第117話 幼馴染メイドと温泉旅行④了
爽やかな夜風が肌に心地いい。
変に火照ってしまった身体から熱が退いていく気がする。
「なんだかなぁ……」
さっきの母さん達の会話を思い出すと幸奈程ではないにしろ、想像して変な気分になる。あーいうのは早けりゃいいってもんでもないんだから。
はぁ、と旅館の前にかけられている橋で息を吐くと幾分かは冷静になれた。
大人組はあのまま寝かせて放置した。幸奈は一人になりたいと部屋に残り、朱里はお土産を見てくると土産コーナーへ向かった。
余った僕は夜風に当たろうと三十秒もかからない距離のここまで来たわけだ。
辺りには誰の姿もなく、ライトアップされた夜の温泉街は昼間とはまた違った魅力がある。
魅力に浸っていると背中に衝撃が走った。
この衝撃はよく覚えている。つい先日にくらったばかりだからだ。
「幸奈……」
振り返ると当然のように幸奈がいた……のだが、少し様子がおかしい。その証拠に幸奈が無言のまま、腰に腕を回してきて抱きしめられたのだ。
彼女からのハグ。愛情表現だと受け取ればいい。けど、それにしては幸奈が変だ。ボーッとしたまま頬を赤らめて……なんだか色っぽい。
「幸奈……くさっ!」
ボーッとしたままで口から小さくケプっと出た匂いが鼻を刺激して理解した。
「幸奈……お酒飲んだのか?」
「え~なになに~よくわからないよ~」
にへらと笑いながら呂律も子供じみている。間違いなく確信犯だった。
「ゆうくん~ゆうくん~すきすき~だいすき~」
ボーッとしてたからジュースと間違えておばさんが残していたお酒を飲んでしまった。多分、こんなところだろう。
幸奈らしいと言えば幸奈らしいが……ちゃんと片付けてから出てくるべきだった。
「えへへへ~ゆうくんぎゅー。ぎゅっぎゅぎゅー」
……うん、これはこれで悪くないな。いつにもましてスリスリされるし……何より、お酒の力とはいえスキンシップ出来るのは嬉しい。けど。
「幸奈。ちょっとこっちきて」
「え~どこいくの~?」
悪酔い幸奈の手をとって旅館のすぐそばにあるベンチへと連れていく。そこに、幸奈を座らせた。
「今、水買うからちょっと待ってて」
「いや!」
「嫌って……」
「ゆうくんとはなれないもん」
「自販機、すぐ隣なんだけど……」
そんな呟きも幸奈には届いてなくまたスリスリと近寄ってくる。
「ゆうくんあったかいねー」
「……っ、幸奈。ちょっと離れて」
「ゆうくん……わたしのこときらい?」
「ち、違っ……その、着物が着崩れてきてるから……」
見えそうで目のやり場に困るんだ……だから、そんな捨てられそうな目はしないでくれ。
「あーゆうくんのえっちだー。でーも、あついしゆうくんがどうしてもっていうならーぬがしてもいいよー」
あ、これ、ダメなやつだ。幸奈の酔い方、一番質の悪いパターンだ。酔ってぐいぐい絡まれるだけならましだけど、こうなられると手に負えなくなる。
「幸奈。目、瞑ってて」
「えーなになにー?」
知能レベルが下がってくれて助かった。
幸奈が静かにしてる間に水を購入して、幸奈の頬っぺたにペットボトルを当てた。『ひゃっ』と可愛らしい声を出して目を開ける。
「はい、これ飲んで」
「わかったー」
ゴクゴク水を飲む幸奈を横目に隣に腰を下ろした。しばらく、腕に抱きつかれていたが眠たくなったのか肩に頭を置いて可愛らしい寝息を立て始めた。
「えへへ……ゆうくーん……」
どんな夢を見てるのか……幸せそうな表情を無防備に浮かべる。頬を指でぷにっとするとその表情は一層だらしなくなった。
三十分程寝ていた幸奈は目を覚ますと悪酔い中のことを覚えているのかすぐに真っ赤になった。
「えっと……えっと……」
居たたまれないのかあたふたとしているのが可愛らしい。
「もう大丈夫?」
「う、うん……あの、色々と迷惑かけてごめんね」
「迷惑なんかじゃないけど、お酒を飲むのは僕の前だけにしてくれ。その、他の人にああいう幸奈見られたくない」
「わ、分かってるよ……ゆうくんにしか見られたくないし」
すると、幸奈がピッタリと横に張りつくように近づいてきた。ただ、完全にくっつくのではなく、俯いている。
