第12話

 雪がしんしんと舞う、身も凍るような寒い日だった。


 共同墓地の一番奥の小さな墓。いや、土盛りした上に石を置いただけの、どちらかというと墓と呼ぶにふさわしくないそれを、大雅は静かに見下ろしていた。


 白夜あいつが死んだ。


 十五の秋だった。それから、まぁなんだかんだいろいろあって、来れたのは新年。この日を選んだのは、当てつけだった。


 その男は一言で表せば、雲。流れるままに身を任せ、ふと、思い立ったようにぴたりと止まる。ただ一ヶ所にとどまることはなく、無欲でなにも執着するものもなさそうな、掴み所のない男。


 無愛想で、方向音痴で、何を教えるにも下手くそ。一応説明はしてくれるものの、さっぱりだったから、剣技は見て覚えた。器用だな、と言ってるくせに笑わねぇから、嫌味かと思って突っかかったらボコボコにされる。料理は下手で食べられたものではないから、それは真似しなかった。だから、いまだに料理はできない。


 結局、最後まで何も教えてくれなかった。

 だけど、師と呼べるのも、親とも呼べるのも、この男だけだった。


 ぼーっと石を眺める。葬式から二ヶ月ほどしか経っていないはずなのに、花が置かれた痕跡もない。


「……やっぱり、あんたは一人なんだな」


 誰とも関わらず、誰の思い出にも残らない。

 人には関わるようにいうくせに、自分はそれをしない。最後は一人で、孤独のまま死んだ。

 理解できぬ、師の生き方にずっと疑問を持ったまま。答えは今も、見つからない。


(……帰ろ)


 ここに来たとしても、あいつはいない。なら、もうここに来ることもない。

──そう思っていた。


 ザクッ、ザクッと、小さな足音が聞こえた。大雅はなんとなく、横の大木の後ろに隠れて音の正体を探る。


 現れたのは、小さな少女だった。

 予想だにしない来客に、思わず目を擦ってしまう。長い黒髪に紅い瞳をした、大雅の腰にも届かないほど小さな女の子。なぜか、手には蜜柑を大事そうに抱えている。

 迷子だろうか。どっちにしろ、親を探してきた方が良さそうだ。そんなことを思いながら、一歩踏み出そうとしたときだった。


「兄さん、会いに来たよ」


 ピタリと、足を止めた。──兄さん?


 少女は石の上の雪を手で払い、ハンカチを敷いた。その上に蜜柑を載せる。


「お花は高かったから、八雲さんにもらった蜜柑を持ってきたんだよ。甘くてとっても美味しいの。だから、兄さんにもお裾分け」


 あいつに、妹なんていたか?

 木陰から目を凝らして見るも、にこにこと笑う少女はどう見ても五歳ほどの年にしかみえない。


 あいつの年齢は詳しく覚えていなかったが、見た目は二十代後半ほど。しかし、いくら年月が経とうがあまりにも見た目が変わらないものだから、年齢が予想できかった。

 とりあえず、あんな歳が離れた兄妹がいるはずがない。せめて、娘だろう。

 しかし、どう見ても似てない。にこりともしない無愛想な冷たい瞳、つんとしたシャープな顔つき。整っていたとはいえ、すべてにトゲがあった。


 それに対して、真ん丸の優しげな瞳に、愛らしい表情。白夜とまったくの正反対だ。絶対。ぜーったい、あいつにあんな可愛らしい娘ができるはずない!


 白夜との違いを見つけるのに躍起になり、大雅はそのままそこで様子を見ていた。

 少女はいろんな話をした。今の生活のこと、孤児院のこと、八雲のこと──。


 その横顔に、悲しげな表情は見えなかった。だから、ああ、この子もほかと一緒か。そう思った。任務で共に闘っても、死んだらだんだん薄れていって、顔も思い出せなくなる。

ただそれだけの、なんてことない存在。


 あのまま、あの子も白夜を忘れていくのだろうか。


 だんだんと、忍びなくなってきて顔を俯ける。すると、少女は「あのね」と話を切り出した。


「私やっぱり諦めないよ。兄さんのこと」


 顔をあげると、その少女は真剣な表情でそういった。ぎゅっと服の裾を握りしめながら。まるで、そこにあいつがいるかのように前を向いて。


「ある子がね、約束してくれたの。一緒に兄さんを探してくれるって。その子も兄さんと同じ時期にお父さんがいなくなっちゃってて、お父さんのこと探すって。だから、私も一緒に探すの」


 裾を握る手も、足も不安からか震えていた。けど、ぐっと堪えて前を見続ける。


「みんな、死んだって言うけど。死体もなかったないんだから、望みがあるもの。あの子も、信じてるって言ってたもの」


 そう、自身にいい聞かせるように呟く言葉。気を抜けば、すぐに涙が溢れてしまいそうな表情に、胸が痛む。

 きっと、あいつは兄であり、親であったのだろう。あんな小さな子が、悲しくないはずない。寂しくないわけがないんだ。


(死体がないから、か──)


確かに、あいつの死体はみつかってはいない。けれど、鬼狩りでは死体がないなんて、珍しくもなかった。戦闘での肉体の欠損、死体回収に細かく割く時間もないのだから。


それでも、あの子は諦めないのだろうか。本当のことを知っても──。


少し、話をしてみたかった。けれど、あいつを探すということは、こちら側に来なくてはならない。そしたら、あの小さな手も血で染まることになる。下手したら、すぐに物言わぬ骸になる。


 ぞっとして、大雅は大木に背を預けて座り込んだ。

 こちら側に来てほしくなどない。

 おそらく、何も知らないであろう今なら、傷つくこともない。


 ──そうだ、俺は関わるべきではない。


 そのまま立ち去ってくれることを願って、息を潜めていた。


「だから、頑張るから。待っててね」


 そう言って少女は墓から離れていった。すると、何を見つけたのか近くの林に入ってくる。


「椿の花だ!」


 大雅がいることに気づかず、はるかに高い枝に手を伸ばしている。あれでは届かないだろう。

 ……あまり、術を使うべきではないが。

 隣の大木に移動して、陰からこっそりと霊符を飛ばす。小さな風を起こして、花開いた枝を落とした。目の前に落ちてきた枝を見て、不思議そうに周りを見渡す。けれど、視線がこちらに向くことはない。


「えっと……ありがとう、椿の精霊さん!」


 拾い上げて、嬉しそうに笑う。そうして、再び墓石に戻ると蜜柑のとなりに供えた。


『椿の花は、散り際が潔くて綺麗だよな。……俺もそういう死に方ができたら、悔いはない』


 かつて、師が語った言葉。

 鬼狩りという、死と隣り合わせの仕事できれいな死に様などまずない。それでも、そう在りたいと白夜が言っていたのを思い出す。


 だけど、それ本心か──?


 かつて、そう自分は問うことができなかった。

 あんな子供を残して、本気で今もそう思っていたのか?


 あいつが残していったもの。あいつが守りきれなかったもの。

 それらを知ることができたら、何かがわかる気がした。


 だから、俺は──。

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