第5話

 空には紅い月が昇り、月明かりが示すように浮かび上がる道をそれぞれ走り抜ける。

 地面には草花の目が芽吹き始めたばかりで、所々に薄い氷が張っていた。足を乗せる度にパキンっと、割れる音が鳴る。湿気た冷たい風が肌に突き刺さる。春の山は依然として冷蔵庫のような寒さで覆われていた。

 緋鞠たちは木々の間を縫うように、迷いなく走った。琴音と翼が先導して、緋鞠と銀狼がそれを追いかける。もう二組の姿は見えなくなっていたが、別段不安もない。それぞれ別のルートがあるのだろう。


「俺たちはまず、まっすぐ鳥居を目指すこのルートを使う」


 翼は唖雅沙がくれた青東山の詳しい地図の真ん中辺りを指差した。奥には複数の池が存在する湿地帯、そのもっと手前は隆起が少ない平原のような土地が広がっている。

 翼が選んだのは、その間の最も木々が密集する森林区域だった。


「この手前の平原のほうが闘いやすいんじゃない?」

「平原は最も月鬼が出やすい区域だ。奴等は月明かりが満ちる時に現れる。まだ討伐に慣れていないのに、多勢に対応できるか?」

「確かに、まだ不安が残るね」


 まだ一度もチームとして闘った経験がない。あまり無茶すべきではないか。

「それに」と、翼は言葉を続ける。


「花咲の能力を有効的に使うことを考えれば、森林区域が最も最適だ」

「え? 私ですか?」


 きょとんっと琴音が驚いた顔をする。


「おまえの巫女としての力を使えば、索敵範囲が広がる。そうすれば効率的に討伐できるし、危険な戦闘は避けられる」

「全部討伐しないの!?」


 今度は緋鞠が驚いた。もう目の前に現れた月鬼は片っ端から全て倒すつもりでいた。

 翼は呆れたように首を振る。


「おまえ、まだまだド素人だろうが。星宮が階級は強くても酉の梅まで、とか言っていたが、自然発生した奴等の階級は不明。それ以上に強いやつらが出現する可能性だってある。そのときは闘わない」

「でも、月鬼って逃したら、また次の日も出てくるんでしょ?」


 月鬼は紅い月が昇っている間だけ現れる。倒せずに月が沈み、夜が明ければ消えてしまうが、存在が消滅するわけではない。

 また次に月が昇れば、再び現れる。しかも、消えた場所から現れるのではなく、違う場所に移動していることが多いのだ。その不意打ちで命を落とす隊員の事例だって少なくない。


「そういうときのために、二年のチームが監視役として見回りをしているらしい。だからそういったのは、その二年に任せるぞ」

「そう……?」


 なんだかその言葉が意外で、気の抜けた声を出してしまった。緋鞠の呆けた顔をみて、翼はムッと顔をしかめる。


「なんだ、その顔」

「いや、翼のことだから俺がやる! って言いそうなのにって思ってたから。大雅も『翼は月鬼絶対狩るマンだから、途中でいなくなっても冷静に対処しろよ』って」

「余計なお世話だ! 大体なんだ絶対狩るマンって。だっさ!」


 ぶつぶつと小声で、今日こそしめじのフルコースにしてやると聞こえた。


(え、なにそれ。ご褒美じゃないか!)


 炊き込みご飯から汁物まで想像を膨らませてしまい、じゅるりとよだれがこぼれそうになる。思わずにやけそうになる頬を押さえると、何を勘違いしたのか銀狼が文句を言い始めた。


『本当に勝手にいなくなったりしないな? 人を誘っておきながら放置して、二人に怪我をさせたら……貴様の喉笛を掻き切ってやる!』

「ちょ、銀狼! 物騒なこと言わないで!」

「そうですよ! それに、自分の身は自分で責任を持ちますから!」


 今すぐにでも飛び掛かろうとする銀狼を二人で抑えると、翼はため息を吐いた。


「さすがにおまえらを戦場のど真ん中に置いていったりしねぇよ。それに、俺だって仲間を死なせたくない。だから……」


 翼が言葉を止める。その顔には引いたような、恐ろしいものを見たような表情に変わった。銀狼は不思議に思って視線の先を辿って振り返ると、キラキラと星が降ってきたように見えた。

 要因は緋鞠と琴音の感激による表情の輝き。二人とも目をキラキラさせて翼を見ていた。


「聞いた? 仲間だってよ」

「ええ聞きました。仲間ですって」

「嬉しいね」

「嬉しいですね」


 二人で手を取り合って、微笑みあっている。二人分のマイナスイオンが舞い始め、翼は自分が口した言葉がらしくないことに気づいた。

 慌てて弁解を始める。


「あれだ、あれ。勢いというか、チームだから一応ということで、深い意味は」

「照れてますね」

「可愛いね」

「やめろ!!」


 真っ赤になって抗議するが、二人はまったく聞かなかった。それどころか追ってくるのをくるくる二人で回りながら避ける始末。

 最後には座布団を被り込んでふて寝する翼と、ショックで固まる銀狼、お花畑な二人を大雅が見つけて事態は収束した。


(あのときは嬉しかったな……じゃなくて! そう、森林区域を通って南へ下る)


 話に聞いていたとおり、やはり木々が多く鬱蒼としていた。しかし、まだ春先であるため地面に近い木々の枝には葉が少なく、通行の障害になるほどではない。それに──。


 ピタッと琴音が足を止めた。翼もそれに気づいて、少し前で止まる。


「……すみません、少しいいですか?」


 二人は頷くと、琴音はすぐ近くの幹に耳を寄せる。走りながら植物彼らの声を聞いていたら、気になる声が聞こえた。

 意識を集中させると、心臓が波打つように小さな波動が伝わってくる。暗闇をハミングするみたいにだんだん近づいてきた。


 木琴の上を転がるような、ポンポン跳ねるリズミカルな声。


『この先いるよ』

『近くにいるよ』

『こわいこわーい、ちっちゃな鬼さん!』

『力はよわーい! だけどいっぱーい!』

『どうか巫女さま、気をつけて!』


 パチッと目を開いて、ごくりと生唾を飲んだ。緊張で高鳴る胸を落ち着かせるように、小さく息を吐いてから振り返る。


「この先、月鬼の群衆がいます」

「階級と数は?」

「小さくてたくさんとだけ。おそらく小鬼だと思うのですが……」

「わかった。なら、この先は」

「はい、私が先行するよ!」


 緋鞠が元気よく手を挙げると、二人は頷いた。銀狼に肩から降りてもらって元の大きさに戻ってもらうと、緋鞠は封月に意識を集中させる。


「月姫」


 封月が淡く光ると、手元に緋鞠の背丈ほどの筆が現れる。それと共に現れた月姫が、いつものきれいな十二単の姿で微笑んでいた。


『はーい♪ 今日はどうするの? このまま? それとも、別の武器に変身?』

「変身で」

『わかったわ。どんな姿にしてくれるの?』


 緋鞠は迷いなく、手慣れた様子で空中に書いた。


『刀』


 文字が赤く光って浮かび上がると、筆が姿を変える。大きさが二尺ほどの黒い日本刀が右手に収まった。


『わぁ、初めて刀になったけどいいわね! 頑張りましょうね』

「うん! それじゃあ試しに……」


 軽く振って剣舞を軽く舞ってみる。程よい重さで手によく馴染んだ。ヒュッと空気を裂くように振り切り、静かに下ろした。


「よし、準備できたよ。行こうか」


 二人と一匹は頷くと、再び走り出す。

 手元の確かな重みに安心感を抱きながら、まっすぐ突き進んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る