「もう、夏休みも終わっちゃうね」
「そうだな」
「ゆうくんは楽しかった?」
「楽しかったよ。それに、嬉しかったし……ここ最近の夏休みで一番充実した。もちろん、今も」
「わ、私も。いっぱいいっぱい楽しかったし嬉しかった。今もこうしてるだけで幸せ」
「でも、夏休みが終われば真剣に将来のこと考えないとなんだよな」
これまでは将来なんて漠然なことなるようになるとしか考えずのほほんとその日その日を生きてきた。でも、これからも幸奈と一緒にいたいならちゃんと考えないといけない。
「ゆうくんは大学に行くの? 就職するの?」
「やりたいことは正直言うとない。大学受験か就職かも分からない」
「難しいもんね」
「でも、幸奈と一緒にいたいってのが僕の気持ち」
「ゆうくん……私はね、進学しようと思うの」
「そっか。じゃあ、僕も進学かな。頑張って勉強しないとだけど」
「あのね、私も大学に行って何かをしたいとかはないの。ゆうくんと一緒に大学生活を送りたいだけなの。だから、無理はダメだよ」
「幸奈のためなら無理するよ。幸奈は賢いんだから僕が幸奈のレベルまでいけるように」
「ううん、本当に無理しないでいいの。二人で一緒に可能な範囲で。だってね、ゆうくんに言われた私のどうしてもやりたいことってねどこの大学とか関係ないの」
「どういう……」
幸奈は顔を上げて目を見つめてきた。何かを覚悟したような真剣な眼差しに自然と向き合っていた。
「わ、私がね、どうしてもやりたいことってね、ゆうくんのお嫁さんだから!」
「っ!」
「他のことは諦められてもこれだけは諦められないの! だから、その……私の気持ち知っててね……?」
嬉しさで何が何やらと呆然としている間に幸奈は立ち上がって急いで旅館の中に戻ろうとした。
そんな幸奈のことを気づけば後ろから抱きしめていた。
「幸奈……幸奈……」
これほどまで幸奈のことをいとおしいと感じたことがあるか分からないくらい幸奈を好きだと思った。
「幸奈。ちょっとだけ待って」
それから、財布を出して中からあるものを取り出した。
「これ」
幸奈の手に握らせたのは夏祭りの日、輪投げの景品として貰った子供がつけるようなオモチャの指輪。価値もなく、値段にしても安いものだろう。
「まだ、本物を渡せる時じゃないのが悪い。でも、いつか本物を渡すから……それまでは、これで我慢してくれる?」
「うん……うん……ありがとう、ゆうくん」
幸奈は大きな涙をポロポロ流しながら笑ってくれた。
幸奈のことは泣かせたくない。でも、これは嬉し泣きだと分かる。そして、そんな幸奈が僕の目には一段と綺麗に写った。だから、幸奈のことをもう一度腕の中に引き寄せた。
「いつか、二人でここに来ようか」
「うん……あのね、ゆうくん」
「うん?」
顔を上げた幸奈。その頬は赤色に色づいていた。
「その、物だけじゃ不安だから確実なものが欲しいの……あの、昨日の続き――」
その先は恥ずかしいのか口をつぐんでしまった。ただ、もじもじとしていて目が泳いでいる。期待するように見ては逸らしを繰り返す。
そんな幸奈の唇に自分の唇を重ねた。
二度目のキス。ほんの少しは上手くなったかな? いや、人間そんなすぐには上達しないよ。だから、精一杯。精一杯、幸せを感じるんだ。
「……いきなりはズルいよ」
そっと唇を離すと幸奈が拗ねたように呟いた。
「でも、これが欲しかったんだろ?」
「そうだけど……もう!」
その瞬間、唇に柔らかな感触が触れた。
「お返しだよ!」
一瞬の出来事に目を丸くしていると小悪魔のように笑う幸奈。
なるほど……いきなりは確かにズルい。
「さ、もう戻ろ。いつまでもいると冷えちゃう」
「そう、だな」
幸奈は手を引いて歩き出す。
幸せそうな笑顔を浮かべている姿を見るだけこっちまで幸せになれる。
この笑顔を見られるだけで今年の夏休みは大満足のいくものだと思いながら一緒に旅館に戻った。
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