第12話

 気が付いたときには、緋鞠の身体を押していた。

 三國の身体に深々と、卯の足が刺さる。颯月で突風を起こしたが、卯は風に巻き込まれぬよう、大きく後退した。


 卯の足が抜けたことで、出血量が増える。心臓付近だったのだろう。器官を逆流してきた血液を、がはっと吐いた。


「三國くん!?」


 身体の力が抜け、膝を付く三國を緋鞠が支える。

 ひゅーひゅーと肩で息をしている状態の三國の姿に、緋鞠は混乱していた。霊符は残っていらず、治療の術など知らない。


 ――どうしたらいい? どうしたら……。


 涙がこぼれ落ちる頬に、温かい手が添えられた。


「ここから、逃げろ」

「え」


 逃げろと言われても、逃げられるはずがない。

 四鬼は何を考えているのか攻撃をやめていたが、恐らく緋鞠のことは逃がしてはくれないだろう。


「無理だよ……逃げられっこない……」

「もうすぐ、夜が、あ、ける。そしたら、月鬼は、きえ、る……」


 いつの間にか、東の空が白み始めていた。もうすぐ夜が明ける。 

 月鬼は紅い月が昇っている間のみ、此岸に現れることができる。月が沈めば、自然と姿を消すのだ。


 三國が懐から白紙の札を取り出すと、緋鞠の手に押しつける。


「それ、を、使え。……どう、にか、逃げ、きれ」

「なら、夜明けまで守りきる」

「いい、から」


 言い様のない不安が増し、緋鞠は信じたくなくて三國の身体にしがみついた。


「やだ。いやだ!」

「緋鞠!」


 名前を呼ばれ、はっと正気に戻った。碧の瞳が、緋鞠の紅を映す。


「いい、か。鬼狩り、に、なれば、一生、逃げられなくなる。死ぬ、まで、迦具夜の駒だ。そう、なれば、未来は、ない」


 普通なら、とっくに話せなくなっててもおかしくない状態なのに、三國のこれは、まるで遺言のようだ。


「まだ、契約してない、今なら、逃げ切れる。家名のない、おまえ、なら、なおさらだ。だから、逃げろ」


 三國は意識が薄れていく中、緋鞠と言い争ったことを思い出した。


「おまえは、言ったな。なぜ、鬼狩りに、なったのかと。……本当は、なりたく、なかった」

「え」


 危険な仕事にも関わらず、絶対に人員はいなくならない。

 それは、長子徴兵制度のせいだった。陰陽師の家系に生まれれば、逃れられない絶対の掟。

 それを拒めば、一族皆殺しという忌むべき慣習だ。


 陰陽師の家系に、長子として生まれただけで、未来は決められていた。

 他の選択肢などない。


「でも、なりたい理由が。ならなければならない理由ができた」


 ……はずだ。思い出そうとしても、もう思い出せない。

 だけど時々、断片的に見えた思い出。


 色とりどりの花が咲き誇る花畑。

 妹にせがまれて作る白詰草の冠。

 穏やかに微笑む父と母。

 見つけると約束した四つ葉のクローバー。

 約束の指切り。


 その記憶の片隅に映っていたのが、緋鞠だった。


 ……理由はわからなかった。

 しかしこちら側に来てしまえば、もう戻れない。

 陰陽師とはいっても見習いだ。正式に任命されてない今、一般人として生きてきた彼女なら戻れる。


「これで、わかっただろう。こんな地獄から、逃げられるなら、逃げる、べきだ」


 緋鞠の脳裏に浮かんだのは四鬼だ。

 月鬼を従える上位種の鬼。人間によく似た姿をした彼の足元には、多くの犠牲者たちの血が広がっていた。


 普通に生きていた人たちが、月鬼によってああなる。なってしまう。

 緋鞠は覚悟しているつもりだった。それなのに身体の震えが止まらない。


 ぎゅっと目を瞑ると、頬を撫でられた。


「みくに……」

「偉そうなことを言って、悪かったな……」


 力尽きたように、手が離れる。緋鞠はその手をとっさに握りしめた。

 驚いたように三國は目を見開いた。力がもう残っていないからなのかはわからないが、振りほどこうとはしなかった。


 緋鞠は迎えに来てもらうばかりで、いつも待つだけだった。それが苦痛だから闘う覚悟をして、家族たちから離れた。


 なのに、陽春には弱さを見破られ、険悪だった三國にもこうして守られている。

 結局、緋鞠はいつも誰かに守ってもらっている側なのだ。これでは、幼い頃となにひとつ変わっていない。


 緋鞠は兄からもらった最後の贈り物を見つめる。


『これは緋鞠を守ってくれる御守りだよ。どんな魔術も儀式も可能にする魔法のアイテムなんだ』


 緋鞠はポケットから三國の鬼石を取り出し、握りしめる。

 三國の言うとおりだろう。このまま進めば、待つのは地獄だ。

 だけど、それでも。


 腕の中で弱っていく三國を見る。

 もう、これ以上誰かが死ぬのは見たくはない。


 涙を拭うと三國の身体の出血箇所を探った。

 腕や脇腹、一番ひどいのは心臓付近の傷だ。深く抉られたかのような傷で、出血が一番ひどい。

 三國からもらった札に血文字で書く。


『治』


 治療に霊符を使ったことがないので、上手くいくか不安だったが、出血が徐々に減ってきた。

 緋鞠はぼろぼろになったコートを脱ぐと、三國の身体の上にかける。


「少し待ってて」


 四鬼の前に進み出ると、驚いたように真紅の瞳が瞬いた。


「驚いた。逃げるなら、鬼ごっこでもして遊ぼうかと思ってたのにな」


 そうだろう。四鬼は緋鞠の様子をずっと見ていた。

 緋鞠に、より深い絶望を味あわせるには、どうすればよいのか、想像して楽しんでいたのだ。


「俺に向かってくるとは、壊れる覚悟でもできたのかな?」

「いいえ」


 緋鞠は立っているのもやっとだった。霊力は底を尽きかけており、正直勝てる見込みはない。無駄死にするかもしれない。


それでも。


 緋鞠は鬼石とペンダントを握りしめた。


 ――切り札はまだ、残っている。


「闘う覚悟が出来ただけよ!」

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