第3話 糸車
ガンジーと言えばこの糸車を廻す写真が思い浮かびます。糸車は当初農村の副業的な収入の道として奨励されたが、次第に糸車の運動は農村の復興に求められる様々な有益な活動の核となっていきます。民衆に糸車を「教え込む」努力の中で、ガンジーはそれを理想化し、糸車を経済疾病の万能薬としてばかりでなく国民の結合と自由の〈シンボルマーク〉とするのです。糸車は産業中心主義や物質主義に対する抗議の声でありましたが、しかしそれが、この国の最も賤しい人々、最も貧しい人々と深く結ばれていなければ、ガンジーにとっては、糸車はそれほどの意味はなさなかったのです。
「私は農村に分け入れば入るほど、そこで出会う農民の眼差しにうつろさを感じ、ショックはいっそう大きくなる。彼らは、彼らの牛とともに働く以外になすことはなく、ほとんど牛になってしまっているのだ」と語ります。
糸車について「そんなことをして、どんな意味があるのですか」という質問に対して、「インドは瀕死の状態にあります。もし皆さんがインドを救いたいと思われるのなら、私がお願いしているごく小さいことから始めて下さい。私はみなさんに早刻糸車を廻して貰いたいのです。さもないとインドは滅びてしまいます」
ガンジーは広く国内各地を旅してまわります。人民と同じ3等車に乗り、不便なところは徒歩で行きます。その象徴が杖を持ちサンダル履きで手織り麻布を巻き付けた姿です。こうして、いままで知識人、中流層の主導であったインドの民族運動を、幅広く大衆運動にまで深化させて行ったのです。
サッティヤーグラハは二つの面を持ちます。政治的な抵抗運動、非協力運動以外に、建設的プログラムと言われるものです。
「大きな改革は自治達成の暁にやればよいと考える人たちは、非暴力の自治(スワラージ)の基本的な働きについて自己を偽っているのだ。自治はある晴れた日に、突然天から降ってくるものではない。それは一つまた一つと煉瓦を積み上げる共同の自助努力でなければならない」として、糸車で糸を紡ぐこと、農村の近代化、教育、禁酒をすること等を勧めます。会議党がガンジーの考えと違う状態になったとき、彼は政治から距離をおき、この建設的プログラムに専念します。
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