第42話 「またあの生徒ですか?」
時間は少し遡る――
「お疲れ様です」
顧問をしているバスケ部の練習を見に学校に来ていた。午後練で、私は形式上の顧問で、コーチは別にいる。だから居なくてもいいんだけど。
頑張ってる子たちを無視して休むのは何か違う気がして。顔出すくらいのことしか出来ないけど、毎週ちゃんと練習には来ていた。
「ちわーす」
練習中の生徒たちが挨拶を返してくれる。
どうやら今は実戦形式の紅白戦をしているようだ。
それを見ているコーチの男性――近所のクラブチームでバスケをしている人――が声を荒らげている。
「お疲れ様です」
その隣にまで移動し、私は挨拶をする。
「あ、お疲れ様です」
「どうですか? あの子たちは」
「そうですね。もう少しレベルをあげれば、県くらいまでは行ける可能性はありますよ」
生徒たちの動きをしっかりと見ながら、男性は自分の見解を口にした。
県、か.......。じゃあ、みんなの目標である全国は厳しいのか。やっぱり簡単じゃないんだなぁ。
「そうですか」
「やっぱり生徒の夢は叶えて上げたいですか?」
赤色のビブスを来ているチームがレイアップで得点を挙げる。
「そこ! 簡単に抜かさんじゃない!!」
「すいません!」
コーチの一声に、抜かれた生徒が大きな声で謝罪を口にする。
みんな、遊びじゃないのは見ていて分かるから。本気でやっているのが分かるから。
「負けて欲しくはないですね」
「その気持ちは一緒です。自分もこのチームをずっと見てますから、勝ってほしいとは思います」
「でも、簡単じゃないってことですよね?」
それは分かる。そんな簡単に勝てれば、練習した人はみんなスポーツ選手になれるだろう。
難しいから夢があって、みんなが目指す場所になるんだ。
「そうですね。あと一人、いい選手がいれば」
「どういうこと、ですか?」
眉間にシワをよせ、顎に手を当てたコーチが試合の流れを見ながらそう吐いた。
「圧倒的エースで、おそらく全国にいっても通用する
稜くんが球技大会で対戦した相手で、バスケ部でも圧倒的信頼を得ている2人だ。
近隣高校との対戦ではこの2人で勝てるのではないか、と思うほど上手くはあるが。コーチにそこまで言わせるレベルだとは思っていなかった。
「それから」
そう前置きをし、コーチが指さしたのは私のクラスの門待くんだ。青色のビブスを着ているチームの中では、一番目立って点を取っている印象だ。特に外からのシュート成功率がかなり高い。それは見ているだけの私でも分かる。
「高校生離れしたスリーポイントの成功率の
赤色が3年生。青色が1,2年生で構成されていることに気がつく。
「それでバスケは5人でやるスポーツです。あと2人は誰でしょうか?」
「いや、実質あと1人だ。圧倒的センスで視野で試合をコントロールできるようなガードが欲しい。その4人がいれば、後の1人はある程度の実力があれば誰でもいい」
生徒たちが聞けば落ち込むかもしれない。でも、それがスポーツの世界の無情なところだろう。
「もし、仮に。そんな生徒がいればどこまで行けると思いますか?」
「たられば、の話をするのは好きじゃないんですけど」
コーチは目を細め、そう前置きをしてから言う。
「全国にいけるでしょう」
それと同時に、試合終了を告げるブザーが鳴り響くのだった。
* * * *
部活終了時間になり、生徒たちに挨拶をし、コーチに挨拶をしてから。体育館の戸締りをする。
入口にしっかりと鍵がかかったのを確認してから、その鍵を手に職員室へと向かう。
「それにしても、あと1人のピースで全国の可能性、か」
コーチの言葉には妙な説得力があった。顧問はしているけど、詳しいことはよく分からない。でも、大山くんや堂林くんが凄いのはもちろん、門待くんのスリーポイントが凄いのはわかっていた。素人が見ても凄いと分かる、周りより頭1つ分抜けていると分かるということは――それだけ凄いのだろう。
「みんな頑張ってるし。でも、そんな人いればもうバスケやってるよね」
自分の思考がいかに無駄なことなのか。そう感じてしまい、思わず嘲笑が零れた。
「あ、堂林くん。まだ残ってたの?」
あと少しで職員室。その場所で堂林くんとすれ違った。
「あ、はい。昨日、自転車の鍵につけてたストラップ落としたんで、探しに来てました」
「えぇ、そうなの? 見つかった?」
「はい、この通り」
そう言って。安堵の表情を零しながら、男子高校生が持つには可愛すぎるストラップを見せてきた。
うわぁ、なんか意外な趣味だな。
「ち、違いますよ? これは妹に貰ったものなんですよ!」
「え、な、何とも思ってないわよ?」
「先生って結構顔に出やすいですからね?」
「ご、ごめんなさい」
まさか生徒に指導される日が来るなんて。私もまだまだだなぁ。それにしても顔に出やすい、か。じゃあ、私の感情も稜くんにバレバレなのかな。
そんなことを思っていると、堂林くんが頭を下げて帰宅しようとする。
「あ、堂林くん。ちょっといい?」
その堂林くんを引き止めて。少し前まで考えていたそれを、現役選手の彼に訊いた。
「もしね。広い視野で的確なボールさばきを出来るガードがいたらどうする?」
「突然ですね」
私の質問にそんな感想をこぼしてから、真剣な表情を浮かべる。
