第5話

 嫌な予感がする。


 仁を連れて、廃材置き場まで急ぐ。

 目的地に近づくと、住宅が減っていく。舗装されていない道を奥へと進んでいくと、フェンスで閉じられた廃材置き場があった。


 入り口には立入禁止の看板。

 しかし、普段ならチェーンで閉じられているはずの扉が開いている。誰かが侵入したのだ。地面にはチェーンが落ちており、無残にも切られた跡があった。


 緋鞠と仁が扉に近づくと、中から銀狼がぬっと出て来た。


「銀狼」

「なあ、シロは? シロはどこにいるんだ?」

『……』

「銀狼?」


 銀狼がシロを見失うはずがない。銀狼がこの場所だと言ったなら、この場所で正解のはずだ。


 じっとりした汗が、頬を伝う。

 銀狼はこちらを見上げると、力なく首を振った。


「っ!」

『よせ』


 とっさに動こうとする緋鞠を銀狼は制した。


『——中は危険だ』

「大丈夫だよ」

『人が入る隙間はあるにはあるが、危険だ』

「気をつけるから」

『緋鞠!』

「行かせて!」


 銀狼は緋鞠のコートを噛みつく。力比べは、緋鞠の負けだった。


『あいつは、もう……』

「嘘! なんで、そんな……っ」


 仁から手掛かりをもらうために行った術。あれは本来、死者には効かないものだ。

 生きているから、霊力が存在するからこそ、方角を示せる。


「緋鞠! 廃材置き場は危険だよ!」


 仁も緋鞠が入らないように止めに入る。


「シロにも入らないように言っていた。だから、シロはいないよ!」

「でも、そしたら、なんで……?」


 シロは、緋鞠の円から逃げ出したのか?

 何か緋鞠に伝えようとしたのではないか?


 緋鞠はコートのポケットから、術に使用した半紙とシロの毛を取り出す。

 その場に腰を下ろし、半紙を広げて霊力を流し込んだ。


 ――きゃん!


 廃材置き場からシロが出て来た。悲しげにひと鳴きすると、緋鞠の額に鼻を近づける。

 そうして、見えたのは――。


「緋鞠? どうしたんだ? シロは、ど、こに……」


 緋鞠の頬を伝う涙を見て、仁はすべてを理解した。

 銀狼が主を気遣うように、頬に鼻ずらを押しつける。


 シロは廃材置き場に入っていた。強い風が吹いた途端に、ガラクタが彼の上に降り注いだのだ。


「……嘘だ」


 仁は信じられなかった。

 シロには入ってはいけないと、あんなに言い含めたのに。

 それに、シロがいなくなったとき、近所の人たちもいっしょに探してくれたはずだ。特に、両親や祖母は、夜中近くまで探してくれたのに。

 それなのに、見落とした――?


「仁くん!」


 仁が勢いよく駆け出した。

 残された緋鞠は、仁が走り去る姿を見ていることしか出来なかった。


「仁くん、ごめんなさい。真実を知らなければ、信じていられたのに……」


 ◇


 仁は自宅に向かっていた。

 そうだ。きっと探しに行ったけど、見つからなかっただけだ。


 いつの間にか太陽はかたむき、夕焼けに変わっていた。

 真っ赤な夕日がアスファルトを染め上げ、仁の不安をあおっていく。


 自宅に着いた仁は、リビングに駆け込んだ。


「びっくりした。どうしたの? ただいまも言わないで」


 キッチンにはパートから帰ったばかりの母がいた。

 いつもと変わらぬ母に、仁はずっと疑問に抱いていたことを口にする。


「……シロのこと、ちゃんと探した?」


 ぐ、と一瞬言葉を失った母は、仁から顔をそらした。


「探したって言ったでしょ。さすがに、森の中には入れなかったけど。あんたが無茶しないように、出来るだけ探したわ」

「どこまで?」

「遠くまでよ。あんたもよく知ってるでしょう? 三時間も探して歩いたのよ」


 ――知っているとも。

 シロがいなくなった次の日、学校から帰ってきた仁に祖母が知らせてくれたのだ。

 パートから帰ってきた母に知らせると、もう日が沈むから子供が出歩くには危険だと言って、夜になって仕事から帰って来た父とふたりで探しに行ってくれた。


 仁は夕飯が大好きなカレーだったにも関わらず、食べずに窓から外を見ていた。

 シロはきっと、両親といっしょに帰ってくるはずだと――。


「廃材置き場は、見た?」


 瞬間、母の目が見開かれる。


「だって、あそこは立入禁止でしょ」

「チェーンが壊されてた」

「えっ、チェーンが? 大変。すぐに管理者に電話しないと。うっかり子供が入って事故にでも遭ったら大変だわ」

「だから、シロも入ったんだよ!!」

 

