第3話

 起きている人がまばらになる時間帯である二十一時過ぎ。空には満天の星空と、紅く光る月が大地を照らしていた。

 青東山へと続くアスファルトの道を、黒のワンボックスカーが登っていく。登山口を示す看板を無視し、少し進んだ先にある小さなログハウスの前で止まる。

 車の扉が自動で開くと、緋鞠、翼、琴音、銀狼を含めた三人と一匹が降りた。


「ありがとうございました」

「ご武運を」


 緋鞠は車のライトが暗闇に消えていくまで、それを眺めていた。足元にいたポメラニアンサイズの銀狼は、緋鞠の肩に登るとマフラーのように巻きつく。


『大丈夫か?』


 気遣わしげに聞いてくる相棒に、うん、と小さく返した。怖じ気づいたわけではない。ただ、なんとなく山はもの寂しくなる。


 特に、春の山は。


 兄が行方不明になって迎えた、初めての春。

 体の鍛え方や武術についての知識がまったくなかったため、棒きれを振り回すことしかできなかった緋鞠の前に、その老人は現れた。


『なんじゃおヌシ……白夜の忘れ形見か?』


 当時、得たいの知れない老人に恐れおののいた。けど、兄の名を知っているということは鬼狩りの関係者のはず。

 緋鞠はぐっと足を踏みしめて、窪んだ老人の瞳をまっすぐ見据えた。


「私、鬼狩りになりたいんです。私に、闘い方を教えて下さい!」


 それが師匠との出会いであり、そのとき訪れたのがちょうど春先の山だった。


(師匠。遂に、ここまで来ました。初任務、立派にこなしてみせます)


 そう心に誓って、緋鞠は集合場所へと足を踏み入れた。


 出発ポイントである鳥居の前には、すでに他の生徒が集まっていた。

 ふんわりとしたブラウスに、かっちりとした黒のベストとスカート。トレードマークのベレー帽を被り、西洋人形のように可愛らしい戦闘服を身に纏っているのは瑠衣。

 その後ろには、瑠衣と揃いのブラウスに騎士のようなパンツスタイルの奈子が控えていた。また、昨日言っていたとおり由利は休んでいるのだろう。見たことのない女生徒がもう一人いた。


 それに対し、白のシャツに黒のベストと羽織を纏ったシンプルな戦闘服の来栖。その隣には、シャツに涼しげな髪色とよく合う、花火のような羽織を纏った湊士がいた。三人目はてっきり蔵刃かと思ったが、緋鞠の知らない男子生徒だった。

 それが少し気になっていると、湊士と目があった。深い紫色の瞳をぱあっと太陽のように輝かせ、わんこのように駆け寄ってくる。


「緋鞠、おまえもこっち担当で嬉しいぜ。やっぱり三國のチームに入ったんだな」

「うん! 湊士も、来栖くんのところなんだね。そういえば、蔵刃はいないの?」

「あー、あいつ二年だからな。来栖の側で闘えないから、悔しげにわめいてたぜ」


 湊士は意地悪そうな笑みを浮かべて答えてくれる。しかし、緋鞠は驚いてそれどころではなかった。


「先輩だったの!?」


 どうしよう。投げ飛ばしたり、呼び捨てにしたり、かなり失礼な態度を取ってしまった。


「別にいいよ。先輩扱いとか慣れてないだろうし。あ、いや。それも面白そうだな……」

「え?」


 湊士は緋鞠の肩を組むと、耳に口を寄せる。内緒話だろうか。


「今日、二年は監視役として狩場にいるんだけどさ。蔵刃もここ担当なんだよ。見かけたら先輩呼びしてみろよ」

「いいけど、何か企んでない?」

「ないない。絶対面白いからさ。な?」

「はいはい、わかったよ」

「サンキュー!」


 ぎゅっと抱きついてくるのを、よしよしと頭を撫でた。もはや扱いは大型犬である。銀狼は緋鞠と湊士の間で、ガウガウ吠えたてた。


『こら湊士! 馴れ馴れしいぞ!』

「えー、友達だし普通だろ。なー」

「ねー」


 並んで相づちを打つと、ぞっとするような冷たい視線を一瞬感じる。そちらを見ると、翼が氷のように冷えた目をしていた。


(なにか怒ってる!? どうして……ああ、敵と馴れ合うなってこと!?)


