第11話

 視線を緋鞠の方へ向けると、その場に立ち尽くしたまま動かない。しかし、彼女を守るようにうっすらと紅い風が防壁のように吹き荒れている。


 先ほど風が吹き荒れたときに感じた波。あれは霊力だ。

 手錠がねじ切れたように壊れ、暴風のように吹き荒れる霊力。おそらく、霊力の暴走だろう。

 後回しにせず、休ませてでも調律させるべきだった。

 大雅は懐から持っているすべての霊符を取り出すと、空中にばらまいた。


オン


 印を結び、呪文を呟けば空中に散った霊符に霊力が行き渡る。イメージを思い浮かべ、格子があった場所に霊符が壁を形成するように積み上がっていった。

 原因が霊力の暴走なら、澪をここに呼んだ方がいい。式神を飛ばそうとした、そのとき──。


「!」


 悪寒が走り、横に飛び退くと同時。突如出現した火の球が大雅のいた場所を焼き焦がす。


『避けられてしもうたか』


 残念そうに呟く、女の声。

 振り向けば、黄金色の長い髪をした女が立っていた。しかし、そこから放たれる気は人のものではない。ねっとりとした、纏わりつくような気配。


「……妖怪か」


 女は肯定するように、にぃっと口元に弧を描いた。

 大雅は内心舌打ちをする。月鬼ならいくらでも狩れるが、妖怪相手は専門外だ。それに、俺は──。

 朧月を構えながら、女の出方を窺う。すると、女は探るようにじーっと大雅を見ると、ぱちくりと碧い瞳を瞬かせた。


『ほぉ。そなた、珍しいの。祓いの才がないとは』


 刹那。音もなく、一瞬で喉元に刃を突きつけた。少しでも力を込めれば刺し殺せる位置にいるのに、女はさほど驚く様子もない。それどころか、愉しげにけたけたと笑う。


『速いのぅ。なかなか骨がありそうじゃ。……だが』


 女の姿は陽炎のように揺れると、足下の影に吸い込まれるように消えた。しかし、不気味な笑い声は空間を支配するように響き渡ったままだ。


(なにがしたいんだよ──!)


 ゆらゆらと風に、影に乗って漂う女に苛立ちが蓄積されていく。大雅は奥歯を噛みしめると、朧月の刃を霧状に変えた。瞳を閉じて、気配を追う。


 妖怪が持つ妖力。霊力と同様に、妖怪に流れる力。その気配は霊力と似て非なるもの。才がない自分でも、気配だけならどうにかなる。


「!」


 ばちっと目を開いて、壁に向かって柄を投げる。突き刺さった壁に、女の着ていた着物の裾が現れた。しかし、そこにあったのは切れ端のみ。


 ──本体はどこへ消えたのか。


 霧の晴れた足下。大雅の影からひっそりと、白い手が伸びる。気づかぬうちに、焼き殺してやろう。女が顔を上げた瞬間、顔の横に鋭い刃が突き立てられた。

 初めて碧の瞳が見開かれる。今度は、大雅が笑う番だった。

 一度入った影には再び潜れないのか、女は首を反らして一閃を避けると、後方に飛び退いた。


『くっ……』


 女の悔しげな視線が封月に向けられているのを見て、大雅は溜飲を下げた。そうして、指を鳴らすと壁に刺さっていた刀は煙のように消え、もう片方の手にも刀が表れる。


「俺、刀は一本だなんて言ってないけど」


 二刀流。それが本来の戦闘スタイルだった。

 手慣れた構えに、女は目を細めた。何を企むにしても、このレベルならやれる。そう感じた矢先、女を囲むように無数の火の玉が浮かんだ。


オン


 陰陽術だと──!?


 唵とは祈りの真言、願いの呪文である。術を発動する場合、まずは術のイメージとそうなるようにと願いを込める。そのための呪文だ。それを妖怪が使うというのか。


 やらせねぇ──。


 大雅は霊力を一気に練り上げ、封月に流し込む。腰を低くし、述を発動させようとするが、彼女の方が早かった。


『我が名において 舞い踊れ』


 唄うように紡がれた呪文。かざされた手から表れる数弾の火の玉。それらすべて弾丸のように、大雅のもとへと放たれる。

 視界を埋め尽くすほどの火球。目、音、気配。感じる死への気配を斬り払い、前へと進む。

 最後の火の玉を斬り裂き、突きの構えを取った。


 これで終わりだ──!


「下弦の三・う──」

『焔の御霊は我がために』


 あれで終わりだと思っていた詠唱は、まだ続いていた。完成した術により、女は姿を炎へと変える。大雅は舌打ちし、術を止めて回避の構えを取った。しかし、女はそんな大雅の横をすり抜けていく。

 はじめから、大雅のことなどどうでもよかったのだ。


 狙いはただひとつ。


「神野!」


 気づいたときにはもう、炎が霊符の壁際まで迫っていた。彼女の炎は、おそらくあの霊力の暴風さえも焼き尽くしてしまうだろう。そしたら、神野もただではすまされない。


(ああ、くそ! 間に合うか!?)


 できる限り、手元に集中する。急ごしらえの荒業。


「下弦のかげん霧雨きりさめ


 柄の刀身が消え、霧が視界を覆い隠す。冷たく白い世界で、剣撃の音が響き渡った。斬れぬはずの炎は、降り注ぐ霧の残撃によって小さく斬り刻まれていく。けれど、やはり術の完成度は低い。一気に押しきれない分、手数で耐えるしかない。

 そこに、炎が蛇のように右手に絡みついた。皮膚を焼かれる痛みに表情が歪み、力が入りにくくなる。だが、大雅はさらに速度をあげて対抗した。


 やがて、霧の中から勢いよく、手のひらサイズにまで小さくなった炎が飛び出した。霧から距離をとると、再び女の姿に戻る。その姿には、傷ひとつない。

 それに対し、大雅は利き手を焼かれ、また所々にも火傷を負っていた。額には痛みから脂汗を滲ませ、無数の連撃から息もきれ、肩で息をしている状態だった。しかし、その瞳に諦めは見えず、構えを崩すこともない。


 その様子に、女はじーっと白銀の瞳をみつめた。そうして、こてんっと首を傾げる。


『どうしてそこまでして守る?』

「ああ?」

『おヌシ、そこの娘が嫌いであろう?』

「──は?」


 質問の意図が、言っている意味がわからなかった。

 見開かれる瞳を覗き込むように、女は瞳を細めると、バチっと感電したかのように脳が麻痺する。たまらずよろめき、膝をついた。女はそんな大雅を気にすることなく、言葉を続ける。


『だから、押しつけようと思ったのではないか? 小僧に同い年だから、任務だからと理由をつけて。自分に面倒が来ないように』


“自分に面倒が来ないように”。


 その言葉に引き上げられたのは、あの雪の日の記憶だった。


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