第11話

 緋鞠は銀狼をつれて銭湯花火へと戻ってきた。


「ただいま戻りましたー!」

「おっかえりー!」


 京奈が奥から飛び出しきたかと思えば、むぎゅーっと抱き締められる。


「仲直りできてよかったね~」

「ありがとうござ……けっ、京奈さん、くるしぃ……!」

「あっ、ごめんごめん」


 緋鞠を解放した京奈は銀狼に目を向ける。


「ワンちゃん、人に化けれたんだね~! よっ、男前!」

「緋鞠が世話になったな。恩に着る。だが、俺は狼だ! 犬じゃない!」

「はいはーい! あ、そうそう、夕飯食べてくでしょ? もうすぐ出来るからねー」

「そこまで、お世話になるわけには……」

「いーのいーの! ことちゃんもいるから、ふたりもどーぞ!」


 言うだけ言って、さっさと奥へと向かう京奈を目で追いながら、緋鞠は銀狼の肩を叩いた。


「琴音ちゃんに謝るんだよ?」

「わかってる」

「銀狼の真顔は怒ってるみたいで怖いからなあ。もう少しにこやかに出来ない?」

「無理だ。だが、真摯に謝罪する」


 緊張した面持ちで、京奈の後を追っていく銀狼を緋鞠は心の中で応援した。


「ん?」


 どこからか、美味しそうな匂いが漂ってきた。

 お腹がぐう、と鳴って主張してくる。そういえば、昼抜きだったことを思い出す。


 銀狼を放って、緋鞠は匂いをたどった。空腹の緋鞠は食欲には逆らえない。

 廊下を進み厨房と思われる部屋の前で、少しだけ引き戸を開け、中をのぞいた。


 厨房の真ん中にある大きな作業台には、肉じゃがや魚の煮つけなどのおかずがずらりと並んでいる。

 匂いだけでもかなりの威力、そして美味しそうに光り輝く(緋鞠の目ではそう見える)料理たち。じゅるり、と口の端からよだれが出そうになる。


 それにしても、一体誰がこんな完璧な料理を作ったのだろう?

 京奈は奥の部屋に向かったはずだし、料理が出来そうな人間は、澪くらいだろうか? 超美人のうえに料理上手。聞くところによれば、昔は相当やんちゃだったらしいが、ご愛敬というものだ。


 再びそうっと中をうかがう。

 カチャカチャと食器を洗う音が聞こえたので顔を向けると、紺色のエプロンが見えた。


 澪ではない。だけど、見覚えのある後ろ姿──。


「はあっ!? 嘘でしょ、翼っ!?」

「うわぁっ!?」


 ぎょっとしたように振り返ったのは、三國翼だった。

 切れ長の瞳が大きく見開かれている。


「翼って料理、出来たの? すごいね!!」

「……このくらいは、当たり前だろ」

「当たり前じゃないよ。こんなに手の込んだ料理、私は作れないもの」

「おまえ、がさつそうだしな」

「大雑把なだけだもん」


 むう、と唇を尖らせると、はんっと鼻で笑われた。


(よかった……)


 四鬼との闘いで大怪我をしたはずなのに、緋鞠が見た限りでは元気そうだ。


 じいっと見つめていると、視線をそらされた。

 腹が立ったので、翼が顔を向けた方向へと移動する。すると反対方向にそらされたので移動する。


 それを何度も繰り返していたら、翼がキレた。


「~~っ! おまえ、なんなんだよ!」

「顔を合わせてくれないからだよ!?」

「顔を合わせてどうすんだよ!?」

「助けてくれて、ありがとう!!」

「は……」


 がばっと頭を下げたまま、緋鞠は言葉を続ける。


「私ひとりだったら、たぶん何も出来なかった。翼がいてくれたから、月鬼と闘う覚悟が出来たんだ」


 身体を起こすと、碧眼の瞳が目が合った。視線が交わったのはおそらく、これが初めて。


「本当にありがとう」


 翼がうつむいた。


 ――どうしたんだろう? と様子をうかがうと、ぼそりと呟かれた。


「え? なに?」

「……俺の鬼石は、どうした?」

「――え? あっ!」


 そういえば、契約するのに使ってしまった。

 これはどうしたらいいんだろう? うろうろと視線を泳がせていると、指で作った狐が目の前に現れた。


「?」


 首をかしげていると、中指に弾かれた。


「いだぁっ!?」


 ぶわっと涙が浮かぶ。じんじんと熱を持った額を両手でおさえ、翼を睨み付けた。

 翼は涙目の緋鞠の姿を見て、溜飲を下げたようだ。


「今ので許してやる」

「え?」


 翼が、ははっと笑い声をあげる。

 緋鞠がぽかんと口を開けている間に、すぐにいつもの無愛想な顔に戻ってしまう。


 ――何、今の……?


 緋鞠が茫然としていると、厨房の入り口から京奈はひょいっと顔を出した。


「つーくん、ご飯まだー?」

「もう少し、待ってろ」

「じゃあ、出来てる料理から運んじゃうねー」

「あ、私も手伝います」

「まりまりはお味噌汁を注いでくれる?」

「はい」


 味噌汁をお椀に注ぎながら、食後のデザートのオレンジを切っている翼をうかがう。

 その表情は、いつものようにきつい表情だ。

 

(……さっきみたいに、笑ってたらいいのに)


 先程の翼の笑顔を思い出すと、顔がかあっと熱くなる。   

 いや、無理。あの笑顔は心臓に悪い。

 たまに見るからありがたいのだ。そう思い直し、緋鞠は顔を見られぬよう、味噌汁を注ぐことに集中することにした。

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