第3話

「ところで、今日はどういった用件で訪ねてきたんだい? 君の可愛いご主人を紹介しに来たわけではないだろう?」

「挨拶に寄っただけですよ。しばらくこの土地に留まるので」

「ほお、近所に住むのかい?」


 首をかしげる陽春ようしゅんに向かって、緋鞠ひまりが答える。


「星命学園に入学するんです」

「ははあ、なるほど。お嬢さんは、陰陽師を目指してるのか」


 星命学園にはふたつの学科がある。

 一つは妖怪科。これは昔からある科で、人々を妖怪の悪事から守ったり、妖怪の力になったりと一般的にイメージがしやすいであろう陰陽師の仕事である。


 そしてもうひとつの科は――。


「はい、私が目指しているのは、鬼狩科です」


 そう宣言すると、春のひだまりのような陽春の表情が曇った。


「あー……君は、今年の鬼狩り適性試験を受けるのかな?」

「はい」

「何のために?」

「えっ?」


 陽春の真剣な目が、緋鞠の真意を探ろうとしている。


「何のために、君は月鬼と闘う?」

「私が月鬼と闘う理由は――」


 緋鞠が闘う理由はただ一つ。

 これからも変わらない。変える気は、ない。


「兄を捜すためです」


 血の繋がりのない緋鞠を拾い、育てて、感情や愛情をくれた人。

 もし彼が、危険な目に遭っているならば……。


 ――彼を救うためならば。


「そのためなら、どんなことでもします」


 たとえ、迦具夜姫の駒として道を歩むことになっても後悔しない……!


 緋鞠の真剣な言葉にも、陽春は納得しない様子だった。


「んー……それじゃあ質問を変えようかな。君、ほかに家族はいる?」

「孤児院にお世話になってますけど……?」


 神の遣いに指摘され脳裏に浮かぶのは、緋鞠の家族だった。

 兄の友人であり孤児院の院長を務める水木八雲に、中学生二人、小学生が二人、年少組が二人の計七人。

 院長と身寄りのない子供たちだけで、支えあって生きてきた。


「血の繋がりがなくても、私にとっては大事な家族です」


 家族と離れて一週間も経っていないけれど、思い出すと無性に会いたくなってくる。


 ――みんな、どうしているかな?


 兄を捜すために陰陽師になると言った緋鞠を応援してくれた。

 朝早い時間に、みんなで送り出してくれた。


「——それなら、別に兄ひとりにこだわらなくてもいいんじゃないか?」

「え?」

「だって今は今で、大事な家族がいるんだろう? その家族だけを大事にすれば、いいじゃないか」


 確かに、そうかもしれないけれど、そうではなくて……。複雑な気持ちが緋鞠に生じてくる。


「もし、お嬢さんまでいなくなったら、兄弟たちに君と同じ思いをさせることになるよね。それはいいのかな?」


『おねぇちゃん、ほんとにいっちゃうの……?』


 脳裏に浮かんだのは、末っ子の泣き顔だった。


 失った兄を追いかけて。でも、今も。本当は生きてる証拠なんてどこにもない。

 あるのは緋鞠の希望、願いだけだ。


(……でもそれって、家族を悲しませてまでやること?)


 喉の奥になにかがひっかかって、わけがわからなくなる。

 思わず両腕を抱きしめた。


(私は──)


「悪かった!」


 緋鞠は驚き、弾かれたように顔を上げた。


「私は別にお嬢さんを泣かせたかったわけじゃないんだ」


 陽春が手を伸ばし、緋鞠の頬を伝う涙を優しく拭った。


「あ、私……泣いて……?」

「私はね、過去に囚われて命を落とした者をたくさん見てきたから、お嬢さんにもそうなって欲しくなくて言ったんだ」


 陽春は意地悪で言ったのではない。緋鞠にもわかっている。


 緋鞠はただただ恥ずかしかった。

 泣いたこともそうだけれど、指摘されたことにはっきりと答えられなかった。

 兄と孤児院の家族との間で、揺れている緋鞠の心を神の遣いは見透かしているのだ。


 ――もっと強くならないと。


 緋鞠がコートの袖で、乱暴に涙をぬぐった。


「銀狼! ちょっと落ち着いて! な?」

「ん?」


 神の遣いの焦った声に振り返ると、背後に鬼神を背負った銀狼が、陽春を睨みつけている。まさに鬼神……いや、狼神。


「貴様……緋鞠を泣かせたな?」

「いや、だってさ。せっかく銀狼に主人が出来たっていうのに、鬼狩りになるとか言うから……」

「許さん!!」


 銀狼が緋鞠を抱き上げた。


「うわあっ!? わわわ、ちょっと銀狼!?」

「こんな無礼者にかまってはいられん。行くぞ!!」


 そうしてさっさと歩き出す。


「ちょ、ちょっと! 歩けるってば、下ろしてぇええ!!」


 暴れても力の差は明らかで、びくともしない。

 緋鞠は半分諦めて陽春の方をみると、大きく手を振っていた。


「何か困ったことがあれば、訪ねるがいい!!」

「ありがとうございます!!」


 緋鞠が手を振り返すと、陽春はほっとしたように破顔した。


 桜の花びらが、陽春を包みこんだ。緋鞠を抱えたまま銀狼が鳥居をくぐる頃には、その名のとおり春を思わせる優美な姿は完全に消えてしまった。


 銀狼はそっと緋鞠を地面に下ろすと、申し訳なさそうに目を伏せた。


陽春神の遣いが悪かったな」

「なんで銀が謝るの?」

「昔から心配性なんだ。あとで締め上げとく」

「そんなことしないで! 陽春様とは友達同士なんだよね? 大事にしてあげて」


 緋鞠は銀の頬をきゅっとつまむと、頬を引っ張った。


「ほらほら、笑顔!」


 無理やり笑顔の形にさせてみるも、まったく似合わなくて笑えてきた。


「ぐ、ふっ! にっ、似合わない……!」

「おまえがやったんだろ!」


 があっと怒鳴る銀から、緋鞠は逃げた。


「行こう、銀!」


 手を差し出せば、そっと手を重ねてくる。


 ――過去よりも現在を大事にしたらよいのではないか。


 陽春の言っていたことは、もっともだ。


 けれども緋鞠はもう、止まれない。


 緋鞠との別れを悲しむ兄弟たちの手を振りほどいてきたのだ。

 今さらやめられない。


 緋鞠だって十分わかっている。


 兄を捜すことが無謀な願いであることも。

 それでも願いは日に日に増すばかりだった。


 四ヶ月前のあの日から――。

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