 母が呆然とした顔をした。


「……入ったって……え、シロが?」

「全部探したって言ったのに!」

「……仕方ないでしょ! チェーンが壊れてたなんて、わかるわけないじゃない。そもそも夜に廃材置き場に入るなんて、危ないでしょう?」

「全部探したって言った!!」

「うるさいわね! たかがペットじゃない!」


 その言葉で、仁の何かが切れた。

 腹の底から、どす黒い影のようなものが吹き出してくるのを感じる。


「ペットだなんていうな! シロにはちゃんとシロって名前があるんだ! 俺の大事な家族なんだよ!!」


 黒い影に包まれた仁の視界はなにも見えなかった。


 信じていたのに。嘘をついたりしないと。

 探せなかったら、行けなかったら、正直に言って欲しかった。

 それだけなのに――!!


「……嘘つき!」


 玄関から飛び出した仁はやみくもに走り出す。

 日が落ちてすっかり暗くなった道を、走って、走って、走って。


『——大人たちはみんな、嘘ばかり』


 緋鞠の悲しげな顔が脳裏に浮かんだ。

 彼女もこんな苦しい思いをしたのだろうか?


 きゃんきゃん!


 暗闇の中で、シロの鳴き声が耳に届いた。


「えっ?」


 道路の向こうにシロがいた。

 仁の姿に気がつくと、嬉しそうに飛びついてくる。


「シロ!? おまえ、どこ行ってたんだよ!」


 はっはと舌を出し、仁の顔を覗き込むようにうかがっているシロ。

 膝を落とすと、鼻をべろりと舐められた。その感触に夢ではないと思った。


 シロは気が済んだのか、今度は仁のズボンの裾を咥えて引っ張った。

 仁をどこに連れて行きたいのか、踏ん張る姿に仁は嬉しくなる。


「わかったって! 一緒に行くから!」


 そうだ。いつも一緒だった。これまでも、そしてこれからも。

 一歩、足を踏み出そうとした瞬間。


「仁! 危ない!」


 腕を引っ張られ、背後に倒れた。


 ガラガラズドーンッ!!!!!


 目の前にいたシロの上に、ガラクタが降り注いだ。


「シロ――ッ!?」


 叫び声を上げ、仁は身体を起こした。

 目の前にいたはずのシロがいない。目の前には、暗闇が広がっていた。


「大丈夫?」


 気づかうような声に顔を上げると、暗闇でもはっきりわかる紅い瞳が、こちらを覗き込んでいた。


「え、あれ……?」

「ごめんね! もっと早く見つけられれば、よかったんだけど!」

「大丈夫だよ!」


 慌てて答えると、心配そうに見つめられる。


 さんざん泣いたから、汚れているだろう顔を見つめられるのは恥ずかしい。

 じわじわと顔に熱が集まってくるのを隠すように、腕で顔を隠す。


『おい、緋鞠! まだ終わってないぞ!!』


 聞いたことのない男の声。

 声の方へ顔を向けると、銀狼がいる。


「は? え? 今の声、もしかして銀狼!?」

「ああ、私が仁くんに触れているせいだね」


 そう言って、緋鞠は仁からそっと離れる。

 すると、銀狼が口をぱくぱく開いても、吠えているようにしか聞こえなくなった。


 仁があたりを見渡してみると、そこは廃材置き場の真ん中だった。

 周囲を古タイヤや廃車やらのガラクタに囲まれている。


 ――なぜ、こんなところにいるのだろうか。


 キシキシ、とガラクタから聞こえる不協和音の中、前方から小さな足音が聞こえてくる。

 緋鞠が仁を背中に庇うように立った。

 仁も立ち上がり身がまえると、暗闇の中から姿を現したのは、仁の大好きなシロだった。


「シロ!」


 駆け寄ろうとすると、緋鞠に手で制される。

 なぜ止めるんだ? 怪訝に思いながら緋鞠に顔を向けると、険しい顔をしていた。


「仁くんには……あれがシロに見えるの?」

「あれはシロだよ」


 仁が、シロの真っ白な毛並みを見間違うはずがない。


 しかし、再び目を向けるとそこにいたのは――。


「……えっ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る