第116話 幼馴染メイドと温泉旅行③

「あっちぃ……」


 旅館の着物に着替え、色々な意味で熱くなった身体を冷ますように座りながらうちわで扇ぐ。

 頭を冷静にさせるためにもそよ風が気持ちいい。


「ゆ、ゆうくん……」


 後ろから小さな声で呼ばれる。

 相手はもちろん幸奈だ。幸奈以外にはいない。


「幸奈。ちょっと聞きたいことが――」


 振り返って思わず何も言えなくなってしまった。


「ど、どうかな……?」


 幸奈も僕と同じく旅館の着物に着替えていた。ただ、それだけなら何も言えなくなるほど見惚れたりはしない……はずだ。髪型がいつもと違っていたのだ。いつもストレートなのに、今は髪をまとめて後ろに束ねて結っている。それに、湯上がりだからか頬が僅かに紅潮している。


「そ、その、似合ってて可愛い……じゃなかった綺麗。綺麗だよ」


 形容の表現が難しいが可愛いというよりも美しいという方が正しい気がした。改めて、幸奈は可愛いだけじゃなく美人でもあるんだということが分かった。それこそ、昼間見たどんな着物美人よりもずっと綺麗だった。


「あ、ありがとう……」


 幸奈はもじもじと指を絡めながら嬉しそうに微笑む。

 その姿に異様に目を向けられなくて思わず逸らしてしまった。


 すると、朱里が小走りでやって来た。


「お兄ちゃん。どう?」


 そして、くるりと一回転して着物姿を見せてくる。


「似合ってるぞ。可愛い」


「えへへ、ありがとう」


 幸奈は可愛いより綺麗が似合う。けど、朱里は元気いっぱいで可愛いという方が似合う。同じ着物なのにこうも違って見えるのは少し不思議だ。


「ママ達はもう少しゆっくりしてからいくって」


「そっか。どうしようか?」


 晩ご飯まではまだ少し時間がある。


「お兄ちゃん、喉渇いた」


「それは、奢ってってことか?」


「うん。幸奈ちゃんはどう?」


「わ、私も渇いたかも」


 という訳で二人と一緒に自販機まで移動する。温泉ならではの瓶に入った牛乳二本とコーラ一本を購入。こんなところでも幸奈は変わらないなと苦笑しながら飲みほした。


 朱里が幸奈と卓球で遊びたいとのことなので卓球台が置いてある所まで移動する。朱里、幸奈、僕の順で廊下を歩いているのだが……僕にとっては毒でしかなかった。


 髪をまとめているせいで幸奈のうなじがどうしても目に入ってくるのだ。真っ白で綺麗なうなじ。

 たかがうなじ。言い換えれば首だ。興奮なんてしない。しない、はずなのにどうしてこんなにもドキドキしてしまうのか。


「ん、どうかした?」


 視線を感じたのか、幸奈が振り返って屈託のない笑顔を向けてくる。


「な、なんでもない」


「そう?」


 うなじに見惚れてた、と言ってしまうと幸奈がまたどうにかなってしまうかもしれないし何より朱里の前。また、変態みたいな扱いされると嫌だ。


 卓球台を前にして幸奈と朱里が楽しそうにピン球をカコンカコンと打ち合う。幸奈は不器用なくせに運動は出来る方なので普通に上手い。朱里は……すかぶったりして下手だ。


 そう言えば、朱里は僕と幸奈の関係を知っているのだろうか? うーん、多分、知ってるんだろうなぁ……。


 幸奈の着物姿があまりにも綺麗だったもので、頭から恋人同士だと言ったことを詳しく聞く、ということがすっかり抜けてしまっていた。


 でも、おじさんがお酒のつまみって言ってたし、幸奈のことだから帰ってすぐ嬉しそうに話しちゃったんだろうな。で、昨日、幸奈と出掛けている間に母さんに連絡がいって、そのまま旅行決行! って感じかな。


「あーん、負けちゃったー。幸奈ちゃん強ーい」


「ふふ、ふふふ……勝った。勝った。朱里ちゃんに負けたけどこっちは勝った……ふふ」


 考え事をしていると勝負は終わったようだった。 短さから幸奈が容赦なく朱里を負かしたようだ。ったく、大人げない。ここは、朱里に負けてあげるのが大人のレディーだというのに……あ、そもそも幸奈もまだ大人のレディーレベルじゃないんだった。


