第44話 「でも、夢叶と写真は撮りたいし.......」

「うわぁ、すごい人」


 時間はまだ11時にもなっていない。この市民プールの始業時間が9時30分。まだ始まってから2時間も経っていないというのに。

 市民プールに入るのための入場チケットを買うために、大蛇の列を成している。

 猛威を奮う灼熱の太陽を頭上に抱きながら、プールに入るために奮闘している。

 まさかこの列に並ぶのか?

 流石に帰宅部の俺には辛いぞ。


 なんて思って夢叶を見る。同時に夢叶が俺を見た。


「え、えっと.......。並ぶの?」


 感じた不安をそのまま口にする。すると、夢叶がふふっ、と吹き出すように笑った。えっと、俺。おかしいこと言った?

 夢叶が笑ってくれるのは嬉しいことなんだけど。この笑いはなんか、少し違う気が.......。


「並ばないよ?」

「えっ。だったらどうすれば」


 意地悪をするように、夢叶は俺を横目で見ながら言う。口角が上がり、先生をしている時には絶対にしない笑み。

 何だかそれは、大人としての余裕を見せられているようで。まだ俺を子どもとして見ているような、そんな気がして。少し切ない感じを覚えた。


「この前、渡した入場券あるでしょ? あれを奥の人に見せればいいんだよ」

「え。じゃあ、これってチケット買ったのと同じってこと?」

「まぁ、そう言うことになるかな?」


 夢叶が準備して、渡してくれたはずなのに。どこか他人事のような口調で返す。

 夢叶らしくない、というか。曖昧な感じに違和感を覚えていると、夢叶から手が差し出される。


「カバン、いいかな?」

「あ、うん」


 持ってもらっていたのに、返して。そう言うのを少し躊躇うような、そんな雰囲気を纏っていた。

 俺はその手に預かっていたカバンを渡す。


 カバンから入場券を取りだし、受付員に手渡す。そして俺たちは市民プール内に入る。

 右側には男子更衣室左側には女子更衣室があるという表示がある。


「じゃあ、着替えたらシャワーのところで待っててくれる?」


 私の方が時間がかかるから。そう言うニュアンスが含まれてるのは分かった。持っていた夢叶のプールバッグを彼女に返してから、俺と夢叶はそれぞれ更衣室に向かった。



 更衣室にはたくさんのロッカーが並んでいた。まぁ、もちろんなんだけど。学校のそれとは比べ物にならない量に、少し驚きを覚えながら。


 111、というゾロ目のロッカーを選ぶ。覚えやすそうだし。

 この前綾人さんと買いに行った、ユニクロの黒い無地の水陸両用短パンを穿く。

 なんか、思ったより短い?

 水着ってこんなものなの?

 丈の長さは膝よりほんの少し上くらい。俺的にはもう少し長くて、膝くらいまではあって欲しいかったん

だけどなぁ。

 なんて思っても後の祭りだから。素早く服を脱ぎ、水着一丁という姿になる。


「どうしよ」


 ロッカーの中にある脱ぎ散らかした衣服。その上にスマホと財布がある。

 それを眺めながら、俺は独りで呟いた。

 こいつらを持っていくか、どうかだ。プールに入るならばきっと邪魔になるだろうし。でも、だからと言ってまたここに戻ってくるのも、面倒だ。

 ロッカー使用料として、二百円入れなければならない。返ってくるが、何度も硬貨を入れるのはなぁ。


「でも、夢叶と写真は撮りたいし.......」


 ビキニとか着てくるとさ、もう鼻血ぶぅーってなっちゃわないかな。

 それをさ、思い出の1枚としてスマホに収めたいよね。ツーショットだと、めちゃくちゃ嬉しいよね。その写真を待ち受けとかにしてさ。

 あ、でも。誰かにバレると問題だから出来ないか.......。

 先生と生徒ってだけで。こんなにも色々と気を遣わないといけなくて。こんなにも隠さないといけないもので。こんなにも好きなのに、どうして。歳の差とかだけなのに。本気で好き同士なら、いいんじゃないかって。俺は思ってしまう。


 なんて考えをしているうちにも時間はすぎる。夢叶を炎天下の中待たすのは絶対にNGな事だから。

 とりあえず、スマホだけは持っていくか。

 そう結論づけ、財布の中から200円だけを取りだした。それから靴を履いて行くかどうか逡巡したが、プールに入るのに邪魔だろうと思い、ロッカーに靴をしまい込んでから硬貨を投入し、鍵を閉めてからシャワーのところまで行った。


