第9話

 二人が出ていったあと、翼は再びベッドに寝転んでいた。

まさか、あのときにそのまま寝てしまうとは……。

 おそらく緋鞠が気を遣って、あのまま寝てしまったことは明白である。だけど、目を覚ましたときは本当に驚いた。


(心臓が口から出るかと思った……)


 だけど、それは嫌だからではなく、なんといったら良いのか。それ以外の緊張で、顔が火傷しそうなくらい熱くなった。

 まだ熱っぽい顔を冷ますように、手のひらで顔を覆いながらため息をついた。少し過去を話して、感情の整理がついた気がしたのだが。なんだかまた、ぐちゃぐちゃになった気がする。


 特に、さきほどの出来事。

 銀狼が自身に良いイメージがないことは知っていた。昨日のことでそれが払拭できるとは思っていなかったし、それに対して緋鞠が庇おうとすることはいつものことであった。いつも仲が良くて、一緒にいるところは微笑ましいとすら思えることが多かった。なのに──。


(……今はなんで、違和感を感じるんだ?)


 緋鞠が銀狼に抱きついているところを見たときから、胸の辺りがざわざわする。笑顔を向けているところを見ると、なおのこと。

 どうして、こんな気持ちになるのか。意味がわからない。また自分のことがわからなくなってしまった。

 そのもやもやを吐き出すようにため息をつくと、足音が聞こえた。体を起こしてみると、そこにいたのは銀狼だった。

 翼は自然と表情を曇らせる。どうせいつもの近づくな、というお小言だろう。


「少しいいか?」


 そういって、入り口に立ったままこちらを見る。ダメだと言っても、退いてくれなさそうだ。

 翼はため息を吐きたいのを我慢して、体を起こす。


「ああ、構わない」


 銀狼は部屋に入ると、じーっと翼を見る。鋭い目つきで、探るように。そうして、予想外なことが起きた。

銀狼が頭を下げたのだ。翼は驚いて、息をのむ。


「昨日は助かった。ありがとう」


 まさか、礼を言われるとは思わなかった。驚いていると、顔をあげた銀狼がそれを見て、しかめっ面になる。


「なんだ、その顔」

「いや……」


 てっきり余計なお世話だとか、余計なことするなとか。そう、文句を言われるだろうと思っていた。

 銀狼は察してがしがしと髪を混ぜると、はぁとため息を吐く。


「俺だって礼ぐらい言うに決まってるだろ。不服とはいえ、おまえが体を張って助けてくれたのくらいはわかる」


 ふんっと鼻をならすと、そっぽを向いた。これでもかなり譲歩したのだろう。なんだかその様子が面白い。


「体調は戻ったのか?」

「まあな、おかげさまで。……緋鞠は、どこまで知っている?」


 昨日のことについてだろう。霊力の暴走は、契約をしている妖怪にも及ぶことを、緋鞠は知らなかった。

 暴走は、霊力の調律を行わないと起こりやすくなる力の制御不能状態。大抵は自身でコントロールできるため、平時であまり起こることはない。しかし、過度なストレスによる戦場での暴走化の例はある。おそらく、緋鞠も地下牢でのストレスが原因で暴走したものと思われた。


「澪が、自分の容態までしか教えないと。おまえが暴走したことは詳しく話さないって言ってた」


 知ったら、自分を責めるだろう。誰のせいにもしない、あいつのことだから。それをわかってるからこそ、銀狼も気がかりだったのだろう。

 少し安心し、銀狼はほっと息をついた。


「そうか。……おまえは?」

「ん?」

「深い傷を負ったはずだ。問題ないのか?」


 珍しく、心配をしているようだった。自身と同じ怪我をしたことを、なんとなく感じ取っていたのだろうか。

 ……本当に、緋鞠といい、この主従はお人好しだ。

 けど、それを悪くないと。今は素直に思えた。


「ああ、完治済み。今夜の模擬試験も出られるさ」

「……そうか。礼だけ、あと怪我のことだけ聞いておこうと思ってた──だが」


 ギラリと目元が光ると、子供が確実に泣き出すレベルの形相で睨まれる。思わず、ビクッと肩を揺らしてしまった。


「貴様、我が主と一緒に寝ていたとはどういうことだ!」

「それは」

「俺がいないときを狙ってとか、質が悪いぞ!」

「いや、だか」

「大体おまえは──」


 矢継ぎ早に投下される言葉の猛攻。まったく話を聞かない銀狼にイライラが募り、堪忍袋の緒が切れた。

 翼は近くにあった枕を掴むと、銀狼に向かってぶん投げる。剛球と化した枕は、見事に銀狼の顔にぶち当たった。


「!?」


 驚いて、やっと言葉を止めた。枕を持ったまま怒りで震えているが、さすが大妖怪といったところか。まったく傷がついていない。

それに、初めて銀狼が人に化けた姿を見たが……銀色に輝く長い髪だとか。男にしてはきれいな顔立ちとかに、見れば見るほど怒りが沸き立つ。


「うるせぇんだよ! 大体、いろいろ文句いうけどなぁ……」


 今朝、寝ぼけた緋鞠に抱きしめられたとき、髪の触れられ方とか、頬を擦り寄せられたときの感じとか。あれは動物を撫でるときの、手慣れた触り方で……。

 思い出してしまい、だんだん顔が熱くなってくる。爆発しそうなほど真っ赤になって、翼はビシッと銀狼に指を突きつけた。


「おまえは毎日あいつと寝てんだろうが! そっちのほうが破廉恥だ!!」


 ピシャァァン! と雷に打たれたような衝撃が銀狼を襲った。ショックで、目眩にまで襲われる。


「な、何が破廉恥だ! このエロガキ!!」

「うっさい、エロ犬!!」


 二人で真っ赤になりながら枕を投げ合っていた。その凄まじい力のぶつけ合いは、軽く蔵を揺らしてしまうほど。両者ともに、周りが見えなくなっていた。だから、予測がつかなかった。


「こら! おまえさんたち、なにや」


 ──バフっ!


 まさか、手からすっぽりと抜けた枕が、様子を見に来た澪の顔面に当たるとは。

 二人は石像のように固まり、息をのむ。ずるりと落ちた枕の下から、般若のように恐ろしい顔。とはいえ基がきれいなためか、華がある怒り顔が出てきた。


「……何か、いうことはあるかい?」

「わ、悪いな。こいつが投げてきたから」

「なっ、俺のせいにする気か!? 大人げないな!」


 まだ喧嘩をやめる気配がない。澪はさらに青筋を浮かべながら、パチンっと指をならした。


「零」


 すると、窓際に零が現れる。ツギハギだらけの人形がケタケタと嗤った。


「やっちまいな」


 そこから先、二人の記憶はない。零の人形が頭からぱっくり割れて、見えたもの。それはおぞましい、なんてものではなく、確実にトラウマを植えつけるような世界であった。


 そうして二人は誓った。絶対に澪の前で、澪の蔵で、喧嘩はしないと……。

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