第13話

 女は膝をついたまま動かなくなった大雅を見て、妖しげに笑った。

あの娘だけでなく、新たな霊力エサにありつけるとは、幸先が良い。頬に手を伸ばし、いつも通り焼き殺そうしてから喰らおうと思った、が──。


『!』


 一瞬で死を予見するほどの、ぞっとする殺気。

 とっさに下がると、目の前に銀色の軌跡が光る。さあっと凪ぐような一閃に、血がまとわりついた。鋭い痛みに触れると、温かい血が指を染める。正面からぱっくりと、顔がきれいに斬れていた

『な……貴様ぁぁ!! よくも、よくもわらわの顔に傷をつけたな!!』

「るせぇんだよ!!」


 激昂する女に、大雅は負けじと怒鳴り返す。


 ──ああ、そうだ。


「俺はあいつに関わらないようにしてきた。面倒なんかみることないと思ってた」


 白夜あいつがどこまで教えていたかなんか知らない。けれど、自分が関わってしまえば。鬼狩りのことを知ってしまえば、きっとこの道を選ぶ。

 選んでしまえば、もう戻れない。八雲のもとなら、まだ一般人のままでいられたのに。


 ぐっと刀を持つ手に力を込める。


 だが、今さらそんなことを思っても仕方がない。

 もう、彼女は選んでしまった。同じ道を行くことを。

 白夜の後を追うことを。


 なら、自分は──。


「こっちに来ちまったんだしょうがねぇだろ! 守るって決めてんだ! 余計な口出しすんじゃねぇ!!」


 上段の構えに、霊力を一気に流し込む。さっきは雑になってしまったため、まったく傷をつけることができなかった。

 今度こそ、仕留めてやる。

 女は大雅の様子に気づき、怒りの咆哮を上げた。


『頭に乗るなよ、人間風情が!!』


 両者ともに持てる力を、この一撃に込める。


『炎獄に焼かれ 果てよ!!』

「弓月の三・霞之波かすみのなみ


 女の赤い炎と大雅の青い霞がぶつかり合う。ドンッと爆発したような音が響き、風圧で石壁が削れ、灯りが吹き消えた。

 暗闇の中、炎と霞が生み出す術の残光が、波紋のように広がっていく。

 一見互角に見える赤と青の攻防。

 炎を呑み込むように霞が押し寄せ、また炎は消える先から新たに生まれ、霞を削り取る。どちらかが力尽きるまで、終わることのない力比べ。


 消耗するのが早かったのは──。


 ぐらりと、霞が炎に揺さぶられる。

炎と水。相性的に水が有利だが、そこに術師としての力量が加わってくると話は変わる。

 ただの人間と妖怪。その差は悔しくも、妖怪の方に軍配が上がった。

 女はにやりと笑うと、さらに己の妖力を加える。ここまでしなくても、簡単に殺すことはできるだろう。しかし、自分に傷をつけたこの男を、楽に殺してやる気はなかった。


 少しずつ皮膚、肉、骨に至るまで。徐々に焼き尽くしてやる。


(──苦しんで死ぬが良い!!)


 ぐっと力を込めた途端に、ガクンっと体が下がった。突然消えた相手の力に、体がついていけず、前のめりになる。気づいたときには、霞が消えていた。

残されていたのは、石畳に突き刺さった刀が一本のみ。


『なに? もう死──』


 背後から射抜くような殺気。反射的に首を向けると、白銀の鋭い視線とかち合う。その手には、もう一方の刀があった。


 あれは囮か──!?


 術をかけたのは、一方の刀。それを地面に突き刺し、術を発動させたまま背後に飛んだのだ。通常形を変えるような術はすべて、常に霊力を操り続けなければならない。それを手放し、離れた位置でやってのけたのだ。


 こいつ──!


 女は瞬時に防御の体勢を取る。

 しかし、大雅は焦る様子もなく身をよじり、空中でピタリと止まる。

 ──狙うは一点。


『爆ぜ──』

「弓月の二・霞之針かすみのはり


 避ける隙も、防ぐ手段も与えない。最速、最大の無数の刃。

 突く動作と同時に、刃は霞と化する。見えない無数の針が女の首めがけて降り注いだ。

 女は手元の僅かな炎で対抗しようとするが、一本一本が糸のような細さ。いとも簡単に、炎の壁をすり抜けていく。女の体は針に押され、軽々と吹き飛んでいった。


──ドォン!!


 車が壁に激突した音と似ていた。その衝撃で石壁が一部崩れ、土煙が舞い上がる。視界が悪くなり、大雅は咳き込んだ。


「げっほごっほ! ……けむた! てか何も見えねぇ」


 煙が目に染みて涙目になりながら、後ろの壁をぺたぺたと触る。探していた窪みをみつけて霊力を流し、壁の灯りを点けた。煙がだんだん収まっていき、通路の様子が明らかになる。

 石壁は度重なる術の余波を受け、いつ崩れてもおかしくないぐらいにボロボロになっていた。灯りの術式も傷つけたようで、点かないところもちらほらと見受けられる。


「うわ、こりゃしばらく封鎖されるかもな」


 まぁ、どっかのバカ親子が無駄遣いしてるだけだから、問題はないだろうけど。


 そして、反対側に視線を向ければ、女は崩れた石壁に押し潰され、倒れていた。無傷だった体は、無数の針で傷つき、赤黒い血が石畳に少しずつ広がっていく。

 妖怪は人間のように血を流すが、それで消えてしまうほど弱くない。奴等が存在する上で必要なのは血ではなく、霊力や妖力といった力の方である。どうせ一時の間、気を失って眠ればけろりと起きるだろう。


「さすがに疲れた……」


 大雅は座り込みたいのをぐっと堪えて、女に近づいた。これだけの騒ぎを起こしたのだ。捕縛して陰陽院に引き渡さねばならない。

 しかし、いくら探しても霊符がない。


「あー! さっき全部使ったんだ。……どうしよ」


 正直もう霊力も残り少ない。それに加え、代わりに封月で捕まえとこうにも、朧月は捕縛に向かない。なにせ霧や霞にしか変化できないのだ。使えても脅し程度。

 どうするべきか考えるのに集中していて──気づかなかった。


 がっと強く首を絞められる。いつの間に瓦礫から出たのか。

見えたのは、血だらけの女の顔。金糸の髪は血で汚れ、覗く碧の瞳は殺気立っていた。手負いの、細い手のどこにそんな力があるのか。引き剥がそうと力を込めても、引っ掻いてもまったくびくともしない。


「かはっ……!」


 だんだん意識が朦朧とし、視界が揺れる。抵抗するにも、限界が近かった。


『どうだ? かつて貴様が死ねなかった方法だ』


 その言葉に、とある光景が脳裏によぎる。

 ボロボロの畳の上。木目の天井に、細い子供の首を締め上げる女の手。表情は暗くて見えなかった。

だけど、ずっとなにかを呟いていて、口が動いていたのだけは覚えている。


『死ね』


 爪が食い込むほど、強く力が込められた。


ピイィィンッ──。


遠くで弦を弾く音が聞こえた。すると、女の手がピタリと止まる。

カラン、コロンと下駄を転がす独特の音。甘く伸びる、白壇の香り。思考がさびつくなか、視線を横に向けた。


「随分と楽しそうだねぇ。あたいも混ぜておくれよ」


そこにいたのは、煙管を吹かせた澪と三味線を手にした零の姿だった。

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