第2話 『非暴力・不服従運動』・(サッティヤーグラハ)

当時のインドは、イギリスの植民地統治が直轄州部分(北部)と藩王国部分(南部)に分割統治されていた。主宗教にはヒンズーとイスラームがあり、イスラームが四分の一を占めていた。人口の8割が農民であり、ほとんどが貧困状態に喘いでいた。それまでインド経済を支えていた木綿の家内手工業がイギリスの安価な(関税もない)製品によって打撃を受けたことが一つの因であった。


イギリス支配については、「彼らはこの国の経済をとっても、真剣な熱意も意志も組織も持っていない」と切って捨てます。と同時に「イギリス人がインドを奪ったのではありません。私たちがインドを彼らにくれてやったのです。彼らがインドに居座っているのは、彼らの強さゆえではなく、私たちが彼らを引き留めているからです」と、抵抗するだけでなく、自省の必要も説く。

支配者はその至らなさにつけ込んで居座っているのだとして、不可触民制(インドのカースト社会で差別された最下層民)、宗教間の争い等を挙げる。これらを浄化し得た時に自立の自由を得ることができるのだとするのです。


非暴力・不服従運動(サッティヤーグラハ)がこんなに徹底した、積極的、能動的なものであるとは知らなかった。死をも恐れなければ何も恐れるものはないとする。国民会議党の主要メンバーは非暴力・不服従運動を独立運動の有効な〈手段〉と考えたのですが、ガンジーのサッティヤーグラハは目的と手段とは、一致されたものでなければならないものでした。


正しい目的は絶対にいかがわしい手段を持って正当化できない。我々の本当の敵は、我々自身の恐怖心や、欲望や、自己本位であるとし、「非暴力は私の信念の第一章であり、また私の信条の最終章でもある」と述べます。彼はインドが非暴力の一つの成功例を示し、世界の範となることを願ったのです。

運動が最高に盛り上がっていた時でも、偶発的な暴力事件が起きると市民的不服従運動を停止したり、延期したりして、会議党のメンバーを政治的に困惑させます。


第2次大戦時、日本がビルマを侵攻し、その手がインドに伸びて来るかというとき、イギリスが去ったらどうなるという意見に、何も恐れることはない、サッティヤーグラハを粛々とするまでだと述べる。占領者としてはイギリスの帝国主義も、日本の軍国主義もたいして変わらない。前者の方が少しましなだけだ。ガンジーは枢軸国に対する戦争が自由の闘いであるのなら、将来の約束でなく、今すぐインドを自由にすべきである。大義が明確でない戦争に協力は出来ない、出て行って貰って結構と述べるのです(なんだかスーとしますね)。ことさように、腹が据わった運動であったのです。

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