第14話

 緋鞠が気が付くと光の中にいた。

 目を覆いたくなるような惨状も、怪我をしていて危ない状態の三國──翼の姿も、無慈悲で残酷な四鬼の姿さえない。


「――誰か、いませんか?」


 とりあえず声に出してみた。


「ふふ、いますよ」

「ふえっ!?」


 ギャグ漫画のように、両手を挙げたポーズでぴょんっと飛び上がってしまった。


 鬼が出るか、蛇が出るか。

 意を決し、声の方にゆっくりと顔を向ける。


 そこにいたのは、上品な雰囲気をした貴人アテビトの女性だった。

 十二単をほっそりした身にまとい、長く艶やかな黒い髪と瞳。口元は開いた扇で隠されている。


「ひとつ……うかがってもよろしいかしら?」


 鈴を転がしたような美しい声。

 たおやかな貴人アテビトを前に、緋鞠の背筋もぴんと張る。


「ど、どうぞ」

「地上の民は、驚いたときはそんな恰好をするの?」

「へ?」


 間抜けな声を出してしまった。

 貴人アテビトは、両手を挙げるポーズをした。


「これ」


 楽しそうに袖をひらひらさせている。


「いや、待って! それは、ちがっ……!」


 間違えた知識を与えてしまったようだ。


「それは、私が驚きすぎてしてしまっただけのポーズです……!」

「あら、そうなの」


 理解はしたらしいが、緋鞠のびっくりポーズが気に入ったようで、手を挙げて袖をひらひらさせている。


 どうにか彼女の気をそらせないだろうか? 顔に集まる熱を両手で冷やす。

 そういえばさっき、緋鞠を地上の民と言っていた。


「あの、もしかして、貴女は月の裁定者さんですか?」


 貴人アテビトの女性はにこりと微笑んだ。


「ええ、多分」

「……多分、ですか?」


 目の前の女性はどこか浮世離れした雰囲気があるので、本人も裁定者の自覚がないのかもしれない。


「気づくのが遅くなってごめんなさい。私は神野かみの緋鞠ひまりです。よろしくお願いします」

緋鞠ひまりというの。可愛らしいお名前ね。わたくしは……」


 少し考え込んでいる。どうかしたのだろうか。


「……そうね。もうひとつ、たずねてもいい?」

「はい?」


 顔を上げると、柔らかい笑みを向けられた。


「貴女が願ったのは、大切な人たちを守ることよね?」

「はい」

「では、貴女自身の望みは?」

「え?」


 彼女にはすべてが筒抜けのような気がする。


「確かに、私の願いと望みは違います」


 月の裁定者には、嘘を吐いても無駄なような気がして、正直に答える。


「私の願いは、私自身の力でどうにかなるものです」


 兄に会いたいと願い、これまで生きてきた。それは、鬼狩りになる時点で、恐らく、叶えられる願いだ。


 緋鞠が他に望むものは――。




「兄さん、どうして今日は本願にいっちゃダメなの?」


 あるお寺に寄せさせてもらっているときに、本願への出入りを禁じられたことがあった。


「今日はお葬式があるからね。入っちゃダメなんだよ」


 兄と手を繋ぎながら原っぱを歩く。


「お葬式って?」

「お葬式は、死んだ人とさよならをして、空に送る儀式だよ」

「死んだ人? 死ぬってなぁに?」


 幼い緋鞠がまだ死を知らなかった。

 首をかしげる幼子に対して、兄は真摯だった。


「死ぬと言うのは……その人と、ずっと会えなくなることだよ」

「会えないの? それじゃあ、兄さんと会えなかったときは、死んでたの?」

「それは仕事でいなかっただけだよ!?」

「? わかんないよ」


 うーん、と唸って緋鞠は考えた。

 死ぬってどんなことだろう?

 会えなくなるのは、とても悲しいことだから、悲しいのかな? 寂しいのかな?


「死は、動かなくなって、冷たくなって……身体から魂が抜けて空っぽになることだよ」

「空っぽ?」

「そう、空っぽ」


 近くに咲いていたタンポポを兄は指差した。


「こうして綺麗に咲いているタンポポも、やがては枯れて死ぬ」


 空を見上げる。


「花も、木も、虫も、動物も――生きている限り、必ず死は訪れる」


 紺色の夜空を移したような瞳。

 いつも優しさの中に、悲しい色が混ざってる。


「けれども、魂は近くで寄り添ってる。目の前にいなくても、会えなくなっても、目に見えなくても。俺はそう、思ってるよ」


 緋鞠が兄を捜している理由が、今やっとわかった。

 会いたいから、ではなく、死んでほしくないからが正しい。空っぽになった兄を見たくなかったからだ


 でも、それは、兄だけに限ったことではない。

 緋鞠がこれまで出会ってきた人たち――あの翼でさえも。


「傷ついている人がいるんです」


 緋鞠の力だけじゃ助けられない。

 医学に精通した知識なんてないし、月鬼を倒す力もない。


「私、知らないんです。死ぬってどういうことなのか。なんとなくでしか、わからないの」


 動かなくて、冷たくて、空っぽ。まだ失くしてないから、わからない。


「だけど、知りたくない。きっと、悲しくて寂しくて苦しくて……怖いんだと思う。その感情を私の大事な人たちで、知りたくない」


 勢いよく頭を下げる。


「お願いします。私に、力を貸してください」

「……出会ったばかりでも」

「え?」


 小さくて声が聞き取りにくい。顔をそっとあげると、目が合った。

 月を思わせる瞳が、かすかに揺れている。


「出会ったばかりでも、大事?」


 迷子のような瞳。

 その不安げな様子が、幼い頃の緋鞠の姿と重なった。兄と出会う前の、誰からも必要とされず、忌み子として周囲に敬遠されていた自分に。


「はい、大事です!」


 いっしょにいた時間や距離は関係ない。緋鞠にとってはすべてが大事なことなのだ。

 ついさっきまでの自分では気づかなかったことを、今は胸を張って言える。


 自信に満ちた笑顔を見せる緋鞠を、一瞬まぶしげに見つめた女性は目を閉じた。


「――わかりました。貴女に力を与えましょう」


 女性が手を緋鞠へと向けた。

 やわらかい手のひらを握ると、きゅっと握り返される。あたたかい熱に、緋鞠はむずがゆい気持ちになった。


「私のことは、月姫とお呼びください。ずっと、緋鞠のそばにいますから」


 月姫と名乗った女性の身体が、ぱあっと金色に輝いた。

 光が落ち着いた頃、緋鞠の手にあったのは――。


 ――名前を呼んで。


 声が響いた。


「月姫」


 やわらかい銀の光に包まれ、緋鞠の身長ほどの長さの黒い筆が現れた。

 軸先から尻骨に至るまでの美しい黒は、月姫の艶やかな髪を連想させる。


 手に持っていた翼の鬼石は、いつの間にか消えていた。

 左手を月に向かってかざす。甲には左右対象の紋様、双月が刻まれていた。

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