第4話 待てる人

スーチーさんは25年待ちました。ガンジーの言葉に「速度を上げるばかりが、人生ではない」というのがあります。労働が全てだという点では私は社会主義者ですと語った後で、社会主義者たちを「急ぐ人」と言っています。


ガンジーは待てる人であったのです。国民会議党が自分の考えと違うとき、会議党から一時離れますが、離れても会議党は彼を必要とします。会議党が穏健、急進2派に分かれた時はどちらにも組せず、中立を守り分裂を防ぐ努力をします。声高に主張はしません。でも、不屈です。


ガンジーは度々、逮捕、投獄されます。牢獄を「「皇帝陛下のホテル」と呼び、楽しむ余裕があったと言います。そして読書と祈り、そして時には抗議、時には自己の浄化のため度々断食を行います。そのたび植民地政府は釈放します。ガンジーに死なれたらそれこそ一大暴動になってしまうことを恐れたのです。でも、運動の最高責任者を逮捕せず、その下を逮捕できません。最後は本当に宮殿を牢獄にして軟禁しました。なんだか、この〈いたちごっこ〉には笑ってしまいます。


第2次大戦後、ガンジーを嫌い、インド統治に強腰だったチャーチルが負けまて、労働党内閣になります。もはやインドを持ちこたえる力はイギリスにはなく、独立の時がやってきます。ただ、問題はイスラム連盟が分離独立を求めるパキスタン問題でした。政治対立は宗教対立となり、両者の間に凄惨な暴力の応酬が始まり、ガンジーを悲しませます。ガンジーは寛容と融和で両者が暮らす統一インドを求めます。「独立しても、数で勝るヒンズーがイギリスに代わるだけだ」と、イスラーム連盟は恐れ、ナショナリズムを煽ったのです。ガンジーのいう「恐れが不信を生む」です。

内戦寸前状態になりネール(ガンジーの弟子)は分離独立案を受け入れます。1947年8月15日インドは独立を達成します。1948年1月30日、マハートマ・ガンジーは、彼のイスラーム寄りに抗議するヒンドゥー過激派青年らの凶弾に倒れます。78歳でした。本人はそう呼ばれるのを嫌ったのですが、マハートマは聖者を意味します。


ガンジーはスワラージ(自治=独立)をこの様に言っています。

「死の恐怖心を放棄すること」「インドのすべての住民を、自らの兄弟姉妹とみなす力」「自らの弱さを除去する国民の力」

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