第110話 言われて言ってようやく二人は……⑦了
幸奈が望んでいるロマンチックなキスなんて分からない。
そもそも、ロマンチックって何だ?
プロポーズした時? 結婚する時? 綺麗な夜景をバックにする時?
そんなの他人の解釈によって違う。
だから、幸奈がこれをなんと思ってるかなんて分からない。
しどろもどろでぎこちなく、全然上手でもなんでもない下手な初キスだと思ってるかもしれない。
私が迫った時は避けた癖にゆうくんは自分がしたい時に勝手にする節操なしだって思ってるかもしれない。
それでも、やってしまった。
本心を隠すようにして、苦しそうにしている幸奈をこれ以上見ていられなかったから。
時間は一秒にも満たないほんの一瞬だったのかもしれない。それでも、まるで時が止まったかのように長く感じた。
そっと唇を離すと情けないことに全身の力が一気に抜けていった気がした。
やった……やった……やってしまった!
どうして、踏みとどまらなかったのかと後悔はある。
でも、無意識にそうしていたのだから仕方ない。
それより。母さんに言われた通りの展開になったのが嫌だ……。キスとか、そういうのは付き合ってから! なんてほざいてたのはどこの誰だったか……ああ、僕だった。
って言うか、怒ってない? 嫌われてない? 気持ち悪がられてない?
冷静に考えるとそんなことばかりが頭に浮かんでしまう。
チラッと幸奈のことを見ると幸奈はまるで石化したように固まっていた。
「幸奈……?」
声をかけても返事がない。
その無言がものすごく怖いと感じた。
何を考えてるのか分からない……予想がつけられない。
どうしよう、と悩んでいると、いきなり糸が切れたようにふにゃっと幸奈が後ろに倒れだした。
「幸奈!」
慌てて背中に腕を回して抱き支える。間一髪、倒れるのを阻止することが出来た。
「はぁ、良かった……」
ほっと一息つくとある異変に気づく。
幸奈は目を強く閉じたまま、首を精一杯反っていた。
まるで、僕から逃げるように。
でも、また近づいた距離のせいで上手く逃げられないのか無駄な抵抗だとしか思えなかった。そもそも、逃がすつもりもないんだけど。
「えっと、幸奈。怒ってる?」
もし怒っているのなら謝るつもりだった。
そして、もう一回告白するつもりだった。
でも、幸奈は小さく首を横に振ってくれた。
「幸奈。話せそう?」
「……無理」
「そっか。じゃ、そのまま聞いて。僕は幸奈が言ったこと全部含めて好き。そういう幸奈だから好きなんだ」
料理が下手なら練習すればいい。どれだけ失敗しても僕が食べたらいい。それでも、上達出来ないならこれまで通り僕が作ればいい。
胸が小さいのだって気にしなくていい。世の中には、胸なんてただの脂肪だ、なんて言葉があるんだから。それに、小さいことを気にしてる幸奈を見たら可愛いな、いじらしいなって思うんだから。
盗撮と盗聴は流石にちょっと……ってなったけど、いちいち気にするのはもうやめだ。だいたい、幸奈はちょっとドが過ぎて可笑しいことくらい知ってる。分かってる。そういうのを受け止めれるようにと時間をかけたのだ。
とにかく。全部全部全部。全部含めて幸奈のことが好きなんだ。
「僕と付き合ってくれる?」
幸奈はようやくこっちを向いて目を開けてくれた。そして、目の端に涙を浮かべると小さく頷いてくれた。
「ありがとう」
その涙を指で拭い笑いかけると幸奈も小さく笑い返してくれた。
さて。冷静に考えると随分と公衆の面前で恥ずかしいやり取りをしてしまったと絶賛後悔中。
いや、幸奈とやっと幼馴染以上恋人未満を卒業出来た訳だから全然後悔とかじゃないんんだけど……もうちょい雰囲気とか場面とか色々あったのじゃないだろうか。
こんな人の前でドラマでもなんでもない、ただの僕たちの話なのに……。まぁ、幸い、ほとんどが花火に夢中でいてくれたことが助かった。キスしてるとことか見られたら、それこそ恥ずかしさで死んでた。
「幸奈。戻ろ――」
と、言いかけて、言葉を詰まらせた。
今、戻っても良いのだろうか。田所にどんな顔して会えば良いのか。田所にどんな顔させたら良いのか。
