第15話
初めて手にした封月は、緋鞠の手に馴染んで見え、まるでずっとあったかのような安心感がある。
殺気を感じ、素早く臨戦態勢をとる。
黒い弾丸が緋鞠に向かって飛んできた。
筆管に重い衝撃。
「くっ!」
足を軸にし、ぐるっと回転しながら弾く。
四鬼の使役する黒い卯は、緋鞠から距離をとった場所に着地した。
緋鞠に攻撃を受け止められ、二羽の卯は興奮気味だった。
『緋鞠』
月姫の声が聞こえる。
姿は見えなくとも、心で繋がっている。
『私の使い方を教えましょう』
筆を持つ右手に、月姫の手が添えられた感じる。
『まずは、霊力を穂に集中させるのです』
「やってみる」
月姫の指示通りに筆の穂に向けて霊力を流し込む。
その隙をつき、今度は二羽同時に卯が突撃してきたが、月姫は焦ることなく、ゆったりとした動作で受け止めた。
卯たちの足が穂にからまると、卯たちの紅い瞳が凍りついた。
すぐに後方に飛び退くが、彼らの自慢の足が高温の炎に触れてしまったかのように溶けていた。
キュウウン……卯たちの身体が崩れ、紅い石のみがその場に残される。
『霊力に直接触れるから、そうなるのです!』
誇らしげに胸を張る月姫に、緋鞠は称賛の拍手を送った。
「すごい! 直接霊力を具現化できるんだ!?」
これなら霊符いらずだと喜んでいると、視界がぐらつく。慌ててたたらを踏むと、月姫があっ、と声を上げた。
『伝え忘れてました! きちんと霊力の制御をしないと、すぐにエネルギー切れになりますよ』
「使い過ぎダメ絶対!」
慌てて霊力の脈を止める。
枯渇状態の霊力で、四鬼を倒すのは無理だ。
(どうすれば、少ない霊力であいつを倒せる?)
ヒュッと風を切る音が聞こえた。
顔のすぐ横を短刀が通りすぎた。
どうやら使役獣をあっけなく倒された四鬼を本気にさせたようだった。
「四鬼!」
四鬼は楽しげに微笑むと、緋鞠に向かって地を蹴った。
とっさに受け止めるが、さすがといったところか、筆管に伝わる衝撃が卯とは段違いだ。受けきれずに吹っ飛ばされた。
校庭の中心まで転がされた緋鞠は、視界がぐらぐらしてよろめいてしまう。
ばしゃっ、と地面に手をついたその場所は、四鬼が作り出した血で出来た水たまり。
「あ……」
そこで、ひとつ思いついた。
緋鞠がすることは、許されないことだと思う。
――でも、四鬼を倒さなきゃ、みんなも浮かばれない。
血で出来た水たまりに筆の穂を浸し、残りわずかな霊力を流し込んだ。
筆を回すと血が沸き立ってくる。
これまでどれほどの血が流れたのだろう。
どれだけの命が失われたのだろう。
月鬼との闘いは、緋鞠には想像も出来ないほど、途方もない年月を繰り返してきたのだ。
……彼らの分の命を背負って闘おう。
彼らに恥じない闘いをしよう。そう心に決めて筆をぶんっと振るった。
四鬼は生まれてから初めて、身震いをした。
灼熱の炎を思わせる彼女の狂気。
「ははっ!」
四鬼は紅い月に向かい、歓喜に満ちた笑い声を上げた。こんなに長い間、四鬼と相対した人間はいなかった。
ましてや自分を殺すためだけに、ここまでするなんて。
(ああ、今日はなんて良い日なんだろう……!)