「むぅー悔しいー。次、お兄ちゃん勝負しよ!」


「はいはい」


 朱里よ。ちゃんと手を抜いてやるからな。それが、いいお兄ちゃんってもんだからな。


「幸奈、ラケット貸して」


「ふふ……」


「幸奈?」


 幸奈の様子がおかしい……さっきから、ずっと俯いたままぶつぶつと呟いては笑っている。


「幸奈ちゃん、どうかしたの?」


「分からん」


 また、自分の世界にでも入っているのだろうか?


「幸奈? 幸奈?」


 目を下から覗き込むように見上げると幸奈と目が合った。


「ち、近っ!」


 その瞬間、頬を染めながら顔を背けられる。やっと、こっちの世界に戻ってきてくれたようだ。


「ど、どうしたの?」


「ん、朱里と勝負するからラケット貸してくれ」


「あ、そ、そうなんだ。はい、どうぞ」


「ありがと。ところで、大丈夫か? ボーッとしてたようだけど、熱でもあるんじゃ」


 心配からの確認のため、幸奈の額に手を当てたのだが、その瞬間僕の手に高温が伝わった。


「だ、大丈夫だから」


 ああ、今のはたんに照れただけか、と急いで移動する幸奈の背中を見て思った。ただ、ぶつぶつしていたのは分からなかった。


「いて。何するんだ、朱里」


「べっつにぃ~何でもないよーだ」


「なら、ピン球をぶつけるのはやめなさい」


 たく、お兄ちゃんはそんな悪い子に育てたつもりないぞ。


「さ、早く勝負しよ」


 促されて朱里と勝負を始めた。


 人は向き合ってみて、初めて分かることがある。

 朱里の卓球の腕。それは、絶望までに下手くそだった。見ているだけではそこまで見抜けなかったことが兄として悔しいくらい。


 結果、頑張って負けてあげようと思っても無理だった。



「私達ももうおばあちゃんか~時が経つのは早いわね~」


「そうですね~この前まではちっちゃい娘だった幸奈が……幸奈がぁ~」


「ほら、泣かないで」


 僕と幸奈は何も言えず絶句していた。

 母さんとおばさんの会話は酔ったせいで、子供達が気まずくなるのを忘れて自由に話しているのだ。


「これからもよろしくお願いしますね!」


「こちらこそです!」


 父さんとおじさんも酔っているからテンションが高い。


「はぁ……こうなるから嫌だったんだ」


 大人組はお酒が大好きだ。それぞれ、アルコールには強いらしいが酔い出すとテンションがお高くなりいつにもましてノリがウザくなるのだ。


 現に、今も結婚だの孫だの居心地の悪くなるようなキーワードばかりが飛び交い、幸奈も真っ赤になりながら固まっている。


「ねーねー、お兄ちゃん。子供ってどうやって出来るの?」


 賢いくせに純真無垢な朱里が興味を示して聞いてくる。賢いから知識を増やしたいのだろうが兄としては清らかでいてほしい。それが、切実な願いだ。もっと、大人になってから知ればいいのだ。


「鳥さんが運んでくれるんだよ」


「ちょっと、祐介。どうして妹に嘘ついてるのよ。いい、朱里。赤ちゃんってのはね、男女が――」


「わ、何々? どうしていきなり耳を塞ぐの? 何も聞こえないよ!」


 聞こえなくていいんだ。聞いたら、想像してボッて爆発した幸奈みたいに朱里も赤くなるだろ? 気まずくなるだろ? 居たたまれなくなるだろ? だから、聞かなくていいんだ。


「母さん。朱里にはもっと大人になってから……って、寝た」


 気づけば大人組はみんな寝ていた。大きないびきをかいて机に突っ伏している。自由気ままなダメな大人の模範的な姿だ。


 幸奈にもう少しそっとしていた方がいいだろうし朱里はちんぷんかんぷんな顔してるし……ほんと、付き合わされる身にもなってほしい。

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