 湊士は敵じゃないアピールで、さりげなく握手をして見せる。ところが、さらに眉間にシワが加わっただけだった。しかも、効果音が付きそうな怒りの炎を滲ませながら。


(なんで!?)


 もう半泣きである。おろおろと困っている緋鞠を見て、湊士は不思議そうに首を傾げた。


「んー? どした?」

「……分かりあえるのは難しいようです」

「なにが?」


 私の力が足りないばかりに、ごめんよ湊士。しばらくはライバルだ。

 そっと背を押して来栖のもとへ返しに行こうとすると、逆に来栖がゆったりとした足取りで近づいてくる。


「やぁ、神野さん。湊士の相手をありがとう」

「なんだよ、俺が手がかかるみたいじゃねぇか」

「自覚がないようで何よりだよ。このように、少し無礼に見えるが、根は悪いやつじゃないから。仲良くしてやってくれると嬉しいな」


 来栖の言葉に、緋鞠も素直に頷いた。それは、初めて会ったときから知っている。遠巻きに見るのではなく、真っ正面からぶつかってきて話してくれる生徒は、ここではとても珍しいから。


「こちらこそ。これからもよろしくね」


 笑顔で返すと、来栖はほっと安心したように笑顔を浮かべた。


「だそうだよ。よかったね、良き友人ができて」


 湊士はふんっと拗ねたようにそっぽを向く。だけど、赤く染まった耳までは隠せていなかった。


「なんだよ、おまえは俺の親か!」

「俺はおまえの主だよ」

「……それもそうだな!」


 理解が早いというのか。御しやすいというのか。思わず来栖と顔を見合わせて笑ってしまう。

 すると、背後から近づいてくる足音が聞こえた。来栖はそちらを見ると、先程の柔らかな雰囲気から一転して真面目な表情になる。

 振り返ると、いつものクールな表情をした翼がいた。


「こんばんは、三國君。今日はよろしく頼むよ」

「ああ。といっても、こっちは副賞なんざどうでもいいがな」


 副賞……学級委員の件だろう。それについては、緋鞠もまったく同意である。

しかし、二人の間では静かに火花が散っている。その苛烈な炎に耐えきれず、半歩下がろうとすると腕を捕まれた。

 驚いて翼を見る。チラリとこちらを見たかと思えば、そのまま視線を来栖に戻した。


(え、ここにいろって? やだよ、ここめっちゃ居心地悪いよ!?)


 助けを求めて周りを見ても、琴音はなぜか遠くの木々の間からこちらを見ているし、銀狼はいつの間にか湊士の腕のなか。しかも、撫でられていてこちらに気づいていない。


(主ほっといて、そっちかい!? 本当に仲良くなったね!!)


 ちょっとジェラシー! なんて言っている暇はなさそうだ。そこに不適な笑みを浮かべて瑠衣まで近寄ってくる。

緋鞠は昨日、瑠衣に怒鳴られたことを思い出してビクッと肩を揺らした。


「随分楽しそうだね。僕も交ぜておくれよ」

「全然楽しくないよ……」


 思わず小さく文句をこぼすと、翼がぐいっと腕を引いて耳打ちしてくる。


「聞こえてるぞ。それにおまえがこれに巻き込んだんだろうが」

「ひぃ」


 そうでした。私でした。ごめんなさい。


 すっかり忘れていたし、久しぶりの翼の睨みになにも言えなくなる。

 心のなかで必死に謝るが、翼はまったく離してくれない。それどころか逃げ出さないように、さらに腕をガッチリ組まれた。

そして瑠衣と来栖もそれを知りながら気にせず、そのまま話し始める。

 緋鞠は人質にされた気分で、ぐったりとしながら思った。


 誰か、この状況をどうにかして──!

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