第7話

 京奈に背中を押されながら、暖簾をくぐると現れたのは老舗旅館のような雰囲気のある広々とした玄関だった。木で出来た大きな靴箱。正面のカウンターを境にし、両脇には男湯と女湯と書かれた暖簾があった。


「なんだい、京奈。まーたおまえさんは、どっからか子供を連れてきたのかい?」


 愉快そうに笑う女の声に顔を上げると、女湯の暖簾をくぐりひとりの女が姿を現した。


 着物の衿を肩まで崩した姿は匂うように大人の色気をかもし出している。


「みーお~。この子が怪我してるの! 診てあげてー」

「おや、なんだ。お仲間だったのかい」


 女の夕陽を思わせる瞳が、緋鞠の左手――封月へと向けられた。


「え? お仲間?」

「あれ、ほんとだ。気が付かなかった」

「まったく京奈はいつものん気だね」


 女の手には月と鳥の封月が刻まれている。

 そして、京奈の手にも月と花火の紋様があった。どうやらふたりも、暁の隊員のようだった。


「ついておいで」

「あっ、あの、私たち、天照さんという薬師を探しているんです」

「天照?」


 女は足を止め、振り返った。

 いつの間にか咥えていた煙管を離すと、ふぅーっと紫煙を吐いた。


「そいつはどんなやつだい?」

「あ、あの、その人は……」


 琴音がうわさの概要を説明すると、女と京奈が顔を見合わせた。


「なにそれ~超笑えるんだけど! みーおが神扱いとかやっばーい!!」

「あっはっは! なーんか、最近妖怪たちが恭しく貢ぎ物を持ってくると思ったら、そういうわけかい!」


 大声でけたけた笑い出すふたりを見て、緋鞠と琴音は顔を見合わせた。


「ど、どういうことですか?」


 笑いすぎたせいか涙目になった女は、指先で目元をぬぐうと、煙管を口に咥える。


「どうやらその天照さまとやらは、あたいのことみたいだねぇ?」

「天照さまって、貴女のことだったんですか!」


 思わぬ出会いに、緋鞠と琴音は驚いた。


「あんたたち、その大層なうわさをどこから聞いたんだい?」

「私は琴音ちゃんから聞きました」

「あ、えっと……樹齢三百歳の楠木くすのきです」


 答えた琴音に視線を向けた女が、へぇと感心したように相づちを打つ。


「あんた、木花このはなの巫女だね。植物の声を聞くことができるんじゃないかい?」

「え、あの……」


 琴音はなんと答えたものかと考えあぐねる。

 話すつもりはなかったのだ、他の誰にも。


 言ったらきっと──。


「本当!?」


 緋鞠の声に、その場の全員が顔を向ける。


「それじゃあ、植物と話が出來るの!?」

「お話、というか……たずねると答えてくれるというか……」

「すごーい! どうやるの!? 私も出来るようになる?」


 興味津々の緋鞠を見て女は笑いながら、緋鞠の反応に戸惑う琴音の代わりに答えた。


「それは無理な話だねぇ。どちらかというと、その手の術に必要なのは技量ではなく、血だ。つまりほぼ才能」

「すっごーい!」


 琴音は呆気に取られた。


 てっきり気味悪がれると思ったのだ。

 他人と違うことが出來るということは、嫌悪の対象となり得る。だからずっと隠していた。


 でも、その力を認めてくれる人がいる。

 琴音はじんわりと温かくなった胸を手で押さえた。


「にしても、みーおが天岩戸の天照ね……ひきこもりの薬オタクなのにね~」

「うるさい子だねぇ、あんたは」


 女はふんっと顔を背けると、カウンターの先にある通路を歩き出す。


「ほらほら、早く追いかけて」

「あ、あの、ここまでありがとうございました」

「ありがとうございます」


 京奈に促されたふたりは、下駄箱に靴を入れスリッパを履くと、女のあとを追った。


「楠木には、以前、薬を処方してやったね」


 女はふたりの先を歩きながら話し出す。

 冬になる前に、薬の材料を採取しにいった山に登った際、病気にかかっていた楠木を見つけたので処方してやったらしい。

 うわさの出所はおそらくそれだろう、と続ける。


「でも、まさか天照さまになぞらえるとはねぇ……」


 バチが当たっちまうよ、女は笑いながら庭へと出たので、それに続くと大きな古い蔵があった。


「悪いねぇ、天岩戸の天照じゃなくて。あたいの名は、薬來やくらいみお。暁第五十四隊隊員の薬師さ」


 澪が蔵に手を置くと、自動ドアのようにゆっくりと扉が開いた。

 壁一面、薬棚と瓶で埋まっており、奥には薬を調合するための道具がそろえられていた。


 変わったことといえば、色とりどりの鶴の折り紙が飛んでいることだ。


「こいつらはあたいの封月でね。手伝いをしてくれているんだ」


 澪が空中を飛んでいる鶴を一羽、ちょんとつつくと嬉しいのか羽を振るわせた。澪は着崩していた衿を整え、ハンガーに掛けてあった白衣を羽織る。


「そうだ、あんたらの名は?」

「神野緋鞠です」

「神野? 聞いたことない家名だねぇ」

「家名?」


 緋鞠が首をかしげると、琴音が言葉を添えた。


「陰陽師は血筋が関係してくるんです。古来より霊力は血によって受け継ぐもの。よって、外部から陰陽院に入ってくる人はほとんどいません」


 また、最も強い力を受け継げるのは長男、長女といった長子である。そのため、陰陽院は、長子を鬼狩りに徴兵しているのだという。


「でも、変ですね。緋鞠ちゃんは、お兄さんがいたはずですけど……」

「まあ、あたいも全部の家名を覚えているわけじゃあないからねぇ。なんとも言えないよ」


 澪はそうは言ったものの、どこか腑に落ちない様子である。

 薬師という職業柄、陰陽院に所属する陰陽師の診療録カルテにはひと通り目を通してきているからだ。その中に“神野"の名は見たことがなかった。


「……もしかしたら、名字が違うからかも」

「えっ?」


 緋鞠はふたりから視線をそらすと、言いにくそうに答えた。


「私、兄さんと血の繋がりがあるわけじゃないから……」

「なるほどね」


 澪はひとつの仮定を浮かべる。


 陰陽師の中では、自身で子が成せなかった場合、素質がある一般の子を養子に迎え入れることがあるのだ。

 その場合は、名字も統一され、育ての親となるはずだから、兄ではなく父親になるわけだが――。


(この子を巻き込まないためか?)


 自身の子とすれば長子とみなされ、徴兵される。それを避けるためだったとなれば、納得とまではいかないけれど、理解できた。

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