてなるものか)


 茶木は一層高く空へと舞い上がりながら、紅い月の眩しさに目を細めた。

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