 プールサイドは灼熱に晒されていたせいか、歩くだけでもめちゃくちゃ熱い。いや、この素材をどうにかしたほうがいいだろう。熱すぎて立っていることすらままならねぇーぞ。

 で、でも。この辺りにいないと。夢叶に見つけて貰えないかもだし。

 ぴょんぴょん跳ねるように、周りから見れば変な人だと思われかねない動きをしながら。周囲に目をやる。


 灼熱地獄、灼熱地獄、灼熱地獄。あ、あそこ。


 シャワーのところから見える場所で唯一日陰になっている場所が見つかった。それは休憩用として立ててあるテントの下だ。


「気づいて貰えるかな。俺が先に日陰にいるのってどうなんだろ?」


 それが心に引っかかる。悪いことじゃないんだけど、少しの罪悪感があって。でも、足の裏が火傷しそうな程に熱くて。

 あぁ、ごめん、夢叶!

 ここに立っていること自体に耐えられなくて。俺は駆けるようにして、テントの下に出来た影に入った。


 まぁ、ここも熱いけど。陽向とは全然違う。立っていることができる。うわぁ、靴って大事だよね?

 靴が大事ってのは分かってたけど、服並みに大事だよね。

 分かっていたことを再確認しながら、思考を夢叶へとシフトさせた。


 男だと水着姿はだいたい想像がつく。俺と同じ感じか、ブーメランパンツのようなやつだ。てかここから見ても、市民プールでブーメランパンツみたいなの穿いてる人のが少ないし、だいたい俺と同じ感じだ。

 でも、女性のそれとなると、種類が数多あり、ここから見えるだけでもかなり違って見える。

 まぁ、でも。夢叶がスクール水着ってのはありえないだろうから。

 ビキニ.......とか?

 ありえるか? 有り得たとして、破壊力がやばくね?

 だってさ、普通に服着てても分かるくらいのサイズ感なんだぜ?

 それが露わになる.......。陽光に反射される胸元、薄らと見える血管。そのサイズ感に似合わない幼顔での満面の笑み。うん、控えめに言っても冷静を保つ自信が無いな!


 それじゃあ.......。ワンピース的なあれか?

 眼前を通り過ぎた若い女性の集団。その中の一人が全身をカバーするワンピース型の水着を着ていた。黒を基調にしており、どこか大人っぽさを感じさせる。

 あんな感じのやつをさ、夢叶が着たら。

 スタイルの良さが目立つよな。出るところは出て、締まるとこは締まっていて、まるで別の世界から紛れ込んだ妖精のような雰囲気になるんじゃね?

 まぁ、全部妄想だけど。


 腰に鮮やかな布を巻いた、恐らくあまりプールに入らないだろうと思われる姿の人。

 同じビキニ型でもフリルの付いたそれを着ていたり、肩が全開になっているそれがあったり。

 .......プールに来てる女子、エロくね?

 なんて、不謹慎かもしれない感想を抱いたりしていた。


「おまたせー!」


 弾ける炭酸のような。俺の心を掻き乱す、楽しげな夢叶の声が耳朶を打った。

 うおぉ、来てしまった。

 来ることはわかっていた。いや、ここにいる時点でもう、そういうことなんだよ。

 でも、夢叶とプールに来れていることが。まだ見れてないけど、水着姿の夢叶を拝めることが信じきれなくて。

 頭では理解出来ているんだけど。だけど、幻想とかじゃないのかって思えてしまう自分がいて。

 嬉しいようで、怖い。


 付き合ってからそれらしいことをあまり出来ていなかったから。

 ようやく、それらしいことができる――


 色んなしがらみとかはあるけど。今はそんなことを忘れて、夢叶と、彼女と精一杯楽しむんだ。


「おう」


 照りつける陽光を受け、神々しく輝いて見える。小走りで駆けてくる彼女に手を挙げて応える。

 陽炎の中で白く瞬く夢叶の姿。その中でも少し胸が揺れているような、そんな感じがする。

 気を抜くといつの間にか視線が、そこへ吸い寄せられてしまうような。

 まぁだからこそ、気は抜けないし。夢叶だから気を抜くわけもないんだけど。


 さぁて、ここからどうしようかな。


 向かってくる夢叶を眺めながら、一瞬視線をプールの方へと向けて、そんなことを考えたのだった。

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