第7話

「奈子ー!」


 少し離れた場所から瑠衣が彼女を呼ぶ声が聞こえた。奈子ははっと顔をあげると、表情をひきしめる。


「瑠衣さまのもとへ戻らねば」


 ではな、と踵を返す奈子に緋鞠は声をかける。


「どこに行くの?」

「だから瑠衣さまのところだ」

「反対だよ」


 緋鞠が指で指し示すと、奈子はぱっと頬を赤く染める。


「べ、別にちょっとあっちが気になっただけだ!」

「そうなんだ」

「ああ、そうだ!」


 ――この子、方向音痴なのかな? 温かい目で奈子を見ていると、なにか言いたげな様子でいる。


「まぁ、なんだ、その……憑依はそんなに難しいものじゃない。右手の契約印があるだろう」

「うん」

「そこに意識を集中させて、妖怪の手を取れ。そうすれば憑依できる」


 契約印は彼らと自身を繋ぐ縁だ。ここから主は使役している妖怪に霊力を送ることで、彼岸の存在である彼らを此岸に存在させている。

 つまり、彼らの力を借りたければ、繋がりから取り込めば良いということか。


 そのまま去ろうとする奈子の腕をつかんだ。

 一刻も早く瑠衣の元へ行かなければならないのに、親切に教えてくれた。そのことが嬉しい。


「奈子ちゃん、教えてくれてありがとう」


 奈子は栗の実色の瞳を真ん丸にして驚く。そうして、ぎゅっと口を引き結ぶと緋鞠の手を振りほどいた。


「二度と教えないからな!」


 奈子は風を切るように歩き去った。ついさっきまでは、親しみやすい雰囲気だったのに……。


『なんだ、あの態度』


 銀狼が唸るのを宥めながら、奈子の表情を思い出す。緋鞠を睨んではいたけれど、そこには敵意がまったく感じられなかった。

 緋鞠を敵だと思い込もうとしているみたいに、苦しそうな表情をしていた。


「なんだか無理してるみたいに見えた」

『だとしても、おまえが気にすることじゃないだろう。ほら、琴音が来たぞ』


 緋鞠は釈然としなかったけれど、その問題は置いておくことにした。


「緋鞠ちゃん、大丈夫でしたか?」

「うん、援護してくれてありがとう」

「いいえ」


 時計を確認すると、すでに二十分が経過している。


「封月は効きませんし、捕まえるといっても網は小さく、叩けば凶暴化。このままでは埒があきません……!」


 琴音が眉をハの字にして周囲を見渡す。

 羊は減ってはいるもののごくわずかだ。大半の生徒は、網を振り回している状態だった。


「どうしたら捕まえられるんだろう……?」


 先生はなんて言ってたっけ?

 愛良の言葉を思い出してみる。


『ルールはかーんたーん♪ 皆で協力してぇ、羊さんをこの霊符で捕まえてねぇ~』


 霊符はすべて、羊捕獲の網に変化してしまっている。これで捕まえられないとしたら──。


「そこにいる人、危ないよっ!!」

「え?」


 悲鳴に近い叫び声に顔を上げると、凶暴化した羊が緋鞠に迫っていた。


「っ!?」


 反射的に網をかまえた緋鞠は、迫り来る羊を野球のバッターのように打ち返す。その先には運悪く、男子生徒がいた。


(まずい……!)


 このままでは怪我をさせてしまう。


「逃げて!!」


 羊に気が付いた男子生徒は、恐怖のあまりにその場にうずくまってしまった。


 ――ぶつかっちゃう!!


「何やってんだ!」


 聞き慣れた声に顔を上げた。

 うずくまる男子生徒の前で、翼が羊を網で受け止めていた。

 翼のこめかみには青筋が浮かんでいて、とても恐ろしい表情だが、緋鞠は心の底からほっとする。


「翼ぁああ!! ありがとー!!」

「おい、おまえはなにを怖がっているんだ!! 封月でも何でも使って、こんな羊くらいどうにかしろ!!」

「ごっ、ごめんなさぁあい!」


 翼の剣幕に男子生徒はますます身体をすくませている。ふたりに駆け寄ろうとすると、ピカッと光った。


「っ!? 」


 緋鞠の目の前で、羊が小さな光の玉へと変化した。ふよふよと蛍のように漂ったあと、一瞬でどこかへと飛んでいってしまった。


「……き、消えた?」


 一度目は凶暴化。

 二度目はゴムボールのように弾んでいた。

 三度目は光となって消える。


 そして、愛良の言葉。


『みんなで協力して捕まえてね』


 緋鞠は振り返って、琴音の肩をがしっとつかんだ。


「わかったかもしれない、羊の捕まえ方!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る