四鬼は狂喜に満ちた瞳を緋鞠に向けた。
「おいで、俺を殺しに!」
緋鞠はすべての血を四鬼に向かわせる。
さながら津波のように自身に襲いかかる血の波に向かって、四鬼は手を伸ばす。
波が四鬼によって、まっぷたつに割れた。
『緋鞠!』
「想定内!」
緋鞠は全身を使って大きな円を描いた。月姫は緋鞠のすることに気が付いた。
『では、緋鞠は私が言う言葉を復唱してください』
月から力を借りましょう、彼女はそのまま呪文を唱えた。
『下弦の月よ。我に力を』
「か、下弦の月よ。我に力を」
少し噛んでしまったが、問題はなかったようだ。
封月の紋様が淡く輝く。丸い月の下弦部分がゆっくりと紅く染まった。それに合わせて筆が淡く発光し始める。
『無辜の魂に愛を。罪深き魂には救済を』
「無辜の魂に愛を。罪深き魂には救済を」
血の柱が昇り、四鬼を封じ込める。
月姫の言葉はそこで途切れたが、自然と緋鞠の頭に呪文が浮かんだ。
「一の型、
血の柱は渦巻き状に形を変え、大きな龍となった。緋鞠が筆を振り上げると、それに合わせて頭を天へと向ける。
「いっけぇぇぇぇ!!!」
振り下ろすのと同時に、龍は咆哮をあげながら四鬼に噛みついた。四鬼は逃れようと足掻くが、それを血で出来た壁が阻む。
彼のせいで多くの人が死んだ。
未来を共に生きるはずの人たちが。
出会えるはずだった戦友たちが。
(……絶対に許さない!!)
緋鞠がありったけの霊力を筆に込める。
封月が強く光り輝き、再び龍が咆哮を上げ、四鬼を地面に叩きつけた。
紅い月が山の陰に隠れ、太陽が姿を現す。
夜明けだ。
緋鞠は筆を握ったまま、がくりと膝をついた。霊力は底をついた。いつ気を失ってもおかしくない状態だ。
血の龍も力を失ったようにゆっくりと首をもたげると、朝日に照らされ消えていく。
その中から、龍の牙に傷つけられ、血を流す四鬼が現れた。
傷だらけだが、まだまだ余力はありそうだった。
緋鞠は足に力を込めて立ち上がろうと踏ん張るが、まったく力が入らない。
その様子を見て、四鬼はため息を吐く。
「もう時間切れだ。今回は君の勝ちだね」
緋鞠はその言葉を聞いて、瞳を瞬せた。
この月鬼はいったい何を言っている。
四鬼を見ると、その姿は太陽の光で消えかかっていた。先程まで殺気で染まっていた紅い瞳は、毒が抜けたように色褪せていた。緋鞠のほうを見て、なにも知らぬ子供のように問うた。
「……そこまでして、君はどうして闘うの?」
闘う理由。
あのとき、陽春には答えられなかった。けれど今なら答えられる。
緋鞠の中に浮かぶ大切な人たち。
「会いたい人が……守りたい人たちがいる」
けれども、もうひとつ闘う理由が出来た。
今度は緋鞠の瞳が怒りに染まった。炎を思わせる紅は、四鬼をまっすぐ睨みつけた。
「でも今は、それ以上に。
立ち上がり、四鬼に向かって筆の穂を向ける。
「いつか必ず、私があなたたち全員を倒して見せる。……覚悟して」
そう言い放つと、四鬼はゆっくりと目を閉じた。
ほんの少し、控えめに笑う。それは狂気に満ちたものでも、悪魔のような笑いでもなかった。
驚いた。
一瞬、息をするのを忘れてしまうほどに。
四鬼が緋鞠に向けたのは、ごく普通の一般的な、友人に向けるような優しい笑みだったのだ。
「そう……待ってるね。──様」
「え?」
四鬼の姿が光の粒となって消えていく。
光は朝日に照らされて、光がきらきらと舞った。
「緋鞠!」
銀狼の声が聞こえた。
ああ、終わったのだ。
ほっとした緋鞠の身体から力が抜ける。
しかし、地面にぶつかる衝撃はなかった。感じた人の温もりから、誰かが受け止めてくれたのだとわかった。
閉じてしまったまぶたを開ける力はない。手をようやく動かして、誰かの腕をつかんだ。
「怪我をしてる人……翼が、いる。そっちを、先に……」
助けて、そこからぷっつりと意識が途切れた。
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