「そうですね。でも、もしそんな選手がいれば俺たちは今の倍は強くなれると思いますよ」
「やっぱりそうなんだ」
「いきなりどうかしたんですか?」
「うんん。みんなに勝ってほしいなって思って。そんな選手がいればいいなって思ってね」
負けるみんなの姿は見たくないし。それに、私は名ばかりの顧問でみんなに何もしてあげられてないから。
「球技大会の先生にクラスにいたやつ。門待と一緒に点とってた人。あいつならそれに、近いんじゃないんですか?」
「えっ.......。稜くんが?」
「名前までは知らないですけど。動きは素人に毛が生えたレベルでしたけど、的確な判断に視野は持ってたように感じましたよ」
「そうなんだ。稜くんそこまで上手いんだ」
「それだけですか?」
「あ、うん。呼び止めてごめんね。気をつけて帰ってね」
私の言葉を聞いた堂林くんは、軽く会釈する程度に頭を下げてから階段を降りていく。
そっか、稜くん。バスケ部の人にそこまで言われるほどに上手いんだ。
自分のことじゃないんだけど。自分のことように嬉しくて。思わず笑みがこぼれちゃう。
職員室に戻り、体育館の鍵を戻してから。私用の事務机に置いていたカバンを持って帰宅しようとする。そんな時だった。
「南先生」
私を呼び止める声があった。
「なんですか?」
その声の正体に、私は直ぐに気がついた。あの人だ。稜くんと待ち合わせをしていた時に、社会科準備室にやって来た。低く渋い、怖気すら覚える、私の嫌いな声だ。体が勝手に身構える。
「そんな身構えないでくださいよ」
そう言いながら、西門先生は私に歩み寄ってくる。
嫌だ、何で来るの?
恐怖がある。だから、体が自然と出口の方へと向かう。
「すっかり怯えられてるな」
西門先生はその鋭い目に嘲笑を浮かべてそう言う。最初は優しかった。赴任してすぐ、バスケ部の顧問をするように言われた。その時の私は、バスケのルール1つ知らないズブの素人だった。それを知ってか知らずか、西門先生は優しく教えてくださった。それに、てくれていた。だけど、ある日それが変わった。
西門先生が手伝ってくれるのを当たり前だとは思っていなかったけど、ピタリと無くなれば違和感は覚える。
「そ、そんなことないですけど。何か用ですか?」
きっかけは最近気がついた。稜くんがはじめて私に想いを伝えてくれたあの日だ。
「休みの日に顧問は大変ですね、と言おうとしただけど」
「それは西門先生じゃないですか。しかも、サッカー部は地方大会は常連って聞いてますよ」
「それはアイツらが頑張ってるだけですよ」
その言葉に嘘はないのだろう。西門先生の言葉には温もりが感じられた。だが、それも直ぐに消え去った。
「そんなことよりも。これから俺と食事に行きませんか?」
「ごめんなさい、それは出来ないです」
「またあの
露骨に嫌な顔を浮かべた西門先生は、一気に私に詰寄る。逃げなきゃ。本能がそう叫ぶ。
扉は目の前だ。後はそれを開ければ帰れる。
しかしその希望は、目前で消え去った。スライド式のドアが開く方、それを手で抑えられたのだ。
「何で逃げんだよ」
「べ、別に逃げてないです」
「逃げようとしてるだろ?」
口調が強くなる。睨みつけるように、私を見下ろした西門先生。それと同時に私の言葉が震えて、怯えていることに気がついた。恐怖が悟られないように、出来るだけ平静を装い言葉を口にする。
「してないです。ただ妹が待ってるので」
「妹、か。体のいい言い訳だな」
ため息混じりに吐かれた言葉。呆れのような、苛立ちのようなものが読み取れる声音だ。
な、なんでこんな態度なの?
「妹で食事には行けないなら――」
血走ったような眼で私を見下ろした西門先生は、空いている手で私の頭を押さえつけてくる。
嫌だ、やめて!
そう思っても。西門先生の鋭い眼差しが、纏う雰囲気が怖くて、声のひとつも出ない。
そうしている間に、西門先生は私の頭を少し上向きにした。反抗したいけど、力の差がありすぎて頭が動いてくれない。
怖い、怖いよ.......。ねぇ、助けて.......。
そう思っても、今日は休日で出勤してきている先生も少ない。
目には涙が浮かび上がり出したのが、視界が滲むことで気がついた。
西門先生は段々と顔を近づけてくる。
それから逃れるように顔をどうにか左右に振ろうとする。だが、体育教師の力に勝てるわけもない。
あぁ、もう勝てない.......。
力が抜けた。そして、涙がこぼれ出した。
その時だ。廊下の方から笑い声が聞こえた。
「チッ」
西門先生は分かりやすく、苛立ちの舌打ちをした。その隙をついて、私は職員室を出た。
怖かった。もう何も出来ないくらいに怖かった。
おそらく、生徒の声が無かったら行くところまで行かれていただろう。ごめん、稜くん.......。
「あ、夢叶先生」
間接的に私を助けてくれた生徒たちだろう。でも、その顔をハッキリと見ることは出来ない。一刻でも早く、ここから逃れたいから。早く、稜くんの話して今日の事なんて忘れてしまいたいから。
声を掛けられたのは分かったけど。逃げた。
「泣いてた?」
誰か1人が私の目尻のそれに気がついたような発言をしていた。でも、それを気にする余裕はない。ただひたすら駆けて、逃げるしかなかった。
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