第8話
残り二十五分──。
愛良は報告書に視線を落とす。この体力測定で上層部に問われているのは、判断能力、協調性、身体能力が基準に達しているかどうかだ。
……やはり、まだまだこの子達には無理だろう。戦場に出ればたちまち殺されてしまう。これならまだ、負傷者でもベテランを出した方がましなレベル。
そう正直に報告したところで上層部の意向は変わらない。一週間後には全員討伐のシフトに組み込まれる。
──地獄への、第一歩。
ペンを持つ手をぎゅっと、握りこむ。
あんなに無責任な大人にはなりたくなかったのに、結局私も同じだ。無慈悲に、彼らを死地に送り込むのだ。考えただけで、自身の心が冷え込んでいく。
「あいあーい! お仕事お疲れさまー♪」
不意に背後から抱きつかれた。馴染みのあるぬくもり。
冷えた心が温かくなっていく。強張った愛良の頬がゆるんでいく。
「京ちゃん、会いたかった!」
背後を振り返り、小柄な京奈を抱きしめる。
「先生姿のあいあいもかっこいーね! どう? どう? 新しい子達は順調?」
京奈が愛良の両手を握って、ぴょんぴょん跳び跳ねる。
愛良は思わず口ごもる。なんて返せばよいのだろう? 正直に言えば、正義感の強い京奈のことだから、上層部に直接文句を言いに行ってしまいそうだ。
京奈から視線をそらすと、突然空が光った。愛良が顔を上げると、光の粒子が雨のようにぱらぱらと降ってくる。
「わぁ! あいあいの
愛良の封月である夢月は、日傘に描いたものを具現化することができる。
実在する動物や武器という制限に加え、具現化するには愛良の霊力を使うため、大量に召喚できないが、使い勝手が良い能力だった。
「これって……まさか、攻略したというの?」
さっきまでグラウンドを駆け回り生徒たちを翻弄していた羊たちが、霊力となって日傘へと戻って来る。
――どうしていっぺんに? 誰か不正でもした? それとも、飛び抜けた才を持つ生徒でもいた?
愛良は空中にスクリーンを描くと、偵察用の式神を三体放った。
『三人で一回ずつ羊に触って!』
『二回はダメですよ! 一回ずつです!』
『なんで俺まで……って、おい、そこのバカ! 一人で二回叩いたらやり直しになるだろ! ちゃんと数えろ!』
『なるべく三人一組で囲い込め! それなら効率的に消せるぞ!』
スクリーンには、三人と一匹が声をかけながら走り回っている姿が映っている。戸惑っている生徒に声をかけ、助けが必要なら手助けし、皆で協力しあうよう呼びかけている。
「え……?」
「そんなに驚くことかよ」
大雅が欠伸をしながら、こちらに歩いて来た。
愛良のかたわらでは京奈が顔を輝かせている。
「隊長! どーこ行ってたの~?」
「おまっ、重い! 首折れる!!」
愛良は京奈に飛びつかれている大雅を殺意を込めて睨みつける。
「まるで、こうなることがわかっていたような口ぶりですねぇ。貴方の入れ知恵ですかぁ?」
「俺じゃねぇよ。んな面倒なことするか」
「じゃあ、どうして」
「まりまりにとっては、それが普通だからかな?」
京奈は大雅から手を離すと、スクリーンに近づいた。特徴的な紅い瞳を持つ少女を指さして、愛良に示す。
──初めて見る少女だった。
「神野緋鞠ちゃんっていうんだよ。一般から入ってきた子だよ」
「神野、緋鞠……」
この少女が表に立ち、生徒たちを引っ張っているようだ。
「言ってたよ、誰も失いたくないから、自分にできることならなんでもするって」
「……でも、それは仲がいい人だけでしょう?」
「普通はね。でも、まりまりは本当に誰でも、なんだよ」
京奈は、翼の部屋にこっそり忍び込んだ際に、神野緋鞠の調査任務のメモを見てしまっていた。
(……誰にも内緒だけど)
「見ず知らずの人を助けるために、駆け付ける。傷ついてたら、自分のことのように悲しめる」
鬼狩試験をめちゃくちゃにした四鬼に対し、緋鞠は恐れよりも怒りの方が勝っていた。モニターを通してもわかるほどの、凄まじい姿だった。
「知らなくても知ってても、どっちも大事なんだよ。誰も死なせい、失くしたくない。それが、あの子の理想なんだよ」
愛良は唇を噛む。
そんな感情、久しく忘れていた。側にいる大事な人たちを守るだけで精一杯な自分たち。
悲しくないわけじゃない。辛くないわけじゃない。
……もう涙は枯れ果てていた。失くすことに慣れてしまっていた。
「……そんなの、苦しいだけよ」
「そうだね。でも、なるべくならまりまりの希望を叶えてあげたいなって。失う怖さじゃなくて、守れる強さを教えてあげたいんだ。だから、私が……」
京奈は封月を光らせると、
「この京奈ちゃんが、予行練習させてあげちゃうよ!!」
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