嘘なんて言ってたけど、あれは紛れもなく僕へ向けられたものだった。
そして、僕はそれを断った。断って、すぐに他の女の子と付き合った。田所に合わせる顔なんてない。
すると、スマートフォンから通知音が鳴り響いた。確認すると秋葉からメッセージが届いていた。
今日はもう解散しよう。田所のことは送っておく。とのことだった。
もしかすると、秋葉も聞いていたのかもしれない。それで、気を遣ってくれたのかもしれない。
礼のメッセージを送ると少しして既読がついたのでスマートフォンをしまった。
「帰ろっか」
未だに黙ったままの幸奈に言うと口を開き、か細い声でちゃんと聞いてないと聞こえないほどの声量で話し始めた。
「集まらなくていいの……?」
「多分、集まっても気まずいだろうから」
「そう、だね……」
「あ、幸奈が悪いとかじゃないから。絶対に違うから。悪いのはここまで遅くした僕だから。ごめんな、言うの遅くなって」
「ううん。私だって一言つけ加えられなくてごめんね……」
しゅんと落ち込む幸奈の頭を撫でてから帰り始めた。先を歩いていると服の後ろをきゅっと摘ままれる。
「ゆうくん汗だく」
「そりゃ、幸奈のこといっぱい探したから」
「そんなに探してくれたの?」
「当たり前だろ」
「嬉しい……あとね、彼女って言いながら守ろうとしてくれたのもねすっごく嬉しかった」
「あれは……勘違いだったと言うか」
思い返してみても恥ずかしい。先走って、敵意剥き出しでなんにも悪くない人達を睨んで……ほんと、申し訳ないことをした。
「勘違いでも嬉しかった……探してくれてありがとね」
幸奈が立ち止まり笑顔を向けたので真っ直ぐに見つめる。
ほんとは目を見て話したいのに、視線は勝手に幸奈の唇へともっていかれていた。
ぷにぷにで柔らかく、気持ち良かった。
「どうしたの?」
「……その、か、勝手にキスしてごめん。幸奈、キスはロマンチックがいいって昔言ってたのに」
そう言うと幸奈はまたピタリと動かなくなり、石化した。
「幸奈……?」
呼びかけて目の前で手を振ってみても反応がない。どうやら聞こえても見えてもないようだ。
「だいじょ――」
「――わぁぁぁぁぁ!」
「え、なになになに!?」
「わぁぁぁぁぁ!」
突然叫びだしたと思いきや、胸をぽかぽか叩いてくる。
「あっち向いて。あっち向いて」
「な、なんで……」
「いいから!」
よく分からないが言われた通りにし、幸奈に背中を向けた。
「そのまま歩いて」
「はい」
ゆっくり歩き出すとまた幸奈は黙って従うようについてくる。
そして、こつんと背中に額を当ててきた。
「ゆうくん好き」
どくん、と大きく心臓が跳ねた気がした。
急に言われて不意討ちだったからなのかもしれない。それとも、幸奈に言われたからなのかもしれない。
「好き好き好き好き好き。大好き」
「さ、幸奈!?」
幸奈は壊れたロボットのように好きを連呼してくる。その度に、僕は大きく心臓を抉られるような感覚に陥った。
「こっちは見ないで」
振り向こうとしても決して振り向かせてはくれなかった。
結局、そのままマンションまで帰ってきた。
「あのね、ゆうくん。私、飴あげた時あったでしょ?」
「う、うん」
ゴミ捨てを手伝った時に貰ったやつだ。
「意味……分かってる?」
「意味……?」
「わ、分かってないならいい。バイバイ。あ、それと、盗撮と盗聴はゆうくんの部屋に仕掛けてあるからどうにかしといて」
幸奈は急いで口にすると何も言わせてもらえないまま家の中に入っていってしまった。僕も同じように家の中に入り、ソファに腰をおろした。
全身の脱力がどっと押し寄せてきてしばらくボーっとしていたが、スマートフォンを取り出して飴をあげる意味とやらを調べた。
「……っ、不意討ちにもほどがある。あの時、既に告白されてたとか……気づけるはずがない」
画面に表示された『あなたが好き』という文字を見て、今すぐ幸奈に会いたくなってしまった。
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