第9話
大和にはいくつかの温泉が存在する。霊脈の合間を縫うように流れる水脈の一部が地中の熱によって温められ、熱水源から霊力が多く含まれた湯となる。
それを利用した温泉宿や銭湯、足湯などがあるため、古き都として観光名所にもなっていた。
そのうちのひとつが、銭湯花火だった。
「温泉療法?」
「正確には薬湯だね。ここの湯は霊力を多く含んでいるから、あたいが煎じた薬と混ぜれば邪気も祓えるし、呪いも消えるはずだよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、緋鞠ちゃん。またあとで」
「うん、行ってくる」
澪に手渡された薬袋を手にした緋鞠は、澪と琴音に見守られて女湯の暖簾をくぐった。
「わあっ」
浴場は広々としていた。
タイル張りの床、向い合わせになっているシャワー台、解放感のある広い天井。様々な形をした湯船。窓の外には岩風呂も見える。
そして、施設名にもなっている壁を彩る色鮮やかな花火の絵。
感動の声をあげていると、緋鞠の肩を折り鶴たちが早く中に入れ、とでも言うようにつんつん突いて急かして来る。
「あ、ごめんごめん」
緋鞠は最奥にある小さめの湯船に、処方してもらった薬袋をそっと浮かべた。
それはぷかぷかと小舟のように浮かんで、ゆっくりと沈んでいく。
しばらく見ていたかったが、湯に浸かる前にまずは身体を洗わなければならない。
脱衣所に戻り、ぱぱっと服を脱ぎ、再び浴場へと戻った。
久しぶりに熱いシャワーを浴びてほっとする。傷痕のある右手には、澪特性の防水湿布を貼っているため痛みもない。
身体を洗ってさっぱりした緋鞠は、薬袋を入れた湯船に近づいた。
ハッカのような清浄な香り。透明だった湯は薄い緑色へと変わっている。
湯に足を入れると、いい湯加減だった。そのまま、ざぶんっと肩まで浸かると、すぐに身体が温まってきた。
「ゔぁあ~」
あまりの気持ちのよさに、思わずおっさん声を出してしまうが、誰もいない貸切状態なので問題ない。
湯の中で、右手の湿布を撫でる。
骨は見えてはないが、短刀が貫通したせいで赤黒い肉が見える傷。
(絶対、沁みるよね……)
意を決して勢いよく、引き剥がす。
「あつっ!?」
手を素早く湯の中から上げると、傷口からしゅうう、と細い湯気が立ち昇ってきた。
「えっ、うそっ!」
まるでCGでも見ているようだった。まったく治る様子のなかった右手の傷口が、瞬く間に塞がっていく。
「な、治っちゃった……?」
まるで夢のようだ。ぽかんとしながら、すっかりきれいになった右手を撫でる。
「よかったね~!」
「わぁぁぁぁぁ!?」
いつの間にか、隣に京奈がいた。
心臓に悪い。
どきどきする胸を押さえながら、京奈から距離をとるも、近づかれてしまう。
「その怪我、どこでしたの?」
「え? ああ……」
緋鞠は鬼狩り試験で起こったことを京奈に話した。
そういえば、怪我をした経緯を澪には話していなかったが、問題はないだろうか?
話を聞き終えた京奈がぷるぷると身体を震わせている。
「京奈さん?」
様子をうかがうと、がしいっと勢いよく肩をつかまれる。
「京奈さん、痛い!」
「ごめんごめん、つい興奮しちゃった。君があのワンちゃんの主なんだね!」
「ワンちゃん?」
ん? 首をかしげる。
「実はあの日、君のワンちゃんとずっといっしょだったんだよ」
「ええっ?」
――ワンちゃんて、もしかして銀狼……!?
慌てた緋鞠は、京奈に向かって頭を下げる。
「銀狼がっ、たいっへん、お世話になりましたあっ!!」
「ご丁寧にどーも。別に問題なかったよん♪ 零の連れてるあんぽんたんとチェンジしたくなっちゃったよ!」
「あ、あんぽんたん……?」
「ふふっ、こっちの話だから気にしないで。ワンちゃんね、君が心配でしょうがなかったみたいだよ」
「銀狼がですか?」
「そうだよ」
銀狼が必死になって緋鞠を探してくれていたこと。
周りの制止も聞かず、結界に入ろうとしてくれたこと。
最後まで緋鞠が生きていると、あきらめないでいてくれたこと。
「銀狼……そうだったんだ」
全然知らなかった。
――なのに、私は……。
「そういえば、ワンちゃんは?」
緋鞠ははっとしたあと、しょぼんとうなだれた。
「むぅ? 何かあったみたいね」
「はい、実は……」
銀狼をだまして病院を抜け出したことや、探しに来てくれた銀狼と喧嘩したことを話す。
「ことちゃんのことを悪く言うワンちゃんは失格!」
ことちゃんとは恐らく琴音のことだろう。
「まりまりは悪くないよ? ことちゃんをかばったんでしょ?」
「はい! でも……」
「ん?」
緋鞠の脳裏に浮かぶのは銀狼の傷ついた表情だった。
顔も見たくない、だなんて言ってしまった。さすがに言い過ぎたと反省する。
「銀狼は私のことを、たくさん考えてくれてたのに。私……」
そもそもの原因は、緋鞠が病院を抜け出したことだ。
銀狼に、きちんと相談をすればよかっただけなのに、怪我を早く治したくて焦ってしまい、琴音まで傷つけることになってしまった。
「……仲直りできなかったらどうしよう」
抱えた膝に額をつける。
銀狼を傷つけておいて、なんて虫のいい話だ。
「大丈夫だよ」
「ほんとう?」
京奈が緋鞠の頭をよしよし、と撫でる。
「うん、保証する。だって、君もワンちゃんもいい子だもの!」
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